白岩公園・第二次踏査【1】

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(「白岩公園・第二次踏査【序】」の続き)

細い水路を辿ってここへやって来た。
白岩公園に向かう道が水路と交わる場所である。


この辺りは既に車が入れない道でありながら山道としてはむしろ普通レベルである。落ち葉が厚く積もっているだけで木の枝がしだれ掛かって進攻を妨げるような場所はない。適度にここを通る人があるらしい。
後になってその理由を知ることになる

初回踏査のときこの近くの藪に転がっていた野球のボール。
持って帰るわけにいかず帰るとき意図的にここへ置き去りにしていたものがそのまま石橋の上に留守番していた。


前回マクロ撮影がピンぼけで巧くいかなかったので改めて撮影してきた。
もっともこれだけではいつの時代のものかは分からないだろう。


そう言えば少し前のこと東京タワーの補修作業中に建設当時のものと思われる野球のボールが見つかったというニュースを聞いた。場所柄野球のボールが紛れ込むようなことは考え難く、何故そんなところにあったのかミステリーとされていた。
ここもボール遊びができるような場所ではなく一体どうしてここに…という感じでは共通するものがある。

水路と公園に向かう道の高低差が次第に開く場所。初回踏査で山の斜面はるか上方に石積みを見つけた場所でもある。
水路沿いにある城壁のような石積みがそれだ。


この先にメインの道から一段上の平場に上がる石段がある。
今になって思えばこの辺りから既に白岩公園ということになるのだろうか…


この石段も解せないところがあった。
上がった先はそれほど広くもないスペースがあって先には何処にも道がないらしい。平場自体もかなり年数の経った木々が茂っており、少なくともざっと見渡した範囲には石積みなどの遺構はなかった。

入口の石段は参道にみられる本格的なタイプであり、ここが重要な場所だったことを偲ばせる。お宮や祠などがあったのかも知れない。

メインの道はその先で再び水路へ降りる石段と、山側へ向かう分岐に出会う。
光量不足でピントが甘い写真になってしまった


水路を渡る小さな石橋を過ぎると、道は一つの沢を渡るまで山の斜面を進む。そしてこの分岐からは本格的な登りとなり石段路が続く。
どうやら真っ直ぐ伸びるこの石段が白岩公園のメインとなる道と言えそうだ。


初回踏査ではここが白岩公園であるという確証も得られないまま疑心暗鬼で藪の中を歩き回っていた。行きは途中左手に見える祠に寄り道し、帰りはそのまま石段路を下った。
今回は見落としているかも知れない遺構を丹念に探すのが一つの重要課題であった。そこで祠の方には向かわず、メインの石段を真っ直ぐ登った。

石段を登り切った先に広場があり、水が溜まっている池に出会った。広場から先もメインの道が続いており、石段路ではない自然の登り坂道になっていた。
初回踏査では帰り際に池の写真を撮影済みだったので、今回は眺めるだけにして足早に通り過ぎた。もっともこの時点で既に未発見の新たな遺構を注意して探し回す集中力を大きく削ぐ不快な現象が体感されていた。
それは…


まあ、読者にとってはどうでも良いことだろう。しかし現地の自分にはまったく切実かつ緊迫した状況だった。恐らく想像つくと思うから敢えて非表示にしているが、詮索好きな読者は下のボタンを押すことで閲覧できる。

…という訳で、再び先の場所に戻ってきた。
実は生理的欲求に対処してやる前から、この存在に気が付いていた。


あの池がある横を過ぎて更にメインの道を進んだとき、右側の高台に鎮座する岩の表面が気になっていた。
それは周辺にある露岩より際だって大きく、表面に何やら文字が見えるように思われたのだ。

確認するために道なき山の斜面を強引に登って接近した。
やはり岩の模様ではない…文字を刻みつけた跡が窺える。


短歌か詩歌だろうか…最初に詠み人の名前があり、三行にわたって流れるような文字で刻まれている。


この巨岩は恐らく2つの大岩から成り立っていた。
中央部分が割れるか元からこうだったのか…下の方が洞穴のように空いていた。


この場所を特定するのに参考となる遺構が近くに見えていた。
初回踏査で石段を下りる際に見つけた石灯籠である。


改めて刻まれた詩歌のような文言を眺めた。
最初の詠み人らしき4文字。達筆で読みづらいが「七尾正人」のように読み取れる。[1]


短歌の部分も行書と言うか草書と言うか…いずれにせよ私の世代では既に学校教育の対象外でなかなかに読みづらかった。メモ帳など持ち合わせておらず、仮に持っていたとしても正確に書き取れないだろうから分割して近くから撮影している。


全体を読み取れるように原典画像を載せておこう。
手前にある低木と文字が重ならないようなアングルを探すのが困難だった拡大対象画像です。
画像にマウスをかざすと拡大、ダブルクリックで最大化します。
クリックすれば元のサイズに戻ります。


比較対照となるものが写っていないので分かりづらいが岩の高さは5m程度で、文字は大岩の平坦な面を利用して刻みつけられていた。

元から正確に読める自信がなかったので撮影し持ち帰るだけだった。ただ、最後の一文は当初「運のうちかな(那)」のように読めたので、人の定めを表現した短歌だろうかと思われたのだった。
正確な読みおよび意味は末尾の[2]を参照のこと

この巨岩はまるで短歌を遺すために削り取ったのではないかと思えるような平坦な面を持ち合わせていた。それでもしかすると他の面にも何か刻まれているかも知れない…と思った。

その想像は、生理的欲求で踏査を中座せざるを得なかったさっきの凡ミスを帳消しにするクリーンヒットだった。
実際この短歌が彫られている面の端に移動したとき…
すぐ近くの岩の上に五重塔が!!


それは初回踏査では見逃されていた壮大な塔だった。
すぐ近くに見えたので、一旦は先の巨岩のことも忘れて塔に接近しようとしたのだが…

短歌の陰刻された巨岩は、容易に私の興味を引き離そうとはしなかった。巨岩の別の側面に見逃しようもない「作品」が姿を現したのである。


例の書籍にも紹介されていた渡辺翁による揮毫とされる「大自然」の文字であった。
こんなところにあったのか!!
(「白岩公園・第二次踏査【2】」へ続く)

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編集追記および出典:

1.正しくは「七尾山人」であるらしい。
石碑に刻まれた短歌の作者で防府出身の方かも知れないという指摘を頂いている。
2.短歌の読みは次のようではないかという指摘を頂いた。
都久紫なる山も周防の海原も一目に見する園のうちかな
変体文字の元の漢字は以下のようであったとされる。
都久紫奈留山毛周防能海巴良毛一目耳見寸流園乃宇知加那
短歌の意図するところは「筑紫の山も周防の海原も一目に見ることができる庭園」で、霜降山からの眺めを意識して白岩公園を造ったのかも知れない。
以上の出典については以下の地域SNSブログ記事に寄せられた読者コメントに依った。
「うべっちゃ|白岩公園・その2」(記事は削除されています)

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