渡り八十八箇所

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現地調査日:2014/4/23
記事編集日:2014/11/29
大小路2丁目の北側斜面、渡り地区の山裾に渡り八十八箇所と呼ばれる祠や石仏群がある。
写真は渡り八十八箇所の名前を特定できた元となった祠の木製扁額。


所在地をポイントした地図を示す。


この木製扁額がある祠を含めて数ヶ所の祠が山道沿いに設置され、夥しい石仏や木彫りの像が祀られている。また、祠を過ぎた小道にはほぼ完全に藪の中へ埋もれた石仏が並んでいる。単一箇所にまとめて祀られている点で形態としては山門八十八箇所に近い。
しかし山門八十八箇所が現在も山門御大師講により管理され例祭も行われているのに対し、渡り八十八箇所は明らかに看る人が居なくなり荒れ果てている。特に礼拝所とも思われる平屋は屋根が抜け落ちて半壊状態となっている。

木製扁額によれば昭和35年3月建立となっているので半世紀程度の歴史である。市内の主要な史跡を収録する書籍には掲載されておらず恐らく地元在住民以外には殆ど知られていない。設立の背景などは郷土史などの情報を待つこととなるが、信仰心厚い一個人や団体が開設したものとも考えられる。[2]
《 アクセス 》
山門を通る昔からの道(市道丸山黒岩小串線)から渡り団地へ降りる道が利用できるが、坂がかなり急で車はまだしも自転車だと帰りが辛いかも知れない。
もう一つの経路として、琴崎八幡宮から山門参宮通り線に入り、市道大小路南側線を経由から渡り水路沿いの地元管理道を通るルートがある。このルートは遠回りだが坂道が少なく自転車は楽である。
上記の市道を参照されたい

大小路2丁目の地元管理道から山道が伸びている。
ガードレールの切れているところが入口になる。しかし渡り八十八箇所を案内するものは一切出ていない。


同じ場所を反対側から撮影している。
地区道がカーブしているところから渡り水路に架かるコンクリート床版がある。ここを渡った右側の山道を入っていく。
背後に見えているのはガーデンハイツ上宇部の建物


山の方へ向かう踏み跡は恐らく里道である。
夏場はもちろんそれ以外の季節でも雑草が生い茂り道の跡が淡くなる。


現地にロープなどは張られておらず立入禁止にもなっていない。しかし前述の通り私的案件かも知れないので、近隣住民および関係者に誰何される可能性は一応ある。祠などを観察する分に問題はないと思われる。

2014年11月下旬の訪問時には周辺の草刈りが行われて立像などが見えるようになった。合わせて記事作成時には蜂に阻まれて進攻困難だった枝道部分(後述する)を調査しほぼ全容が明らかになった。
《 概要 》
渡り水路から先数十メートル程度踏み跡を辿ると先方に農機具小屋のような祠が見えてくる。
山道は踏み跡こそ分かるものの普請されていないようで冬場でも草むら状態である。春先から夏場にかけては接近も困難になる。[2009/4/10]
この写真のみ常盤用水路の踏査目的で訪れた5年前のものである


この場所については後述するように常盤用水路の全線踏査の過程で偶然発見している。当時は石仏や祠に対する理解と言うか耐性ができておらず、薄気味悪く生理的に受け付けない状況で踏査以前の段階であった。
以下の写真は、最近常盤用水路の渡り付近における写真を撮り直しに出かけ、このときに祠の存在を思い出して撮影してきたものである。この種の写真を苦手とする読者もあると思うので一部の掲載にとどめる。
リアリティーを緩和するためにIE系のブラウザでは写真をモノクロ表示に設定している

山道の途中に祠がいくつも並んで建っている。
祠には夥しい石仏が格納されている。


御不動尊と思われる等身大の像が祠の一番奥に設置されており、そのすぐ背後に民家がある。


民家は屋根部分がほぼ壊れており廃屋状態になったまま相当年数が経っている模様。一部の場所が神仏の礼拝所を兼ねているようだが、ここでは詳細を報告できない。

平屋の玄関部分から横に伸びる枝道があり、コンクリート造りの石仏が並んでいる。
石仏は藪に埋もれていてこの先は荒れ道で進攻困難であり詳細を調べていない。
踏み込む途中で蜂が飛び交っているのを見つけ危険を感じて退散した


この枝道の行き先は不明だが、八十八箇所自体はそれほど広範囲に設置されたものではなさそうである。

半壊状態の平屋のすぐ横には工事現場などによく見かける仮設トイレがある。


同様のトイレは広田の丸山様でも見かけたことから、個人使用目的ではなく来訪者向けに設置されていたらしい。割と最近まで訪れる人があったようだ。ただし現地の状態から言って周辺の草刈りなど普請なさる方はあるにしても祠そのものは管理の手を離れている可能性が強い。踏み跡は半壊家屋の横から山の方へ伸びているが、その奥に建っている別の民家付近で消えている。常盤用水路へ至る道がかつては存在した筈だが、現在は詳細が分からなくなっている。
《 個人的関わり 》
渡り地区の北側を常盤用水路が通じている。数年前、常盤用水路の全線踏査でこの区間にある開渠へ向かおうとして偶然見つけた場所である。山道の先に半壊の民家とうらぶれた祠や石仏を見つけ、入ってはいけない私有地と思ったこともさることながら、あまりにも異様な雰囲気に圧倒されて引き返した経緯があった。[1]
詳細な実態を調べるために初めて現地を訪れたときのレポート。全3巻。
渡り八十八箇所は私的物件かも知れないこと、一般公開するには相応しくない画像や記述を含んでいることから、次編のみを一般公開とし、後続の2巻を限定公開としている。あらかじめご了承頂きたい。
時系列記事: 渡り八十八箇所【1】
歴史的に重要な遺構と認識しているものの廃物件に近い要素を持つことから他の八十八箇所とは明らかに異なる雰囲気がある。廃屋系の物件に慣れている読者は問題ないと思われるが、暗がりの写真や古い石仏の醸し出す雰囲気が苦手な方は閲覧に注意を要する。
特に一部の写真には刺激のきついものがある…それらは認証ボタン押下後に表示されるよう配慮している

現地の状態から、渡り八十八箇所は先々で管理者不在のまま整理されてしまうかも知れない。
《 近年の変化 》
・2017年2月上旬のこと数年振りに再訪した。現地にある石仏や御堂類はそのままの状態だが、半壊状態の民家は完全に倒壊していた。ただしもっとも数の多い石仏は以前訪れたとき草まみれで接近不可能だったのが一通り観て歩けるように草刈りされていた。管理なさっている方か荒廃を避けるために定期的に草刈りされている地元在住者があるものとみられる。(2017/2/8)
出典および編集追記:

1. 地図ではこの場所から行く以外道はなかろうと考えていて他の経路を考えていなかった。このため進攻不能となりこの日の現地踏査を諦めて撤収している。
帰宅して再検討した後もやはりこの場所から進攻する以外ないと考え、同じ場所に自転車を停めて歩行踏査を開始している。その際に石仏や祠の前を通るのが嫌でわざわざ道のない藪の中を分け入って常盤用水路に到達している。風呂ヶ迫池近くにある渡り八幡様も同様に常盤用水路探索の過程で偶然見つかっている。

2. 上宇部校区のふれあいセンターで入手できる「上宇部歴史マップ」(イキイキ地域づくり ほうゆう上宇部)には渡り八十八ヶ所の記載はされていない。このため一個人ないしは団体による私設の参拝所だった可能性が強い。

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