白岩公園・第五次踏査【6】

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(「白岩公園・第五次踏査【5】」の続き)

K氏の指摘した忠魂碑と倒壊した御堂を再発見することができたので踏査の目的は達せられた。その代償として、自分が今何処に居るのか殆ど把握できない状況に置かれていた。
これで方向感覚さえも失われていたら本格的な遭難だ。幸いそこまで無謀なことはしていない。車を停め置いた方へ山を下って行けば、何処かで白岩公園に向かうメインの道に出会うだろう…その方針に沿って南側へ向かって山を降りた。
標高を消化するだけなのですることは簡単だが、経路は必ずしも容易ではなかった。酷い藪があって降りようにも進攻不能な事態に何度か見舞われた。その都度一旦斜面を登り直し迂回する場面があった。

やっと目の前が開けて何かの道に出てきた。
それでもまだ道路からの高低差は10m近くある。[14:35]


最初この道を見たとき、何処の道なのか理解できなかった。白岩公園の近辺に居る筈ながらまるっきり通ったことのない道に思われたのだ。


足元は枯れ草や倒木だらけで下降には慎重を要した。そして道へ降りてくる頃になってその特徴的なカーブで漸く自分が何処へ出てきたかが分かった。

地図で示せば概ねこの辺りになると思う。


面河内池に向かうとき自転車を押し歩きしたあの地区道だ。
場所は理解できたが、ここへ降りてきたことが不思議に思われた。自分の中では白岩公園に向かうメインの道の「ボール橋」を過ぎた辺りに出て来るだろうという予想をしていたからだ。
目印になるものを奪われた状態で藪の中を彷徨うとかくも距離感・方向感覚を誤るという実例だ。

無事に脱出はできたが、車を停め置いた場所まで更に地区道を下っていく必要があった。
そして初回踏査のとき帰路を確認したあの場所にさしかかった。[14:39]


今回の踏査を終えるなら車はすぐそこだ。しかしまだ時刻は午後2時半過ぎ…まだ小一時間程度しか経っていない。
もう少し未だ調査していない場所をうろついてみようか…

初回踏査と同様この細い水路に沿って近道して「ボール橋」へやって来た。


石段があり、その先に平場だけ存在していて何の遺構も見つかっていない場所である。これまでに数回ここを訪れていた。[14:42]


石段を上がった平場自体には何もないことが分かっているので、早々に斜面へ取り付いた。


もちろん踏み跡はない。しかし明白な道がないことと遺構が存在しないことが無関係なのは先の忠魂碑の例で理解していた。
少しでも足元の良い場所を選んで斜面を登っていった。

この斜面を登ったところに狭い平地らしき場所があった。
明白な遺構と言っても石材が一つ転がっているだけだが、自然にこのような区画ができるとも思えない。[14:43]


木の根元に蓋をされたまま錆び付いた空瓶が転がっていた。
今ではあまり見かけない薄水色のガラス瓶だ。
瓶の下の方に中国醸造株式会社という文字が見えた


この平地の端には建屋の基礎跡のような石材が見つかった。[14:44]


平地の面積を稼ぐために低い場所へ石を積み重ねているように思われた。


下から眺めると分かりやすい。斜面の崩落を防ぐ石積みとは異なっている。
経年変化で殆どバラバラになっているが自然に出来たものでないことはかなり明らかだろう。


人の手が加わって整地された場所があり、若干の石材が遺っている…しかしそれ以外にこの場所が何であったかを裏付けるものは見つからなかった。

更に斜面を登り、再び人の手が加わったような場所に出会った。
山の斜面がコの字状に削られ平坦な部分ができている。何かの目的で山を削ったのは確からしい。自然の状態でこの形に崩れはしない。[14:46]


この裏手の藪に入り周囲を見渡したが遺構らしきものは存在しなかった。あらかたの位置を持ち歩いている手帳に記入しておいた。

暫く藪を漕いで突然現れたのは、巨大な岩とその前に散らばる石材群だった。[14:48]


荒削りの石材が何本も散乱していた。
そのすぐ背後は高さ数メートルの巨岩だった。
敏感な一部の読者はあることを感じ始めたかも知れない…


石材の大きさは足に対してこの位である。
石段に使われるのとほぼ同じサイズだ。

既にお気づきの読者もあると思うが、この石材群は一時間ほど前に訪れたのと同じ場所である。写真を眺めればかなり明らかなのだが、現地の自分はそのことにまったく気付いていなかった。恰も初めて訪れた場所であったかのように丁寧に写真を撮っているのがその証拠でもある。
この平地の背後に聳える巨岩が独特だ。
岩自体はここに遙か昔からあったのだが、手を加えることで今の絶壁のような形になったらしい。


岩の表面に遺った半円形状の筋。ドリルのような機械を使って穿孔したのだろう。鉄棒を打ち込むだけではこれほどきれいな筋は遺らない。
白岩公園が造られる時代にそのような道具はあっただろうかと思う。
削岩機械が普及した時代に岩を削った跡なのかも…


上部には楔を打ち込んで岩を割ったような痕跡も確認された。


この場所に御堂を建てるために岩を削ったのではないか…とも思われた。
それで周囲を調べているうちに御堂の痕跡かも知れない加工物を見つけた。


レンガである。木の根元に半分ほど露出していたものを引っ張り出してみた。
半分ほど欠けており、見かけは新しいもののようにも思われた。


レンガがあるということは、この場所にも先ほど訪れたのと同種の祠か御堂があった可能性が強い。もしかするとかなり早い時期に壊れてしまい撤去されてしまったのではないかとも思われた。
落ち葉で隠されているだけで、この近辺は石材や間知石が埋まっているようだ。あるいはその下に弘法大師像や薬師如来像も埋もれているのだろうか…

道具があれば木の葉を除去して掘り起こしてみたかった。素手ではもてあますほど大量だったし、以前の踏査みたいにMKDが這い出て来るのを目にするのも嫌なので自重した。

この場所も手帳に記入して更に斜面の上部へ登った。

(「白岩公園・第五次踏査【7】」へ続く)

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