白岩公園・第五次踏査【4】

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(「白岩公園・第五次踏査【3】」の続き)

情報この記事は検証不十分な情報を元に記述されており、内容の信頼性に疑義が差し挟まれます。正当性を補強する資料や物的証拠が得られるまでは割り引いてお考えください。

忠魂碑は据えられていた岩の上から台座ごと落下していた。
台座は外れず接合されたままで、石碑本体の上半分が完全に地に伏していた。[14:10]


石碑の本体部分は厚さが20cm近い岩だ。しかし撓むことができない石材は衝撃には意外に弱い。石碑が破断している部分にはやや小振りの岩があったために「打ちどころが悪く」折れてしまったと推察される。
私が疑念を抱いたのは、忠魂碑が台座ごと落下していたという事実だった。 写真でも想像付く通り、石碑はかなり大きい。固定された台座も相当な自重があるから充分に安定していたはずだ。

白岩公園には数多くの遺構があり、著名な作品はどれも破損・倒壊せず藪の中で生き存えている。
例えば五重塔は見るからに不安定そうな丸っこい岩の上に脚だけで立ち続けている。


五重塔は忠魂碑以上の高さがありながら、支えているのは4本の脚のみである。形状が細身だから風の抵抗は受けにくいとは言え、地震には弱い筈だ。脚が岩にアンカーで固定されているとしても数十年もの間倒れず持ち堪えていること自体が奇跡に思えてくる。
五重塔の屋根部分はすべて無傷なので歴史的にも倒れたことは一度もないのでは…

方や忠魂碑はしっかりした台座があり、台座はすぐ傍にある上部が平坦な大岩の上に据え付けられていた。これほどの自重と台座の安定性がありながら台風や地震如きで倒壊するものだろうかという疑念がわく。[1]

この件に関して石碑が忠魂碑であると判明した時点である仮説が浮かんだのである。

忠魂碑は自然倒壊したのではなく、
人為的に倒され破壊されたのでは?


全国に存在していた忠魂碑は第二次世界大戦後、GHQの指示により多くのものが破壊された[2]という。実際、忠魂碑に限らず戦争遂行のために国民の意気を高揚させる多くの遺構が撤去された歴史的事実があり、この忠魂碑も同じ運命を辿ったのではないかと思われた。

人為的破壊説を採るなら、戦後間もない時期とは限らない。白岩公園は昭和中期頃まで遠足の定番だったということは、多くの一般市民が訪れる憩いの場と言える。そういう場所に忠魂碑が存在するのは不適切だという外部からの批判があったのかも知れない。
この仮説の正当性は忠魂碑がいつからこの状態だったのか、そして白岩公園を訪れる人々に忠魂碑の存在が知られていたかにも影響される。

仮説がもし正しいなら、この石碑が再び起こされ、元通りに据え直されることは恐らくないと思う。かつては大将の意を受け継ぐ一つの象徴であったのだろうが、敗戦後からは「日の目を見る場所に自らの姿を誇示することが許されない存在」となってしまった…それ故に私は倒されただけではなく、真っ二つに割れて価値を毀損された忠魂碑に胸が締め付けられる思いがした。

設園者の笠井氏は、忠魂碑の処遇を知っていたのだろうか。現在の変わり果てた姿を観てどのように感じたのだろう。平和的な国に生まれ変わるべき世の流れとは言え、設園者としてさぞかし無念だったのではないだろうか…[3]

今やそこへ至る道がなく、藪に埋もれ、台座から突き落とされ、しかも半ばで折れて斃れている…今や市民の殆ど誰もその存在を知らず、誰かが伝えなければこのまま土に還り忘れ去られてしまうだろう…恰も忌まわしき歴史を記録する負の遺産だったかのような汚名を着せられたままに。
そういう意味でこの物件は重い…心情的にも歴史的にも。

そう頻繁には来ることが出来ない場所だ。再度この場所を案内されたとしても迷わず到達できる自信がなかった。それ故に得られる限りの情報を持ち帰りたいと思った。

倒壊した忠魂碑は台座が横倒しになっていたために石碑本体と台座接合部付近が宙に浮いて隙間ができていた。その空間を探ることで石碑の反対面の文字を読めるかも知れない。[14:11]


隙間はあまりにも狭く頭を押し込むことができなかった。そこでカメラだけ押し込みフラッシュ撮影してみた。
やはり何か刻まれている。


現地で映像を再生し、石碑の裏側にムカデ等が貼り付いていないのを確認できたので、可能な限りカメラを押し込んで再度撮影した。


手前側には「建之」の2文字が見えている。「之を建つ」の意だろう。その奥には「念」の字のように読み取れる陰刻があった。残念ながらそれ以上の文字は判読できなかった。
残りの文字は縦書きで、地べたに接している部分に忠魂碑を設置した年月が記録されているのだろう。

先に述べたような理由で、この忠魂碑が再び元通りに据え直されることは二度とないと思う。背面にどんな文字が遺されていたのかは、過去にどなたかが写真を撮るなどして記録を遺していれば別として、当分の間謎であり続けるだろう。
白岩公園に本格的調査の手が入って忠魂碑が起こされることになるなら別だが…

忠魂碑の全体像と裏側の文字を確認するところまでを連続して動画撮影しておいた。

[再生時間: 32秒]


