白岩公園・第三次踏査【1】

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現地踏査日:2013/3/20
記事公開日:2013/4/24
(「白岩公園・第三次踏査【序】」の続き)

第二次踏査から僅か2日ばかりおいた20日のこと、私は自転車で訪れつつも車を使って素早く訪れることができるかの検証を行い、引き続き白岩公園に向かっていた。

初回踏査では帰りに歩いてここへ出てきたのだった。
水路には大きな岩が並べられ橋代わりになっている。ここが白岩公園の入口とも言える場所だ。


後から思えばこの地区道は面河内池を踏査するとき自転車を押し歩きしているし、何とこの場所で白岩公園に向かう枝道を写真撮影までしている。しかし例の書籍に出会う前のことでこの先に偉大なる「宇部のアンコールワット」が眠っていたなどとつゆ知らなかったのである。
そして地域活動の拠点となっている 「市民活動センター・青空」に立ち寄ってあの一冊の書籍を借り出さなかったなら、白岩公園の踏査はずっと遅れていたのは確実だ。
いずれは何かの書籍によって存在を知ることになったとは思う

地区道からの分岐入口の木にNo.74とNo.75の特高線鉄塔を案内するフラッグが巻き付けられている。
宇部興産(株)関連の作業員はこれを頼りに以前から白岩公園の存在を知りつつメンテナンスに向かっていたのだろうか…


坂を登ると練積ブロック擁壁が見えてくる。
上を初回踏査で辿った水路が通じており、崩れるのを防ぐため後年施工したものだろう。


坂道が水路に追いついたところに初回踏査で野球ボールを置き去りにしてきた石橋に到達する。
そのボールはなおも同じ場所に放置されていた。


ここからが概ね白岩公園の中を通るメインの道になる。もっとも私が勝手にそう呼んでいるだけであって明確に白岩公園の中央散策路が決まっているわけではない。そもそも白岩公園には一般の公園にみられるようなブロック塀や柵などはないので、何処から何処までが白岩公園であるかも判然としていないのである。
したがって今まで行った2度の踏査ではなお不十分で見落とされている遺構や石碑などが眠っている可能性を捨てきれなかった。第三次踏査では主要な園路や枝道、構造物の位置関係を記録すると共に、見落とされた遺構の探索も課題に入っていた。
その懸念は後日になって現実のものとなった

この石橋のところに自転車を停め施錠した。
長丁場になるのが明らかだからだ。


今回はまず下の段を通っている水路を辿ることにした。
初回踏査のとき初めて接した水路である。
足元に木製電柱らしき痕跡がみられる


最初の壮大な石積みの位置。
上の段では何処にも繋がっていない平場に向かう石段がある場所だ。


初回踏査では藪の斜面を登る前に最初にこの石積みを見つけたのだった。
今からしてもかなり高い石積みである。


この石積みを過ぎた先に、メインの道から降りてくる石段の小道がある。
そこには沢の水を集めるために造ったと思われる緩衝池のようなものがあった。


思えばこの近辺も既に白岩公園の一角として整備されたのだろう。
このような石積みに間詰めモルタルという構成の緩衝池は初回踏査でも別の場所に見つけていた。


沢を流れる水が土砂や木の枝を運んで来るようで、池はかなり浅くなっていた。
それはそうと…池の中に何かが埋もれているように思われた。読者は気が付いただろうか?


何やら円形の石材が見えかけている。
普通の場所だったら排水用の桝蓋か何かだ…で片付けてしまうだろう。実際、最初は投棄されたポリバケツの蓋か何かだろうと考えてこのワンショットを撮影して先へ進みかけていた。
山の湧水を集める池なら、何処かに排水口があるだろう。現代でも池の中央に円形の塩ビ管などを埋めて水位が上昇しきったら余剰水が流れ出る…といった仕組みのものは普通に見られる。しかしここは「新しい時代のものが存在し得ない特別な場所」なのだ。

どうもおかしいと考え直したものの白岩公園と目される部分が何処から何処までを調べる目的があったので、一旦通り過ぎて水路の先を辿った。いずれ引き返してくるのでその折りに調べよう…

