焼夷弾投下被災地の碑

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記事作成日:2015/12/21
焼夷弾投下被災地の碑とは、東岐波の前田地区で戦時期に受けた焼夷弾攻撃の被災を後世に伝えるために設置された石碑である。
写真は市道大田門前線からの撮影。


位置を地図で示す。


市道に面した畑の端に石仏が格納された屋根付きの御堂があり、すぐ横に石碑が据えられている。
以下は[1]に掲載された概要と現地の聞き取りで得た情報をまとめている。
《 概要 》
正面からの撮影。
御堂は建築ブロックを数段積んだ上に屋根を造り付けており比較的新しいように見える。
以下の2枚の写真は初めて訪れたときの撮影


焼夷弾投下被災地と刻まれた石碑。
東岐波郷土誌研究会によるもので、設置は平成19年とかなり新しい。


この地で起きた出来事と被災状況が記されている。


小さな御堂の中には赤子を抱いた立像が格納されている。


石碑に詳細は刻まれていないが、この立像は焼夷弾投下により死亡した母子をモチーフに造られている。

太平洋戦争時に宇部市街部や工場群が空襲により壊滅的被害を被ったことはどの史料にも記載されている。被災者数では市街部が甚大であったためか、それ以外の地域での被災はあまり知られていない。やや離れた地としては護国神社の本殿も爆撃で焼失している[3]が、更に離れた東岐波の花園から前田にかけて攻撃された理由はよく分かっていない。爆撃機が通過した折に灯りの見える場所を見て投下したという説がある。

一連の御堂や石碑は、宇部市街部の甚大な空襲被害の裏で影が薄くなりがちな前田地区の被災を後世に伝えるために、当時を知る人々および東岐波郷土誌研究会により設立されたものである。清掃や供花は御堂を看ていらっしゃる自治会長により行われている。
2度目の訪問撮影時に現地聞き取りを行ったときのレポート。
当時の詳細な状況説明や投下された焼夷弾の部材の写真を載せている。
時系列記事: 焼夷弾投下被災地の碑【1】
《 個人的関わり 》
現地を初めて訪れたのは2014年5月17日のことであった。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

出典および編集追記:

* 焼夷弾投下の被災地は東岐波の前田のみならず花園も含まれる。前田地区での被害が最も甚大であったため、ファイル名を maeda.htm としている。今のところ市内で太平洋戦争の被災伝承を目的とした石碑などは見つけられていない。

1.「宇部市|校区文化財マップ」の東岐波校区(PDFファイル)の25番。

2.「FB|2016/12/2のタイムライン(要ログイン)

3.「小羽山付近の史跡と伝承」(平成18年度小羽山まちづくりサークル)p.5

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