忠魂碑のある場所に関してもう一つ気付いたことがあった。
藪に見つけたキョウチクトウである。


植物の名前には疎い私でもこの尖った特徴的な葉で気付くことができた。
それはここまで藪の中を歩いていて初めて見つけたものだった。


初回踏査から今までかれこれ白岩公園を5度訪れて、キョウチクトウを観たのはこの場所が初めてだった。

この灌木自体はそう珍しいものではない。 たまたま偶然にここで見つけただけなのだろうか。それとも人為的に植樹されたのだろうか…
キョウチクトウはこの日の踏査では別の場所で一度だけ目にした

ともあれ一つの課題は無事に達せられた。
忠魂碑のある場所へ到達する容易な経路という問題はあるが、今はもう一つの課題に取りかかるときだ。[14:16]


K氏による手書きマップでは、倒壊した御堂は忠魂碑と同じ尾根部分に描かれていた。既にこの近辺のピーク場所に到達しているので、あとは適当に歩いて探すしかない。

ピークとは言っても狭い範囲では忠魂碑よりも高い場所があるようだった。足元が見えてイバラも酷くなければ許容範囲とみなし、怪しいとみた場所は片っ端から突撃した。[14:17]


提示された御堂と石仏の写真は相応な広さだったので、それほど起伏のない場所なら見渡すだけで探し出せそうな気もした。しかしそれも能わないほど藪が濃く見通しが効かなかった。

闇雲に歩かざるを得ないので、このような感じで足元も見えない程の酷い藪になったら断念して撤収した。


この方針は初回踏査時から共通である。先に踏み跡が見えている場合は別として、上のような場所に遭遇したらそれ以上進攻せずすべて引き返している。いくら何でも足元がまったく見えない中へ踏み込むのは気持ちが悪い。草むらに潜むヘビなどを踏んでしまうリスクもある。
換言すれば目標物のない藪の中を歩いていても、おおまかの方向感や歩いてきた経路くらいは把握していた。進攻不能な藪に出会ったなら来た経路を引き返し、一旦見覚えのある場所まで戻ってから方向を変えて再度突撃する…の繰り返しだ。

一旦撤収して次にピーク付近を目指して進んだときのこと…
妙に開けていて大岩が密集している高台に出会った。ここは見るからにかなり怪しい気がした。[14:19]


上部が平坦な岩がかなり目立つ。
私が素知らぬ顔で「ここにもう一つ未知の石碑が見つかった」なんて書けば読者だって騙せてしまえる自信がある。それ位にこの周辺の巨岩群は人の手が加わった臭いがした。


しかしどの岩もすべて単なる自然の産物だった。たまたまどの岩も平らな面を上にしていただけなのである。周囲が開けているように見えるのもあまりに巨岩が密集しているために植物が疎らになっているだけなのだった。
まさか…本当に素材として岩を削っていた途中のものってことはないよね

それでもみっちり詰まった2つの岩の間から窮屈そうに伸びている樹木の姿があった。[14:20]


初回踏査で法篋印塔を見つけたとき、私は霜降山登山ルートの一つである白岩公園コースが近くにあるはずだ…と考えて藪を歩き回っている。実のところそれは距離感と方向感を取り違えていたことが後日判明している。
しかし現在自分の居る場所は、真に白岩公園コースに近い筈である。白岩公園コースは尾根伝いに辿る道なのだから、同じ尾根のピーク地点付近に居るなら直接到達できてもおかしくはない。もしここから白岩公園コースに到達できたなら、次回以降に忠魂碑を訪れたいとき迷わず行けるだろう…

そう思って可能な限り北への進路を目指した。
その試みは再び足元も見えない厳しい藪によって阻まれてしまった。


今度こそは勘違いではない。最短距離であることは保証されないが、上の写真に見える藪を真っ直ぐ突っ切れば何処かで白岩公園コースに出てくる。ただ、どの程度進んだ場所かはまったく分からない。小さな尾根をもう一つくらい越えることになるかも知れないし、実は見えている藪の先に道が通っていた…という事態も有り得る。
白岩公園コースでは両側が藪に包まれ見通しが効かない場所がたくさんある

ここも断念して撤収した。
ピーク部の西側と北側は概ね行ける範囲で調べたので、高度を下げない経路を選びながら東側に移動した。

初めて今のピーク部分に到達し、墓場跡のような区画割りされた平地より更に東側へ向かったと思う。
獣道のような僅かばかりの踏み跡がらしき部分を辿っていたときだった。

先に何かがある。
この写真ではまだ分からないと思う。しかし肉眼では木々の向こうに期待されたものが見え隠れしているように思われた。


今度は期待を裏切らなかった。
あそこにあるものは!!
[14:24]


間違いない…遂に見つかった。
倒壊した御堂だ…

(「白岩公園・第五次踏査【5】」へ続く)

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1. 自然倒壊説に立つならば、台風で倒れたと考えるのが一番妥当だろう。
忠魂碑は五重塔に比べて平板な広い面を持つ分だけ風の抵抗を受けやすい。設置場所は周辺のピーク部であり、台風が襲来すればまともに影響を受ける。まして今ほど木々が生い茂っていない時期で忠魂碑の正面から暴風が吹き付ければ自然倒壊は充分有り得るだろう。

2. Wikipedia の忠魂碑に概要が書かれている。

3. もっとも忠魂碑は戦没者供養のために自治体が建立した碑とされており、設園者の笠井氏自身が建立したのではない点は注意を要する。更に言えば、この忠魂碑がある場所は白岩公園とは無関係という事態すら有り得る。
しかし白岩公園にみられる御堂が忠魂碑に近接して存在することからあながち無関係とも言えず、設園者自身は忠魂碑を設置することに対して少なくとも否定的立場にはなかったのではとも推察される。

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