白岩公園・合同調査会(平日編)

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現地踏査日:2013/11/21
記事公開日:2013/12/1
4日前に行った休日編に引き続き平日編を開催した。この日は朝から晴天で、天気にやきもきさせられた休日開催組とは対照的だ。
本題から外れるので手短に述べるが、この日は定刻の午後1時より30分程度早く現地へ行っていた。現在追跡している市道藤曲門前線について撮り直したい写真があり、終点側からちょっと歩いて撮影に行っていた。そこで藤曲八十八ヶ所の祠の一つ(81番)を撮影しているとき、すぐ近くの家の方が出て来られて話を伺うことができた。そのとき得られた情報は市道の成り立ちに関する深遠な内容を含んでいて、思わず話が長くなってしまった。

またお話を伺いますとお礼を述べて駆け足で駐車場に戻った。既に参加メンバーが到着していたので本当に駆け足だった。申し訳ありませぬ…m(__)m

平日編の参加者はM氏W氏の3名である。休日編では車で現地を訪れていたので、今回も道中の労力は節約しようということで私の軽四で乗り入れた。
なお、今回私自身が撮影した写真は前回の休日編よりも更に少ない。このため記事自体は淡泊かも知れないが現地では思い切り濃いひとときを過ごした。以下、写真と私自身が思い起こせる範囲で述べておこう。

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どういう訳か、私は白岩公園関連においては「隊長」ということになっている^^;
まあ、確かに怪しいものがあると見るや何処へでも突っ込んでいく探検的性癖においては当てはまっている。しかし最初に探検ぶりを発揮したのは、私ではなく周囲を丹念に観察していたW氏だった。

確かボール橋を過ぎて最初の沢の近くだったと思う。
「あそこの岩に何かあるんじゃないか?人工物か何かが。」
この日は今まで複数回白岩公園を訪れたうちでは最も日照の得られた回だった。斜面のかなり高い場所に露岩があり、その一ヶ所が妙に輝いていたのだ。


ズームで窺ってみた。写真でも恰も洞窟の入口が黄金のように光っているように見えるだろう。


もっとも正直な話、私はその場所に何か特筆すべき人工物が存在することに否定的だった。もっとも岩の表面が明るく見える角度と強さで日の光が降り注いでいることと、周囲の藪が暗いことによるコントラスト効果だろう。
他方、そういった決めつけによって重要な遺構を見落としていた可能性は拭い去れない。その岩までの斜面は非常に急だったが、足掛かりの良い地面で頼りになる枝も豊富にあったのでさっそく接近することに。

すぐ傍まで行って確認した。残念ながら自然の岩の空隙が日光を反射しているに過ぎなかった。


この”輝き岩”に隣接して殆ど垂直に切り立った大きな露岩があった。
岩下からの直高は5m以上。ロッククライマーなら美味しそうな岩場に見えるのだろうか…


結果としてこの案件は空振りだった。しかし同様の事例は今までお届けした数回の踏査レポートでもまったく普通に起きる現象である。こういうのはプロセスが重要で、結果は確率論だ。宝くじをゼロ枚買っている状況からは何の果実も生まれないように、目の前で見過ごされたウォッチ対象は永遠に知られないままか、次に着目されるまでそのままだ。真偽を調べる労力がそう大きくないなら、なるべく多くの案件に接することで経験則も生まれてくる。それは同種の別案件を調べるとき役に立ってくれる。
この明るく光る露岩が結果的に自然のものだったとは言え、過去に白岩公園を訪れて同様に着目した人が居る確率は100%と思う。ただ、その露岩に対して誰も「働きかけなかった」ことと、過去に観察した人との繋がりが皆無なので特殊性を持たないだけである。[1]

次にメインの園路を外れて梵字池に案内した。
今回は池の内部へ入って木の葉と泥を被った石盤を再度掘り起こした。


表へ現れている部分はまったく欠けの一つもなく新しそうに見えるが、法篋印塔などの設置時期とほぼ同じなのは疑いないと考えている。白岩公園の初期が個人の修養の場として造られた背景にも呼応している。
この石盤は未だに完全には掘り出していない。見かけ上石盤と呼んでいるだけで、この下がどれほど深く埋まっているかまだ分かっていない…と言うか、畏れ多いのと道具がないために掘り起こさずにいる。大量の土砂が溜まっているので、すべて浚えたら何か特殊なものが出て来るのはほぼ確実とさえ考えている。

メインの園路に戻る。
梵字池へ降りる階段との分岐点近くには、どういう訳かガラス片などのゴミが散らばっている。その異変は初回踏査のときから気付いていた。
「やたら瓶とかが落ちていますね。」
「ガラスが多いな…売店などがあったのかも知れないな。」
茶碗の欠片に混じって何故かゴルフボールまでも…


