白岩公園・第三次踏査【3】

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(「白岩公園・第三次踏査【2】」の続き)

初回踏査でも第二次踏査でもこの場所は見落とされていた。巨岩がいくつか乱雑に積み重なっていて洞窟のような様相を呈していた。なおも不可解なことに、その入口部分には正方形の開口部があったのだ。

開口部は井戸と言うには小さい。見たところ道路側溝にある雨水向けの角桝のようだった。


雨水桝?
そんなものがある筈ないじゃんか。
白岩公園は昭和初期に造られた公園である。少なくとも平成の時代に入る頃には殆ど誰も訪れない廃墟の如き庭園になってしまった筈だ。そんな場所にコンクリート二次製品の雨水桝が存在する筈がないのである。まるでオーパーツだ。

角桝は確かにコンクリート製だったが、出来合いの二次製品ではなく石積みだった。その上にコンクリートを打ち足して補強したらしい。
大きさはおよそ1m角くらい。中にはかなりの水が溜まっていたが、水底には堆積した木の葉が見えていた。


それでも私はこの角桝の存在意義がまるで分からなかった。ここは水が集まるような沢ではない。何処から水が流入するのか、そして何処へ流れていくのか見当もつかなかった。
井戸のようにも思えたがそれにしては小さすぎる。汲み上げ用の設備がないし、円筒形ではなく内部はもう少し広い範囲に水が蓄えられているようだ。まるで地下の貯水槽のようにも思えた。
古い遺構で長方形状の開口部があって水が溜まっている…となれば、どうしても予備知識として「トンカラリン」が想起されてしまう。
もっとも元祖のトンカラリンで一旦唱えられた排水路説は現在では再度撤回されている
「Wikipedia - トンカラリン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%B3
恐らくそんな大層なものではなく、同時期に造られた単純な雨水誘導用の桝だろう。岩の間に水が染み込み崩れないよう桝を設置したのかも知れない。ただ排出経路が見あたらないこと、蓋がないのがどうも不自然な気はする。
あるいはこの場所自体が信仰の対象となっていて、底の浅い池状の浅い井戸を造ったようにも思われた。遙か昔、関東方面を旅行したとき箱根の関所で似たようなものを見かけた記憶がある。浅い井戸には賽銭が大量に投入されていた。
しかし恐らくこの正解は得られそうにない。既に当時のことを知っている方がどれだけいらっしゃるだろうか…

周辺には乱雑に岩が転がっているように思えて、どうやら実は意図的にこのように積み上げたらしい。


井戸らしきものの右側にある岩は柱状の石で支えられており、接合部にはモルタルの痕跡が認められた。上の岩を人為的に持ち上げて土台に別の岩を押し込んだようだ。何のためなのかはもちろん分からない。


桝の奥に見える洞窟らしきものの先にカメラを向けた。
まさかフラッシュ撮影しても野生動物が飛び出してくる心配はないだろう…洞窟と言うよりは自然にできた岩の空洞部のように見えたからだ。

内部をフラッシュ撮影。やはり内部にそれほど奥行きはなかった。
しかし写真で観る限りはやはり人為的に造ったものらしい。岩の天井部分が平坦だし、その奥にはやはり岩を支持する目的で押し込んだような柱状の岩が見えている。


内部からこの桝に向かう水の流れはなく、洞窟内は乾燥しているように見えた。

この場所の上部に水の落とし口があるのかも知れないと思い、石段を辿ってこの上部に向かった。
この石段路も初回踏査では通っていない部分だった。藪がきついので少し離れれば園路の存在自体が分からなくなる。


やや予想外だったのだが、この石段を登った先に初回踏査で見つけた薬師如来の祠があった。


先にみつけた洞窟や井戸と巨岩との位置関係。
薬師如来の祠の殆ど真下に存在していたことになる。


この巨岩の園路側に面するような形で祠が存在していた。
初回踏査では祠の背面やその下までは調べていなかった。


場所柄、あの井戸のような開口部はやはり祭祀用に拵えられた小さな桝池のように思える。元々はどのような状態だったのだろう…

ここから近くのピークを目指す形で別の石段が伸びていた。
初回踏査でも訪れた場所である。石段の段数チェックと見落とした遺構がないか再度調べてきた。


石段を登った左側に手水の石が置かれている。
これは法篋印塔がある横に設置された手水と同じものだ。


藪の向こうに石材が積まれている。
適度な日照のために藪化がかなり酷い場所である。


初回踏査では何か次の構造物を造るために石材を加工する作業場だったのではと推測していた。
現在ではもう一つの仮説として御堂を解体した跡ではないかとも考えている。既に出来上がった手水が設置されているからだ。石材の加工作業所なら手水の石だけを先に設置しておく説明がつかないだろう。
この敷地も可能な限り歩き回ったが他に遺構はみられず、またこの先に何処かへ伸びる道も見つからなかった。白岩公園の入口近くにあった石段のみで接続される平場と同様だ。

五重塔があり正面に水の溜まった池がある広場である。
確証はないが私が白岩公園の中心部ではなかろうかと勝手に考えている場所だ。


この広場は恐らく沢の途中を埋める形で造られたらしかった。
広場の下流側には割と大きな石積みがあり、上流側は巨岩群で堰き止められる形の池がある。
Yahoo!地図で池として表示されている部分はこの池と思われる


上の写真でも池の巨岩手前に見えかけているのだが…

初回踏査のときから気付いていた鳥居か何かの基礎痕跡。
びっしり苔を蓄えているが埋もれもせず地表部に現れていた。


メインの園路の上を跨ぐようにここに鳥居か何かが設置されていたのではないだろうか。
柱の部分は木製柱で朽ちて無くなったか、石材だったが破壊され埋もれてしまったか…

曇りがちだったせいかこの日は池から立ち上がる異臭は感じられなかった。


この落ち葉の底にはもしかするとあの石材のようなものが眠っているかも知れない。
池全体を浚えば昭和初期から中期にかけての古銭の一枚や二枚は落ちているはず


経路と石段の位置関係を野帳にメモしつつ進む。


法篋印塔や子安薬師如来像のある広場に向かう3組の石段路。
白岩公園の最も高い場所に向かう石段でもある。


なお、法篋印塔周辺は初回踏査・第二次踏査で充分広範囲を歩き回り写真を撮ってあるので、位置関係や段数のメモのみに留めて殆ど追加の写真は撮らなかった。
未だ正確な正体が分かっていないこの立像の痕跡のみ撮影してきた。


ここから再び下る形で一旦メインの園路まで降りた。
そこに「大自然」の石碑があるのだが、分かりやすいアングルの写真が必要だった。

(「白岩公園・第三次踏査【4】」へ続く)

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