恩田運動公園・陸上競技場【3】

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現地撮影日:2015/5/13
記事編集日:2015/11/22
現在では陸上競技場それ自体に縁はまったくないものの、恩田運動公園の中は今でもよく自転車で通る。則貞方面へ行くときは清水川から律儀に国道まで出なくても運動公園の中を通った方が近いし車に煩わされることもないからだ。
また最近では自転車での遠出をあまり行わない代わりに、近場を頻繁にうろつくようになった。特に天気の良い日は恩田運動公園のメタセコイア並木が美しく、しばしば写真狙いで訪れている。この日もいずれの記事向けにメタセコイア並木を撮影し俵田翁体育館の方へやってきた。

陸上競技場のフェンス門扉は開放されていた。
それでちょっと立ち寄ってみた。


フェンス門扉が開いているのはそう珍しくはないが、使われていないときは大概閉まっている。しかし現地を訪れたときはフィールドに誰も居ないのに門扉は開いていた。

前編でも撮影したコンクリート柱。
未だに何のためのものか分からない。昔の門扉だろうか。


記憶は曖昧だが外回りの建築ブロック+ネットフェンスという囲いは昭和50年代あたりだったかも知れない。初期はどの方向からも競技場に入れたような気もする。そもそも建築ブロックや被覆なしのネットフェンスが使われ始めたのは昭和50年代半ば以降だったように思うので。
黄緑色の被覆されたネットフェンスは既にあったと思う

自転車を適当に停めて中へ入った。
フィールドにも本部席にも人影は見られなかった。


前回記事では本部席を重点的に撮り、フィールドは外から少し撮影しただけだった。トラックの写真を一枚も撮っていなかったので、誰も居ない今なら気兼ねも要るまい。

さっそく目に留まった古めかしいコンクリート柱。側溝の外側にあった。
これは何だろう…元からあったものを折り取ったようにも見える。


トラックと観覧席の間に真砂土の山があり、懐かしいものが放置されていた。


整地用のローラー、俗称コンダラである。
殆ど使われた形跡がなく全体が錆び付いていた。


何故これがコンダラと呼ばれるかは[1]を見て頂くとして…転がすことで自重で不陸を均す器具である。野球場やフィールドなど走り回ることで荒れた地面を均すときによく使われた。今ではレーキを使って手均しすることが多いが、大抵どこの学校の運動場でも隅の方に転がっていることで知られる。

観覧席を上がったところに古い水道場を見つけた。
いくら何でも使われてなさそうなことがすぐ理解できた。


近づくと…中に水が溜まってかなりおぞましい状態になっている。
水道の蛇口はどれも外されていた。これは昭和30年代の改修期のものだろう。


更に本部席の方へ向かって歩く。
大会用の入場口である。ここはイベント開催時以外は常に門が閉まっている。初期の頃は門はなかったしスロープ部分も土が露出していたと思う。


まだ撮っていなかったトラック部分を写した。
陸上部の選手たちは日々こういったトラックを走って練習する。しかし自分がここを走ったのは今までで数えるほどしかない。


既に随所で述べている通り、幼少期から学童期、青年期そして社会人に至るまでおよそ運動に縁が無い私だった。その中でも走ることは嫌いな運動の代表格で、ボール競技の次くらいに嫌だった。歩くことさえ厭い、車に依存してはいない代わりに自転車依存度が極めて高いのは現在も同様である。後年、運動に関してある特定の狭い分野に関してのみ生活習慣へ取り込む程度に親しめるようになったが、残念ながら走ることについては今後も恐らく何の喜びをも感じることがないままになりそうだ。[2]

きれいに整地されたトラック内をずかずかと歩き続けるほど無遠慮ではない。さすがに怒られることもないだろうが、本来はキチンと申請を行って利用する設備なので…

本部席の近くに何のためのものかよく分からない器具を見つけた。
階段が付属していて飛行機のタラップのようである。


これは何に使うのだろう。キャスターが付属していて動かせるようになっている。しかし傍目にも相当長期に放置されているようで、キャスター自体が砂に埋もれていた。


遠くからも見えるように競技で勝利した選手を上がらせるとか…しかし表彰台ではなさそうだ。上に登ってフィールド全体を見渡す必要がある競技のとき使うのだろうか。[3]

本部席は前編でいい加減細かく撮影してきたので、ちょっとフィールド内に出てみた。
何しろ周囲が広いのでこんなところでウロウロしていると大変に目立つ。あるいは関係者から何か言われるかもと思いつつトラックを横断した。
これも記事化のためですんでどうかここはご容赦を…

内側のエリアとトラックの間には小さなコンクリートの溝が造られていた。
溜まった水を効率よく排水するためだろう。


このコンクリート溝の天端に何やら競技に使う標示板のようなものが埋め込まれていた。
競技する人にはこれで分かるのだろう。私には何のことやら…であった。


本部席に正対する形で国旗掲揚台がある。
ポールが5本並んで立ち、掲揚台へ向かう部分だけ観覧席とは異なる階段が造られていた。


ここへ来るのは初めてかも知れない。掲揚台の外側はメタセコイア並木なのだが、近くに出入り口がなく外からも見えないので気づかなかった。


中央のポールの背面に何やらプレートが設置されていた。
周囲はタイル貼りなので割と新しそうだ。


石盤はちょうどポールの真後ろにあるので正面からカメラを構えられない。ポールの後ろにカメラだけねじ込んで撮影している。
「25周年記念」の文字がみられる。昭和62年の設置なので、陸上競技場を国体仕様に改修したときから数えての25周年ということだ。


掲揚台のある側のトラックは外側に余裕がない。
トラックの外側は排水用の側溝になっていた。一部の蓋は埋もれているので中には砂が詰まっているのでは…


ここにも先に見たような競技に使うサインのようなものがあった。
御影石を削って埋め込んでいるので結構古いものかも知れない。


結局、撮影を終えるまで誰もフィールドには入って来なかった。
撮影はしたものの正体がよく分からないものがいくつかあった。用途や名称などが判明次第、編集追記の項目に書くこととしよう。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - コンダラ

2. 現在でも「人間は二本脚で走るには甚だ非効率的に造られた生物だ」と考えている状況である。

3. これは決勝線審判台と呼ばれている設備で、トラックを走る選手のゴールをストップウォッチ計測する審判が座るためのものとされる。錆が酷いため最近浮いた錆を剥がして塗装替えの作業が行われているという。「FB|公益財団法人宇部市体育協会のタイムライン」より参照。(2016/1/13)

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