「ゴルフボールか…こんな所まで来て遊ぶもんだろうか。」
「子どもの遊び道具も多いです。野球のボールは2個見つかっているし、ビー玉なども…」
どういう訳か白岩公園に見られる遺棄物は子どもの遊び道具が目立つ。その他にガラス瓶類が多い。花見客が呑んだ後の酒瓶を投げ捨てたのだろうか…
ビニル系のゴミもあるにはあるが少数だ。極度に古く珍しいゴミが見当たらないかわりに例えば平成期に入って台頭してきたペットボトルは殆どない。ざっと観察して最近5年以内のものと推測されるゴミが極めて少ない。

前回の休日編と同じルートで案内した。即ち例の井戸のある場所だ。
果たしてこれが何であるか…


井戸の先には思わせぶりな空隙がある。正面は先の明かりが見えたが斜め上に向かう空隙はちょっと分からない。
「何処か上の方から続いているのでは?」
「検証してみよう。」
私もこのたびは思い切り奥まで頭を突っ込んでカメラを差し出した。
肉眼では明かりが見えたのだがカメラを構えた方向とは異なっていた。


明かりはかなり上の方に認められた。それで直上の岩がある59番の祠まで登ってみた。
「ここだ…ここに空隙がある。下から繋がっている。」
空隙は岩々の積み重なった隙間であった。[1]…ということは落ち葉が積み重なって分からなくなっているだけで、天然の落とし穴が出来ている可能性もあった。
実際思いがけず足が木の葉の下へ深くハマる場所もあってゾッとした

この調査の過程でM氏が面白い指摘をしてくれた。
「なんかこの樹木…面白いですね。形が。」
「根っこに近いところで二つに裂けてるな。」


指摘されればまったくその通りだ。しかし今まで複数回訪れていながら、私は白岩公園に生い茂る樹木に殆ど目が向いていなかった。探索する上で邪魔になるなー程度の認識しかなかったのである。
確かにその樹木は根元近くで裂けたというか夫婦松みたいに二またに分かれて正常に育っている。しかも二またの間にはツタにしては異様に太い別の枝というか幹というか、絡みついている。上下を逆に眺めたらなかなかにエロスを感じさせる樹木だ。

ここから大自然碑が近いので、先にそちらへ案内した。大自然碑はW氏が白岩公園で最も観たがっていらした案件だからだ。


大自然碑の良好な写真を撮るために、周囲の枯れ木を取り除いたり、石碑の表面で手の届く範囲の雑草をつつき落とした。[3]

なおも影となっている部分が多いが、日照の多さでは今までにない環境だった。
設園当初ならこの文字部分すべてに日が当たる筈なのだ。


続いて隣接する五重塔の下へ移動した。


「この五重塔は何で出来ているんかな?」
「セメントだと思っています。いくら何でも岩を加工してこれほど削り出すとも思えませんし…」


「台座の脚がちょっと欠けてるな…」


カメラを頭上高く差し出しズーム撮影している。
台座の上部の文字は「新四國奥之院」だ。
当初は「新西國」のようにも読めてちょっと不安だった


セメント造りという私の説は自信がなかった。いくら何でもこれほどの塔を一つの岩から削り出すなど途方もないことだという考えからだった。
「この五重塔って…砂岩を削ったんじゃないかな?」
W氏は当初からセメント製に疑義を差し挟んでいたらしい。
五重塔の台座部分は接近して目視することはできたが、表面は限りなく均質かつ滑らかである。だから型枠に流し込んだか、粗方の形状に造りあげたものを細かく削って整正したのではと推測したわけだ。

W氏が「五重塔セメント説」を覆す証拠を発見した。
「これ…やっぱり軟岩を削ったんだよ。ほら、鑿の痕が遺っている。」
そう言って台座部分の裏側を指し示した。
紛れもなくこれは鑿の痕だ。


台座の目に着かない部分は荒削りしたようだ。
もしセメントだったらこんな状態にはならず、鏝で均したような仕上げになる筈だ。


M氏も五重塔の近くから砂岩説を裏付けるものを見つけ出した。
「これは水煙部分ですね。台座と同じ材質みたいです。」


つまり五重塔はセメントを練って整形したのではなく、些か薄茶色っぽく柔らかな石材から削りだしたものと言えそうだ。
「何という石材なんですか、隊長?」
「さあ…分かりません。地学やっていなかったものでsweat[4]
しかし五重塔に使われている石材が白岩公園には普遍的にみられる巨岩とは質的に異なることくらいは分かる。この岩は霜降山近辺に特有のものが目立ち、恐らくは花崗岩由来である。硬いが粒が粗く風化により真砂土になる。
他方、五重塔に使われている石材は粒かかなり細かい感じがする。実のところ同種の岩で粘土などの比率が異なるのかも知れないが、少なくともこの近辺で産出する岩とは思えない。今思えば、この石材は白岩公園の中にも数ヶ所存在する祠に安置されたお大師様の材質に酷似している。

設置年月は脚の大自然碑側に向いた部分に刻まれている。
現在ではまず使わない十干十二支による年号と「吉辰」の文字が興味深い。


この後、法篋印塔に向かう3連続石段を経由して大自然碑の大元となった八丁岩の上に移動した。
大自然碑こそ白岩公園の大いなる象徴であり、思い入れも強かったのであろうか…W氏は八丁岩の上に我が物顔で蔓延る枯れ木などを除去し始めた。もしかすると小学校の遠足などでここを訪れ、八丁岩の上に座って友達と一緒にお握りを頬張った私的想い出を呼び戻すためなのだろうかとも思慮された。

