白岩公園・第三次踏査【2】

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(「白岩公園・第三次踏査【1】」の続き)

まるで遺跡発掘のような感覚だった。そして実際これは紛れもなく何十年も放置され忘れ去られていた遺構の発掘に他ならなかった。

石材の表面に刻まれているのは単純な模様ではなく、かと言って私たちが日常に見慣れている漢字などの文字ではなかった。
これは梵字では…


現代を生きる我々の日常生活では梵字に接する機会は殆どない。私とて日本古来からある漢字や平かななどの慣れ親しんだ以外の文字という消去法的な考えと、卒塔婆などにみられるのと同じ文字だという予備知識から理解された程度であった。
卒塔婆の実物も未だ一度も見たことがない

「Wikipedia - 梵字」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E5%AD%97

石に刻まれた梵字は一文字のみで、太く力強く陰刻されていた。彫りの細かな部分にもシルトがみっしり詰まっていて取り除くのには堅めの小枝が必要だった。洗い流すための充分な水が確保できないので、読み取れるようになるまで根気強くほじくった。

こうして現れた石材。
やはり紛れもなく人の手が入った石材だった。


どういう意味をもつものかは梵字に関する知見がなく分からない。[1]文字の配置も正しい位置から撮影しているのかも自信がなかった。
この石材の存在で、この緩衝池も白岩公園の一部で、同時期に設置されたものであろうと推測された。以前の記事では言及していなかったが、法篋印塔の上部にも梵字が刻まれているからである。

この場所は白岩公園のメインの道に沿って存在する沢と水路が接する位置にあり、沢の水が一気に流れ出さないように堰き止める緩衝池だった。しかし単純な砂防目的の池ではなく、設園者にとって修養のためという重要な意味を持つ池かも知れないと感じた。もしそうであれば自分は神聖な場所に足を踏み入れて石材を掘り起こそうとしている訳で、如何にも畏れ多い。

石盤は直径およそ40cm程度の割と大判で、その下側がどうなっているかは分からない。今ある池が本来のものとは思えず恐らく1m程度土砂が堆積している。見かけは円盤のように見えるこの石材も土砂に埋もれている下部構造があるかも知れなかった。
しかしそれ以上現状を改変するのは止めておいた。たまさか本当に重要な遺構だった場合、自分の軽はずみな発掘作業のせいでオリジナルの姿がどうだったか検証不可能になってしまうかも知れないと感じたからだ。
掘り起こすための道具がないという現実的な問題もあった

この石材と水路との位置関係。
被っていた土砂を取り除いただけで石盤自体は見つけたときの位置からまったく動かしていない。


池の中から位置関係が分かるように周囲を動画撮影した。

[再生時間: 31秒]


なお、水路から見たときはとても水っぽくハマりそうな緩衝池に見えたが、若干水が溜まっている水路寄りを除いて足元は割としっかりしていた。自然の排水経路があるらしく今以上に水浸しにはならないらしい。
私はこの場所に15分以上滞在し作業していた。主要な遺構は他にもいくつかありながら今のところ最も時間をかけて調べた物件となった。

ここから石段を上がってメインの道に復帰した。
初回踏査では懐疑的だったが、この石段なども当然白岩公園の成立時期と同じと考えて良いだろう。


第三次踏査では経路や位置関係の記録を目的としていたので、ショルダーバッグの中には野帳と鉛筆を入れていた。
石段の現況は写真で確認することとして、大まかな位置関係や向き、段数も控えておいた。


石段を登った先はあの行き止まりになっている平場がある端にあたる。
ガラスの破片など近代ゴミが散らばっていた近くでもある。


再びこの石段を登って上の平場を調べてみた。
どうにも気になるのである。見たところかなり立派な石段が造られている。


写真の撮りようもないのだが、それほど広くもない敷地内を歩き回った限りでは石碑などの遺構は何も見つからなかった。
この平場から別の場所に向かう枝道も出ていないらしい。


この敷地には何か重要なものが設置されていたのはほぼ確実だ。白岩公園の入口にもっとも近い場所で、はじめに出会う平場である。山の斜面を削って敷地を確保しておきながら、そこには何も見つからないのである。
現代感覚でものを言えば公園の受付所か宿直用の建屋があったような感じだ。石碑なら未来永劫そこに遺り続けるが、御堂などの木製構造物なら搬出して再利用するだろうし、何十年も経てば自然に還って痕跡も残らないだろう…

この敷地に関して何の成果も得られずそのままメインの園路を進んだ。


小さな収穫はあった。
かつては反対側にも石段があったらしい。この部分は前回見落としていた。


同様の石段があったのだが長年放置されていたために土砂が崩れ、そこに木々が生えて分からなくなっていた。
両側から上がれるようになっていたのだ。


メインの園路を進む。
傾斜が緩い区間は石段の間隔も広い。角柱状に加工した石材を横置きにしている。


通常の石材よりも大きさが異なるものが混じっている。もしかすると石段ではなく何か意味のある石碑が倒れてそのままになっているかも知れない。しかし一つずつ起こして検証するにはあまりにも数が多すぎる。
こんな塩梅で永遠に失われていく石碑もいくつか混じっているのだろう…

メインの園路は沢を左側に見ながら進んでいく。
先ほど発掘作業を行った梵字の池が見えていた。


初回踏査のときも撮影したメインの園路の石段が始まる場所。
一定勾配でかなり長い。殆どが木の葉や土砂に覆われているので推測でしか段数を記録できなかった。


この途中から左側の沢を渡る分岐らしきものを見つけた。
崩落防止の石積みのようであり園路のようにも見えた。これは初回踏査で辿った枝道部分とは異なっている。


沢を渡って振り返ったとき、水の流れる部分を小さな石橋が架かっていることに気が付いた。
やはり園路の一部だったことが確定した。この石橋は初回踏査で竹藪の中に見つけたものと同じものだった。


石橋を渡った先に斜面を登る石段が確認できた。
ここは初回踏査では見落としていた場所だ。


この石段の状態もかなり悪い。石材の継ぎ目部分から生えた木が大きく育ってしまっていた。
同様のものは初回踏査でも見つけていたがあれとは別の場所だ。
同じ沢だがその場所よりは一段低い位置になる


痕跡も淡いこの石段を登ったときのことだった。
何やら石の洞窟らしきものがある。
恐らく自然のものではない。石段路からその洞窟へ向かう踏み跡が見えていた。


やはり人工物だ。
写真ではまだ判然としないが、洞窟の入口付近に小さな井戸のようなものが見えていたのだ。

何これ?
薄気味悪いよ…(+_+);
これは先行公開記事でも書いておらずどなたも初見なのでは…

(「白岩公園・第三次踏査【3】」へ続く)

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編集追記:

1.これは大日如来を表す梵字とされており、設園者の信仰や世界観を白岩公園で表現しようとしていたのではないかという指摘もある。
以上の情報も地域SNSブログ記事に寄せられた読者コメントに依っている。
「うべっちゃ|白岩公園・その2」(記事は削除されています)

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