白岩公園・初回踏査【6】

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(「白岩公園・初回踏査【5】」の続き)

白岩公園コースへの到達経路探しを断念し、再び手水のところから雛壇を降りてここへ戻ってきた。


先ほど雛壇の上から見た「2本足の鉄骨で立つコンクリート塊」である。
かつては手前に礼拝所のようなものがあったのだろうか…意味ありげな仕切りが遺っていた。


その右側は一段高い雛壇を取り囲むような石積みが続いていた。
どうやって根を下ろしたのだろうか…石積みの内側に巨木が育っていた。


最後の石段を登ったところから法篋印塔の雛壇までは広場状になっていて、その端に石材が据えられていた。
これは見紛うこともなくベンチだろう。2脚あるうちの石段に近い側のベンチは座板部分が崩れ落ちてしまっていた。


薬師如来像や厳つい法篋印塔など、およそ現在の公園というイメージからはかけ離れている設置物が多い中、この2脚のベンチは初めて出会った公園らしい工作物の一つだった。

現代では公園と言えば綺麗な花や遊具があって、子どもたちやカップルが集い寛ぐ場所というイメージが定着している。現在のカテゴリで分類するなら、白岩公園はむしろ庭園になる。
元々は一個人の修養の場から出発した背景からか宗教色の濃い工作物が目立つ。まして昭和の初期は公園に遊具を置いたり遊園地を造るという発想自体極めて限られただろう。それでも行動半径が今より狭かった昔の子どもたちにとっては、遠足で家や学校から離れた場所に出かけること自体が刺激的な体験だったに違いない。
もっとも大岩がゴロゴロしているだけで何もなく退屈という幼少期の印象を語られる方もある

もう一脚は松の木の攻撃を受けつつも斃れることなく原形を保っていた。
小学校の遠足では子どもたちはこのベンチに詰めて座り、法篋印塔を正面に眺めつつお握りを頬張ったのだろうか…


2脚のベンチの延長上に石灯籠のようなものが隠れていた。
あまりに藪が酷くかなり近づくまで気付かなかった。


ツタ系の植物が絡みついていたが、そう苦労することもなく近くまで行くことができた。
ざっと観察した限り文字などは何も彫られていないようだった。単純な装飾と考えて良いのだろうか…


枝道はこの石灯籠のところから下り坂道になっていた。
降りてきたところから振り返って撮影している。


降りてきたのは地形的に鞍部と呼ばれる場所だった。
写真では今しがた右側から降りてきたことになる。即ち尾根伝いに下る枝道を辿れば、その一番低い場所でメインと思われる道に出てきた。そしてメインの道は逆にそこが峠となっていた。


メインの道の反対側。
自分はあの薬師如来が納められていた祠から枝道を辿っていた。もしメインの道をそのまま歩いたならここに到達していたと推測された。


立ち位置はそのままで真反対側を撮影。感じとしてはこの鞍部が白岩公園の北の端になりそうだった。
それと言うのもメインの道は鞍部を境に緩やかな下り坂になっていて、その先は石段のない普通の山道になっていたからだ。


この道が何処へ向かっているのか興味を覚えたが、およそ見当もつかなかった。なまじ踏み込めば方向感を失ってしまいそうなのでやめておいた。
常盤用水路の端に自転車を留守番させてから小一時間が経っていた。まだ午後3時前なので時間の心配はないものの、空模様の方が怪しくなっていた。殆ど見通しの効かない藪の中を移動していると空の色の変化に気付きづらかった。上空がやや開けたこの鞍部に出てきて初めて踏査開始よりも空が曇ってきたことに気づいた。

ここが白岩公園と分かった後も自分は大して秩序立てた経路を考慮せず道の成り行き任せで歩き回り、そこに眠っている遺構たちをカメラと肉眼に収めてきた。しかしここまで歩いた時点で自分は一回の踏査だけですべての成果を持ち帰ることは不可能と感じた。
二度、三度と訪れることになりそうだ…
枯れ草に埋もれた石段のすべてを調べ尽くしたわけではなく、未だ足を運んでいない石段の先に何か特殊な遺構が眠っているかも知れない。白岩公園自体がかなり広い上に枝道が多く、適当に歩き回れば取りこぼしが予想された。そもそも例の書籍で取り上げられていた渡辺翁揮毫の「大自然」の石碑をまだ見ていないし何処にあるのか想像もつかなかった。
厳密に調べ上げるなら今まで見つけた遺構の配置図を作成しなければなるまい。恐らく読者にしてもこの連載レポートを読み写真を眺めただけでは、まず何が何処にあるかさっぱり分からないと思う。
いずれ遺構の配置図と枝道などのルートマップを作成する予定

大丈夫…白岩公園は逃げはしない。アジトからそれほど遠くもないからいつでも踏査に来れる。しかも次回以降はあんな斜面登攀などやらなくても大丈夫だ…それでこれ以上細かな枝道探索は行わず、メインの道を引き返しながらその途中に見つけられるものに限定して撮影を進めた。

北の端から白岩公園のメインの道を逆からたどることになる。
大きな枯れ木がメインの道の石段上に倒れかかっていた。この道を通る人が殆ど居ないことが想像される。恰も時間が停まっているようだ。


メインの道は沢を左手に見ながら下っていた。
その沢の先端部分に自然のものとは思えない橋が架かっていた。もっとも竹が侵入したためにそこへ到達する枝道の痕跡さえ推測できない。


短い石橋である。古い石橋に特有の湾曲が見えていたので、離れていても自然石でないことはすぐ分かった。


橋の下に両腕を差し出してフラッシュ撮影している。
橋台にあたる部分も人工的な石積みになっていた。沢の水を逃がすための水の道を確保しその上に橋を架けたらしい。


石橋から沢の下流側を眺めている。視座からの高低差は5m程度だ。
日本庭園につきものの池が造られていたような様相だ。


メインの道は沢を挟んで眺めることができるので、対岸側を歩いて下った。
沢は次第に広く深くなり、その末端部分に平たい石を幾つも重ねて池の縁を造っていた。
被写体までの距離があるのでピントが甘くなっている


この近辺は特に竹害が酷い。他の在来種を追い出してしまったらしく竹以外の樹木がかなり減っている。
先の石橋と同様、見た目は自然石ながら人が手を加えたらしい大岩に気付いた。


このテーブル状の大岩は最初からこの状態だったのではなく人が手を加えたものと思う。
大岩の下に全体を支える岩が押し込まれている。偶然このような配置にはなるまい。大岩がテーブル状になるよう水平に吊った上で支えの岩を下に噛ませたのだろう。


対岸側を進攻できなくなったので沢まで降りてメインの道に向かった。
沢の末端部には池の排水用と思われる陶管が見えかけていた。もっとも窪地全体に枯れ木や木の葉が堆積していて水はなく、元はどのくらいの深さの池だったのかも想像できなかった。


末端部までが一つの窪地というか古池になっていて、下流側には沢の続きができていた。
この土手部分を通ってメインの道に復帰し、更に坂を下りつつ周囲を観察した。

(「白岩公園・初回踏査【7】」へ続く)

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