白岩公園・第五次踏査【7】

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(「白岩公園・第五次踏査【6】」の続き)

岩はもの凄く高い。自然の絶壁を形成しているようで、その上に向かってみた。[14:55]
…と言うか一時間前には既に実行していたのだが^^;


その岩は「大自然」と陰刻された白岩公園メインのあの岩より周囲は細いが、高さはその倍近くあった。
この近くにまた奇妙な岩を見つけた。

斜めの筋が走った岩。
2つの岩は離れているのに同様な並行の筋が入っている…[14:57]

しかし…
いくら記憶力に自信がないとは言ってもこの独特な形状くらいは覚えていた。
ん?
この岩って…さっき見たのでは…?
これが一時間前に撮影した岩の写真だ。


これを観てどうやら自分は知らないうちに先ほど訪れた場所へ舞い戻ってしまっているらしいことに気付いた。
巨岩の下の石材といいこの特徴ある筋がある岩といい、後から思えばこれほど一致するものを目にすれば早々に気が付きそうなものだろう。しかし現地の自分はなおも同じ場所と確信できずかなり混乱した。初回に踏み込んだ場所からは一つ沢を隔てて充分離れた場所から登っており、同じ場所に到達する筈がないという思い込みがあった。
アジトへ帰宅後、筋の入った岩を撮った2枚の写真を比較することでやっと同じ場所であることが自分自身で納得できた。
ともあれここからピークを目指すとまた忠魂碑に向かってしまうので、重複を避けるためにメインの沢の左岸側を遡行するように歩いた。

沢の左岸側末端部は岩が殆どない土の急傾斜が続く。
この辺りは初回踏査時の帰りに歩いているのでざっと流した。


沢を進むにつれてメインの園路が高度を上げるので眼下の近くに見えるようになる。
上池の一部が見えている。この辺りは昔からこちら側の斜面を上り下りする道は造られなかったらしい。


水平に持ち上げられた岩。マップでは「テーブル岩」と記載している。
これも初回踏査の帰りに気付いていた。[15:00]


テーブル岩は元からそのような形状をしていたのではなく、平べったい岩をウィンチ等で持ち上げて下に支持用の岩をかませたようだ。
白岩公園にはこのような具合で大きな岩の下に別の小さな岩を押し込んで固定されているものが目立つ。景観面を意図したのではなく、岩が斜面を転がり落ちるのを防ぐための簡素な養生と思う。

テーブル岩の下は大きく空いていて洞窟のようになっていたので詳細を調べておいた。
何か古いものが遺っているかも知れないからだ。


フラッシュ撮影している。
支えとなっている岩以外何もなかった。テーブル岩全体を水平に保つためだけに岩を押し込んだらしい。支えの岩以外は何もなく大岩の下の土砂は流れ出ていた。


更に沢の左岸側を進む。この先は倒木峠の横、謎の石積みが連なる場所である。
ここを訪れるのはこれで何度目になるだろうか。[15:03]


沢の一番奥にある石積みの規模は公園内でもトップクラスだ。これほど大規模の石垣を築いたのは、その上に広い土地を確保して何かを建てるためだったのでは…と想像されてしまう。


それにもかかわらず今のところこの上部の平地からは何も見つかっていない。
今回は改めてその上のピークまで登ってみることにした。[15:05]


尾根から石積みによって造られた平地を見下ろしている。
平地の先端には間知石数個が転がっているだけだ。しかし家一軒建つ程度の広さがあり、昔は何かがあったような匂いがする。


倒木峠からみて法篋印塔のある尾根と反対側の場所になる。
法篋印塔付近は石段が整備されていたが、こちら側の尾根はまったく手つかずらしい。まるっきりマトモな道がなかった。[15:06]


念のために最高地点までは行ってみようと歩いていたところ…
突然、腰の辺りにロープのようなものがまとわりついて急停止を喰らわされた。


何じゃこりゃ?sweat
自然が拵えたロープの中に我が身を入れてトラップされてしまっていた。
ツルは思いの外丈夫で、体重を預けてもまったく切れることもなく持ち堪えていた。


元から道がなかった状況に呼応してこのピーク付近には何の人工物も観られなかった。歩き回るのも困難なほどの藪なので、そこには元から何もなかったと結論づけてメインの園路の方に向かって斜面を下りた。

斜面を降りたところはいわゆる倒木峠で、以前からここが白岩公園の北の端と推定している。メインの道は倒木峠を過ぎてから先はまったく石段のない普通の山道になる。斜面の岩自体もかなり少ない。そこで今回もこの先に遺構はないと判断して法篋印塔のある側のピークに移動した。
完全に断定はできない…忠魂碑のようにかなり離れた場所に遺構が見つかる可能性はある

法篋印塔のすぐ横には子安弘法大師の失われた立像跡がある。
コンクリート壁には鉄筋の痕跡があり、差し掛け小屋のような祠があったのではと想像されている。[15:14]


子安弘法大師と思われる立像の遺構。しかし実際のところこれが何であるかは容易に断定はできない。[15:15]


私は初回踏査の時からこの遺構の意味が分からず、テーブルか何かかと思っていた。K氏はこれを上半身部分の破壊された子安弘法大師の立像ではないかと推測している。付近に転がっている小さなコンクリート塊は頭部の痕跡かも知れない。
もっとも人の顔を思わせる彫りなどはみられなかった

現状はこれが人物の立像であることを想像するも困難なくらいに原形を失っている。細い鉄骨は脚の補強部分と考えるのは納得いくとして、上半分が平らになっている理由がよく分からない。
原形を残していないほど壊れている理由も不明である。子安弘法大師は戦時思考などとはおよそ無縁なので、まさか忠魂碑のように倒されたのではという可能性はないだろう。元から造りが他の石材に比べて脆弱だったために自然倒壊したのではないかと思う。特に脚の部分があんな細い鉄骨だけではコンクリート製の上半身部分を支えきれない。

写真では分かりづらいが、この奇妙な立像の背後には円形の陥没跡があり、大量の枯れ葉が埋もれているような感触があった。[15:17]
井戸の跡かも知れないと思い陥没部分の真ん中には踏み込まなかった


木の葉の下に何か隠されたものがあるように思う。これが子安弘法大師の像だとしたら、欠けている部材があまりにも多い。それらは数十年の時を経て地中に眠っているのだろうか…

法篋印塔の裏手には微かな踏み跡があり、この周辺のピークとなる広場に繋がっていた。
この広場もまた初回踏査の時から疑惑の場所だった。


明らかにそこへ向かう道というか踏み跡が見えている。そして広場部分には木が生えて居らず草木のみ生い茂る空間が取り残されているのだ。


そこは単純な広場だったのだろうか。それとも探せば何かが眠っている場所?
単純な広場だったとしても何か昔を偲ばせるものが遺っていそうな気がして、再度検証に向かった。

(「白岩公園・第五次踏査【8】」へ続く)

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