従兄弟に誘われ、殆ど嫌々ながら乗った初代ジェットコースターの記憶をたぐれば、間違いなく夫婦池の水面目がけて突進し水面近くで大きくカーブして急上昇するコースがあった…
記憶違いがなければ、夫婦池の汀付近に基礎の跡が遺っている筈だ。
そうは言っても本土手の用水路と夫婦池の間は殆ど護岸まで笹藪が押し寄せており、すべての汀を調べるのは不可能だった。それで藪が薄くて接近できそうな場所だけあたってみた。
そして意外に分かりやすい場所にその痕跡を見つけることができた。
来るとき自転車を停めて降りてきたその場所だ。
ここでは夫婦池の護岸が見えており、接近することができた。実際、私は今日初めてここを訪れたとき護岸まで接近して夫婦池の写真を撮っていた。
ここにあった。
回り込んで反対側から撮影している。
この基礎だけでなく、そこから汀へ降りる階段のようなものが見えるだろう。
私はこれを夫婦池の管理用階段ではなく、ジェットコースターの橋脚基礎の一部ではないかとみている。階段状になっているので水面へ接近して水を汲むなどの用途もあっただろうが、この階段の下にもう片方の基礎があると推測される。
基礎の上に積もっている木の葉や土を払いのけてみた。
同様に階段部分も長い木の枝を使ってざっと木の葉を払いのけてみた。
(転落の危険があったので階段部分に降りることはできなかった)
この場所の位置関係。
片方の基礎が土手部分、もう片方があのコンクリート階段状部分の水面下にあると思う。
護岸に立って反対側から撮影。
先ほどは同じ位置に立ち、真反対を向いて夫婦池の写真を撮影していた。
ジェットコースターの記憶では本当に夫婦池へ突っ込むように体感されたが、実際にはそれほど水面には接近していなかったのかも知れない。何しろ速度が出ているし、急降下で水面に向かうので視覚以上に水面へ激突するよう体感されるのだろう。
それ故に夫婦池の中ほどまでジェットコースターの橋脚が伸びていたとは思えず、ここより更に夫婦池側の基礎は仮にあってもあと一ヶ所程度と思う。
そのうちの一つではないかと思うのがこれだ。
ここへ来たときから姿をアピールしている塩ビのパイプの近くに草の塊が見えている。この草の塊がとても怪しい感じがする。
表面を草に覆われているが、もしかしてコンクリート基礎が隠れているのではないかと思う。
現地は足掛かりの悪い土斜面で転落の危険があったので接近できず、厳密な確認はできなかった。
なお、この場所がすぐ分かるように階段部分の木の葉を払いのけたとき使った木の枝を立てておいた。
(今ならまだ同じ位置に立ち続けているはず…^^;)
さて、現地にあるのは不相応に大きいコンクリート基礎と、切断された鉄骨の一部である。
最大限に注意深い判断を下すなら、これらのすべてが初代ジェットコースターの基礎とは断定できない。C型チャンネル鋼は特殊なものではなく道路際に建てる広告看板にも使われる。
それにもかかわらずジェットコースターの基礎跡と断定するのは、自身の記憶だけではなく、それが用水路の管理には邪魔になる場所にも設置されているからだ。
道路から眺めるための広告塔なら、普通は道路敷近くに設置するはずだ。わざわざ水路の傍らに建てるようなことは水利組合が許さないだろう。
今でこそジェットコースターは遊園地には付きものだが、昭和中期の当時はジェットコースターは何処にでもある物ではなく、非日常的なスリルを与えてくれる貴重で大変に人気のある遊具だった。
(当時の常盤公園のジェットコースターは西日本随一レベルの規模と人気を誇っていた)
スリルを追求するためにジェットコースターのコースがかなり早い段階で夫婦池側へ張り出すように設計され、人々に娯楽を提供する遊園側の意向が反映された感じがする。用水路を管理する側からすればあまり歓迎されない橋脚だろうが、遊園の集客力を考えて容認されたのだろうか。
これまでに見つかった基礎の跡およびその可能性があるものを地図に落としてみた。数字は見つけた順番である。
豪速で急降下急カーブを繰り返すコースターの安全度を担保するためには、比較的狭い間隔で軌道の脚を設置する必要がある。例えば2と3の間はやや離れており、この区間にもう一対くらいは遺っている可能性があると思う。
例によって、昭和49年度まで過去に遡って現地を眺めてみよう。
「国土画像情報閲覧システム - 常盤池南部(昭和49年度)の航空映像」
(http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CCG-74-12&PCN=C23&IDX=16)
(別ウィンドウで開いたページ右上にある400dpiのリンクをクリックすると高解像度の画像が表示される)
初代ジェットコースターのコースが写っている筈なのだが、夫婦池付近や市道の立体交差部などは不鮮明で線形が分からない。この写真と先ほどの基礎発見マップを合わせても軌道の同定は困難である。(http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CCG-74-12&PCN=C23&IDX=16)
(別ウィンドウで開いたページ右上にある400dpiのリンクをクリックすると高解像度の画像が表示される)
(遊園に問い合わせれば初代ジェットコースターに関する資料が入手できるかも知れない)
また、用水路側にこれだけの基礎跡が遺っていたということは、市道を挟んで遊園の敷地側にも未だ遺っている可能性はある。しかし今日のところは当然探索できなかった。一連の調査を終えて自転車の元へ戻る間も、2代目ジェットコースターの軌道撤去作業が粛々と続いていたからだ。
基礎跡が遺っていたということは、それだけ昔は廃物の撤去作業に関して大らかだった(悪く言えば粗雑だった)とも言える。しかし今後はあり得ないだろう。それと言うのも現在行われている撤去作業では、このように橋脚のコンクリート基礎も含めてすべて破砕し丁寧に撤去していたからだ。
こういう状況なので、この先更に数十年が経過して2代目ジェットコースターの軌道が何処を通っていたか基礎の痕跡から推測するなど、今私がやってきたようなことを行う余地はない。写真などで記録して遺さなければ、気がつけば誰も知らない状況になってしまうだろう。
(昭和中期のことですら記録がないと未知の遺構となってしまうのは常盤池の水没建築ブロックの例で明らか)
一連の踏査を終え、私は次の物件に向かった。
この日すべての踏査を終えてアジトへ帰るとき、たまたま再び遊園の近くを通った。何故か部分的に撤去され途切れている2代目ジェットコースターの軌道を見つけた。
この記事をお読みになる頃には、写真のような光景も既になくなっているに違いない。そして同じ写真を撮影することは、もう誰にも出来ない。永遠に。
新しいものを計画し造る人がいる。
古くなったものを壊す人がいる。
そして痕跡を探しに向かう人も…
初代ジェットコースターが撤去された後に、今まさに解体されている2代目ジェットコースターが造られた。古くなったものを壊す人がいる。
そして痕跡を探しに向かう人も…
その2代目が撤去されるなら、恐らく3代目のジェットコースターが造られるだろう。何もなしでは遊園部門の魅力を大いに欠くだろうから…
3代目のジェットコースター軌道すら撤去され設備が更新されるとき、私は何処で何をしているのだろうか…
それより何より、かつて西日本随一を誇る初代ジェットコースターがここに存在し、人々に興奮と絶叫をもたらし、役目を終えて静かに解体され、その痕跡が実は今もひっそりと夫婦池の畔に眠っているなどという事実が正しく伝えられるだろうか…と思われたのであった。
終