水路は恐らく今は使われていないらしい。至る所が崩落して土砂が詰まっていた。


沢の下方にも目を配った。
一部藪が途切れ、常盤用水路の開渠が直接見える場所があった。かつてはもっと明確に見えていたのではないだろうか…


山の南側斜面になるこの場所は本当に傾斜がきつい。
水路として使っていた時代も崩落が絶えなかったようで、水路部分に塩ビ管を据えて通水を確保していた区間があった。平成時代のはじめ頃までは水路を使っていたのだろう。


これといった石積みなどの遺構に出会わないまま沢の先端部にやってきた。
水路は沢の先頂部を巻くように迂回していた。


V字型に切り返した水路の先は崩落が酷かった。塩ビ管を通していながらも斜面が崩落するためにチェーンで吊っている。
この先を歩くのは危険だし古い遺構は何も見られず既に白岩公園からは外れているだろうとみなして引き返した。


先の土砂が詰まった池まで引き返してきた。
池の中に埋もれているように見えるあの丸いものが気になった。


そもそも自然にあるもので丸い石材など有り得ないのである。あれは排水用の蓋ではなく何か意味のある遺構ではないだろうか…そう考えて改めて詳細を調べようと思った。

池の縁に上るのは容易だったが、水路側には水が溜まっていて石材のところまで安全に近づけない。水分を大量に含んだ土砂が溜まり見るからに深くハマりそうな気がした。
そこで面倒だが一旦迂回し、沢の上部から近づくことに。


藪をかきわけかなり苦労して池の中に到達できた。
近くで眺めることでそれは明らかに円形をした石材と分かった。縁には装飾とみられる浅いギザギザがついていた。半分以上が土砂に埋もれており詳細は掘り起こしてみないと分からない。


溜まった泥を取り除くのは容易なことのようで実はちょっと躊躇われた。この場所が私有地であり歴史ある庭園の一部ということを知ってしまった以上、私の中では「現状改変」という行為が意識されたからだ。

元からあるがままの状態を著しく変えてしまうことは、たまさか私の後に現地を踏査する人々にとってオリジナルとは異なる姿を提示してしまうことになる。分かりやすい姿を伝えれば足りるのなら、石積みであれ法篋印塔のような遺構であれ周囲の藪をバッサリ刈り取り溜まった落ち葉はすべて取り除けば鑑賞しやすい。そのような改変を自分が率先して行って良いものだろうかという気持ちがあった。

しかし土砂を取り除く程度ならそれほど問題はないだろう。正体を確認した後で充分に時間が経てば、石材が再び木の葉や土砂を被って元の姿に戻るのは明白だ。そこで石材の正体を知るために土砂取り除きという現状改変を行う作業に取りかかった。
この考え方は由緒ある遺構に係る場所の現状改変だけでなく落ち葉や泥を被った一般的な桝蓋の清掃や周囲の雑草除去なども同様に当てはまる。このような場合、清掃という現状改変を行う前がどういう状況であったかも伝えられるように必ず着手前の写真を撮影するようにしている。
普通なら一瞥を加えただけで通り過ぎてしまう砂防池の中の石材だった筈だが、自然界には普通に存在しない円形の石材…その外観だけで私は何か「普通ではないもの」を感じとっていた。

土砂を取り除くのにカメラは要らない。肩に掛けているショルダーバッグも作業の邪魔だ。それらの道具をすべて傍らに置いた。もちろんスコップのような道具を持ち合わせないし、かと言って手を泥だらけにすると後々の写真撮影に困る。近くにいくらでも転がっている丈夫な木の枝を使って土砂を取り除いた。

== 数分が経過 ==

土砂を取り除いている最中は「これが何であるか知りたい」と「貴重な発見かも知れない」いう気持ちが先行していて、合間で丁寧に写真を撮ることを忘れていた。あらかた取り除いた後、確かにこの石材が自然のものではないこと、換言すれば何かの意味をもってこの場所に据えられた遺構であることを確信した。

ショルダーバッグから再びカメラを取り出して撮影。

慌てて撮ったのでこのショットだけ自動フラッシュ撮影になっている


土砂を半分も取り除かないうちに気付いていた。
何やら表面に奇妙な文字が刻まれている。
それも文字と言うか日常あまり見たことのない独特な形状のものだ。
これは一体…
先行公開された記事をご覧になった読者はもう分かっているよね^^;

(「白岩公園・第三次踏査【2】」へ続く)

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