一時期は確かに東の常盤公園と比肩して語られた白岩公園。それほど市民に親しまれていながら、今はまったく顧みられず自然がすべてを支配下に置こうとしている…いや、待て。これは我々人間が造りあげたものだ…自然の恣に荒れさせることは許さない…
八丁岩に刻まれる文字は、当初設園者笠井氏による「慈善慈愛」となる予定だった。しかし渡邊祐策翁が現地を見学したときに思い付いた「自然」を元にした”大自然”となり、このときより八丁岩は大自然碑として白岩公園の象徴となった。
ここに必要なのは、調和だ。人間による力業での自然支配ではなく、自然による恣意的な侵食でもない調和。自然は美しいが、人の造りあげたものも負けない位に美しい。それらが調和した理想の姿は、やはり設園当時もっとも市民に親しまれていた頃の白岩公園ではなかろうかとも思われたのだった。それ故に私はW氏が八丁岩の上の伸びすぎた木々を刈り取る姿を黙って眺めていた。

M氏がまた別の奇妙な樹木を指摘した。
「この樹も…なかなかのものですねえ。」
奇妙に節くれ立っているし、なぜか根元よりも上の方が太い。自然に生えている樹木ながら、何とも禍々しいという印象しか抱けなかった。
この日私が撮った最後の写真である


「どうにかしないと…本当に宇部のアンコールワットになっちゃうよね。」
白岩公園は平成期に入って荒れてしまった後もいくつかの書物によって紹介されている。しかし訪問回数や関わった人数からすれば、今年3月に出会ってからの調査が最大規模なのは疑いない。それでも仮に私たちが一連の調査を終えるか灯を消すかすれば、白岩公園は再び自然の手によって「引き戻される」だろう。
白岩公園初期の写真を観ると、雑木が非常に少なく眺めが効いていたことが推測される。少なくともここに写真を撮ったような奇っ怪な樹木は見えない。
仮に現状の自然に手を入れるとして、何処まで行うのが妥当なのかは意見が分かれそうだ。昔の景観に戻すために、昭和初期の写真には見えない樹木をすべて取り除くという仮定は現実的ではなく、また妥当とも思えない。設園時の昭和初期と今を比べた場合、白岩公園を含めて広範囲に植生が変わってしまっているからだ。昔を偲んでマツを植樹したとしても根付く保証がない。

法篋印塔を案内した後、倒木峠に下ってそこから上池の左岸に移動した。この場所は竹害が最も酷い場所で、多くの石積みが影響を受けていた。このような場合は竹を除去するのもやむなしと思う。

休日編でK氏が主要な幹にテープの目印をつけてくれていたので、忠魂碑と7番の祠は無事案内することができた。しかしそこから倒壊御堂の6番祠へ到達する経路が分からなかった。
K氏の指摘を受けて自力で踏査したときは、結構苦労しながらも忠魂碑と倒壊御堂を続けて見つけていたので、それほど距離が離れていないという思い込みがあった。

酷い藪はなかったが、動き回るにはかなりきつい斜面だった。参加メンバーを引き連れて山中を迷わせるわけにはいかない。休日編に見つけた倒壊御堂の扁額の件があったから、私は何としても現地へ案内したかった。それで野ウサギ的勘と踏み跡を見極めて、倍速で藪の中を走り回って偵察した。しかし結局倒壊御堂への経路を見つけることができなかった。

ボール橋手前の沢まで降りてきて平日編の合同調査を終えた。それでも主要な遺構を案内し、現状がどうなっているか、今後どうするのが妥当なのかの提示が出来て良かったと思う。
さて、合同調査としてはこれにて終了だが、踏査シーズンはむしろこれからが本番である。何しろ3月末に最後の調査を終え、接近不能になる夏場をやり過ごして11月を迎えたのである。寒くなるとは言ってもこれから4ヶ月は藪を分け入る濃い調査も可能だ。
とりわけ急がれるのは、休日編で見つかった倒壊御堂の扁額問題である。これについては可能な限りの保存を行う旨宣言しているので、近日中に第八次踏査を行うことになるだろう。
…と言うかこの記事を書く現時点では既に実行済みである。

出典および編集追記:

1. 設園当時は現在よりもずっと藪が薄く開けていたことからも山裾に転がる数々の露岩が目立っていたのは明らかだ。

2. このときの探索の様子(要ログイン)

3. 棒きれを持っているショットがある。これは指示棒を持って説明しているのではなく、手の届かない高い位置の雑草をこそげ落としているところだ。(要ログイン)

4. 私の高校時代は文系に物理・地学の単位はまったく求められず授業は皆無だった。したがって中学生以上の基礎知識は持ち合わせない。
物理はいいとして地学はやっぱり知識として持っておきたいと思う

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