白岩公園・第二次踏査【3】

インデックスに戻る

(「白岩公園・第二次踏査【2】」の続き)

3連続の石段の途中から園路を外れて藪の中を歩けば、あの巨岩の上に到達するのは容易だった。

巨岩の上は著しく木の葉に覆われていて地面と見分けがつきづらい。
しかし岩の周辺だけまったく木が生えておらず手前には巨岩の角も露出していることから、一枚岩と推測できた。


この岩は大きい…本当に巨大だ。側面は少なくとも2つの平らな面を持っていてメインの道に面して短歌が、そして池のある広場に面して「大自然」の文字が彫られていた。そして上部も平坦になっており、他の2面は地山にめり込んでいて見えないが全体として巨大なサイコロ状をしているようだ。
文字を彫り易いようある程度側面を削って平面を出したのかも知れない

例の書籍には”これほどの大きさの岩は万倉の大岩郷でも見つからないのでは”と表現されていた。強ち誇張でもなさそうだ。巨岩の高さは5m程度あり、上部の平坦部だけでも六畳の間くらいの広さがある。この巨岩をすっぽり包む建屋を造ろうとするなら八畳程度の規模が必要になるだろう。

短歌が彫られている面の縁まで近づいてみた。
落ち葉は吹き飛ばされているので足を滑らせる心配はない。そうは言ってもこの高低差はさすがに怖い。


巨岩の縁には転落防止のロープを結わえ付けたと思われる鉄棒が打ち込まれていた。
これは岩の下に居たときから見えていた。


先ほど見た巨岩の割れ部分である。幅10cm程度のクラックが生じている。
外側の部分を少し残してモルタルが充填されていた。来園者がこの巨岩の上に登ったとき足を落とし込んでしまわないように塞がれたのだろう。


鉄棒はこの下にある池の横を通るメインの道にあったのと同じものだった。
一般来訪者が増えてきた頃から安全面を考慮して追加設置されたのだろうか。


初回踏査で法篋印塔の前にあった石材のベンチを観たときは、遠足の子どもたちが坐ってお握りをほおばる姿が想像された。この巨岩の上もその平坦さを利用して来園者が新聞紙を敷き昼食をとる場になっていたのだろうか。

現在こそ周囲は藪に包まれてしまったが、昔は来訪者があることで管理されていただろうし、竹害も今ほどは酷くなかった筈だ。この場所は短歌にも詠われている通り、天気が良ければかなり遠くまでの眺めが望めるスポットだったのでは[1]と思う。
夥しい巨岩も来園者が多ければ、表面に苔が密集する暇はなく落ち葉も取り除かれるだろう。その名前が示す通り、白っぽい岩が目立つ山だった筈だ。その景観はもしかすると現在の県道からも見えていたのではと想像された。

この場所からは初回踏査で見つけていた石灯籠が鮮明な形で観察できた。


石灯籠の背後に見える石積みは、法篋印塔のある雛壇の端になる。
初回踏査時ではツタが生い茂る側から眺めたので存在に気付きにくかった。


この石灯籠も下部をモルタルで固めてあるに過ぎない。
恐らく容易に倒壊しないよう接合部を削って組み上げられているのだろう。


ここから段差を乗り越えて強引にベンチのある広場に上がった。


ちょっと離れただけで背の高い法篋印塔も藪に溶け込んでしまう。
写真は自動で明るさ補正されるからあまり目立たないが、実地では本当に見えづらいのである。


初回踏査では法篋印塔を重視するあまりに隣接するこの遺構を充分撮影していなかった。
雛壇の一角に御堂の一角だったらしい場所がある。


丸っこい岩に3箇所削り取ったような痕跡がみえる。
燭台か何かを固定する部分だったのだろうか…


この岩の両脇に建屋の基礎のようなものが遺っていた。
上部が差し掛け屋根のような御堂があったのではと推察される。


この正面に「2本脚の鉄骨で立つ何かの構造物」があった。
初回踏査では撮影したものの正体が何か掴めていなかった。


御堂跡の左横にその答えらしき石碑があった。


子安弘法大師と記されている。
石碑の左側には建設者の名前が彫られており、初回踏査ではそこに気を取られて正面から確認していなかった。


上部は木の幹に隠されて見づらいが昭和六年六月吉辰と読み取れる。
ここにも吉辰の文字が現れている


初回踏査の速報的記事を写真と共に公開した時点で読者からの指摘があった。
即ち2本脚で立つ鉄骨らしき遺構は、かつては上部構造があり弘法大師の立像があったのではという推測である。経年変化で腰から上の部分がなくなった可能性があるようだ。
子安弘法大師の石碑が昭和六年となっているので、2本脚の鉄骨も当時のものと言えるかも知れない。

法篋印塔は初回踏査で丹念に撮影しているので今回は軽く済ませた。
そもそも周囲の木々が密集しており単独のショットではどうしても分かりづらいのである。撮影場所を変えても同様だった。


そうだ…
思えば白岩公園ではまだ一度も動画撮影していなかった…

そこで法篋印塔の手前にある最後の石段からカメラを構えつつ移動して動画撮影してみた。
光量不足で見づらいのは如何ともし難かったが、周囲の状況は分かりやすいだろう。

[再生時間: 57秒]


私は法篋印塔の背面にある平坦な場所とその先がどうにも気になった。元は何かがあったのではという疑念の他に、どうにもその奥に道があるように思えてならないのだ。それも白岩公園に通じるもう一つの別の経路だ。
前回記事でも述べた通り白岩公園コースはこの方向ではない…第二次踏査でもまだ気付いていなかった

それで少しでも先が明るく開けていそうな方向目指してまたしても藪を漕いだ。
法篋印塔の真後ろではなく進めそうな方向へ若干ブレはしたが、それらしき踏み跡が前方に見えるようになった。


今度こそ間違いなく明瞭な踏み跡だ。
何処へ続いているのだろう…もしかするとこれが白岩公園コースからの道か?

(「白岩公園・第二次踏査【4】」へ続く)

---
編集追記:

1. 白岩公園の南側には桃山配水池のある小串字開立付近で標高74.4m地点が存在する。


これは白岩公園の最高地点(88.2m)よりも低いので南側の眺めは遮られない。天気が良ければ遙か遠方の筑紫や伊予が望めた可能性はありそうだ。
実際どうだったかは遠足でこの場所からの景色を眺めた体験者の話を待つことになるだろう。

ホームに戻る