藤山八十八ヶ所・第37番

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記事作成日:2017/2/28
現地撮影日:2014/1/11
藤山八十八箇所の第37番とはかつて市道平原厚東川線の終点近くにあったコンクリート造りの御堂である。
写真は市道の終点を見る位置で撮影している。


位置図を示す。


後述するように御堂のある斜面が道路工事にかかり大きく削られたため、現在はこの御堂は別の場所に移動されている。御堂の撮影自体は早期に済ませていたが、一旦姿を消しその後移設されたことを知って撮影に行って記事化したので、全体の記述は写真に合わせて行っている。

正面からの撮影。
新しい花が活けてあるので撮影時点では看ていらっしゃる方があったことになる。


御大師様には帽子とおべべが着せられている。
撮影時の時点でこの御大師様のみで立像は格納されていなかった。


台座部分にある第三十七番の文字は初期のままのようであった。


市道の終点側から撮影。
道路よりやや高い場所に御堂を据えている。御堂まではコンクリートの階段があった。


撮影した時点ではこの場所が工事による大きな改変を受けると予想していなかったため、残念ながら当初の位置にあった御堂の写真はこの程度しか手元にない。
《 近年の変化 》
記事作成日:2017/2/28
現地撮影日:2017/2/27
2016年の秋頃より新しい琴川橋を含めた路線(市道岩鼻中野開作線)の岩鼻側取り付け道工事が始まった。既存の市道厚東川東通り線市道平原厚東川線への接続部カーブがこの御堂のある斜面にまで及び、切土工事に伴い御堂の行方が分からなくなっていた。

前面道路沿いにはこの他に3つの御堂(第39番・第43番・第46番)の存在が知られている。民家が近くにあり花が活けてあるなど看ていらっしゃる方の存在が明らかなこれらの御堂と異なり、第37番は既に近くには民家がなく放置されたような状態だった。このため特に顧みられることもなく遺棄されたのではないかと思われていた。[1]
しかし御堂は取り付け道路の施工を担当する業者により保管されていたようで、取り付け道工事が一段落した2017年2月の下旬に岩鼻自治会館の横へ遷されたことが藤山校区在住メンバーにより報告された。これを受けて翌日現地へ撮影に行った。
【 移設直後の様子 】
現地の状況。
岩鼻自治会館の前を通る取り付け道路部を整備し終えた後に真砂土を入れてその上に御堂を復元している。
まだ完全に終わってはいないため一部に単管バリケードが置かれている


御大師様とコンクリートの御堂は保管してあったものをそのまま復元し、下地のコンクリートは新しい建築ブロックで造り直されている。


据え直されたばかりなのでまだ線香などは置かれていない。
それでも花瓶に花が活けてあった。


御堂の移設された場所は概ね以下の地点である。


背面から撮影。
以前は斜面に押し込む形で御堂が据えられていたのが公会堂と同じ向きに変わったので、御堂の後ろの構造が見えるようになった。


接近して撮影。
型枠を並べてコンクリートを流し込み造られた過程が分かる。


御堂の上部には2つの突起が付属していて片方が無くなっている。これは移設される以前からそうであった。

藤山八十八箇所の御堂は往来のある道沿いにあるものは、たとえ看る人が居なくなった状態のものでも傷みが酷いものは修復されている。例えば市道助田平原線と国道190号の立体交差下にある第47番の御堂も以前は扉が外れそうだったのがアルミ扉に修復されている。
【 道路工事完了後 】
この項目を記述する現時点ではまだ周辺の取り付け道路工事は完了していない。御堂が移設された周辺の工事が終了し安定期に入った時点での写真を掲載する予定である。
出典および編集追記:

1.「FB|藤山八十八箇所・第37番(2017/1/15)(要ログイン)

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