小羽山(こばやま)

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記事作成日:2019/12/27
最終編集日:2021/10/20
情報この記事は市内に存在する小字名としての小羽山(こばやま)について記述しています。
校区名や町名の小羽山(おばやま)については こちら を参照してください。

小羽山(こばやま)とは、市内の複数箇所に確認されている小字名である。漢字表記からおよそ推察されるように住居表示された小羽山地区は、大字中宇部にあった字小羽山および派生する小字を取り込み昭和40年代後半に広域造成されることで誕生した。

ここでは、市内における字小羽山の実例と、この地名に共通すると思われる由来について記述する。
《 市内に確認されている字小羽山 》
現時点での市内エリアにおいて確認されている字小羽山の所在地を旧所属村名と共に列挙する。
【 中宇部村の小羽山 】
冒頭に掲げたように、現在の小羽山ニュータウンにかつて存在していた。字名としては小羽山を始めとして派生する北小羽山、南小羽山、西小羽山が存在していた。それらの位置関係は以下の小字絵図の通りである。
出典:旧宇部地区小字図


現在の地理院地図上に重ね描きされた大まかな小字の位置は以下の通り。
赤線は大字境界、青線が小字境界であるが、既に地形の痕跡は殆ど喪われているため適当に描いている。


読みも当初は「こばやま」であったことが地名明細書の記述からも分かる。


小羽山ニュータウン以降、この地名は「おばやま」と呼ばれるようになったようである。[1] したがって戦後の都市計画に伴い市街部にあった墓地(現在の宇部新川駅付近)を移転する形で造られた小羽山墓地は、所在地に即して言えば当時「こばやまぼち」と呼ばれていた可能性がある。ただし今のところその呼び方を裏付ける客観資料は見つかっていない。

昭和50年代に入ってから小羽山ニュータウンに居住者が増え始めて住居表示が与えられ、概ね元の小字に沿って北小羽山町、南小羽山町となっている。したがってこのエリアに字名としての小羽山や西小羽山という表記はおそらく存在しない。ただし小羽山ニュータウンから外れてこのエリアの外縁部に存在していた民家や平成期に入って南小羽山町の西側にあった沢地を埋めて造成された新興住宅地は現在も住居表示から外れている。このエリアの一角の登記簿上における住所表示として字西小羽山などが現れる可能性はある。

地名明細書には字小羽山は中宇部村の中村小村に属し、単独の字名で収録されている。小字絵図に小羽山、北小羽山などは後年の分化と考えられる。

【 川上村・上宇部村の小羽山 】
大字川上と大字上宇部に跨がる形で小羽山という小字名が確認されている。真長池の南側、現在のJA山口宇部本所がある最高地点とその南寄りの領域で、上宇部村と川上村の村境に跨がって存在する。
出典:旧宇部地区小字図


地名明細書では川上村の南側小村にある字名の一つとして収録されている。


この周辺は現在も住居表示エリア外であるため、登記簿上では現在も大字川上(上宇部)字小羽山という表記になる。例えば川上ふれあいセンターの所在地は大字川上字小羽山81番地1である。[2]この小羽山が現在どのように読まれているかは調査を要する。
《 「こばやま」は何に由来するのか 》
市内では複数の箇所に小字名としての小羽山が確認されている。そして江戸期から使われていた地名を収録する地名明細書にある小羽山はすべて「こばやま」の読みが与えられていて「おばやま」と読む事例は一つもない。地名の由来を考える場合には基本的に音読先行であるので、小羽山という漢字表記に拘泥せず「こばやま」という読みに本質的な意味がある。これを前提として2通りの仮説が立てられる。
(1) 焼き畑を行っていた地、薪を採取していた地に由来する説。
(2) ランドマークとなる山があり、それに次いで高い山地に由来する説。
【 焼き畑・薪採取地 】
九州(殊に長崎県)において焼き畑が行われていた地は「コバ」と呼ばれていた。[2]中国地方西部においても焼き畑が行われていたことは、市内外で焼野という地名が散在していることからかなり確からしい。小羽山(おばやま)校区には蛇瀬池の北側に焼米(ヤキコメ・ヤキマイ)という小字が知られている。また、中山村に近い側にはという奇妙な小字名が確認されている。
【 相対的に低い山 】
小串村と藤山村の境、現在の宇部変電所のある場所のは字大場山である。また、これより西側の放送局と携帯電話の中継電波塔がある場所は、周辺部で一番高いためか大場山基地局と呼ばれている。小羽山校区にある字小羽山に限定すれば、これよりも低い山地領域に対して字小羽山という表記を与えたのかも知れない。字名としての大場山は前出の村に跨がっており、小串村側は大場山、藤山村側では大羽山という字表記となっている。
村に跨がって存在する字が書き分けられた他の例として開立と貝立がある

しかしこれは現在の小羽山校区にある字小羽山に限定されるものであり、後述する他地区にある字小羽山は単独で存在している。むしろ小羽山という字名が先行し、これより高い位置や山の名前として大場山を与えたと考える方が自然である。
【 その他関連するかも知れない事項 】
常盤池には灌漑用水を取り出す場所が切貫と本土手の2箇所あり、かつてそれぞれ上小場、下小場と呼ばれていた。[4] 同様に考えるなら蛇瀬池の用水を取り出す地が想像されるが、小字絵図での字小羽山は蛇瀬池よりかなり離れているため恐らく関連性はない。
出典および編集追記:

1.「小羽山小学校10周年記念誌」p.4〜5

2.「川上ふれあいセンター(出張所)|宇部市公式ウェブサイト

3.「Wikipedia - 木場 (曖昧さ回避)

4.「ときわ公園物語」(宇部観光コンベンション協会)p.10
なお、上木場・下木場と表記している資料も存在する。

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