常盤公園・青年の家

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記事作成日:2014/8/10
最終編集日:2019/2/1
青年の家は、常盤公園の東側でかつて営業していた青少年向け宿泊研修施設である。


地図で位置を示す。


青年の家は昭和37年に開所[1]し、かつては宇部市子ども会連合会の事務所が置かれていた。[2]このため子ども会関連のイベントや集団宿泊で利用した市民は多い。利用者の減少い伴い平成24年に閉所されたが、本記事を作成する現時点において建物はなお現状のまま遺っている。
現在は閉鎖されているので建物自体への来訪需要もないだろうが、常盤公園の旧東入口からの道から容易に到達できる。詳細は以下の派生記事を参照。
派生記事: 常盤公園・旧東入口(青年の家入口)
青年の家が閉鎖された現在では車両通行止めになっていて車止めのバリケードが至る所に設置されている。周遊園路を散歩やジョギングする人たちが青年の家の前を素通りしていく。

常盤池沿いの狭い周遊園路からも出入りできていたが、青年の家閉鎖後は扉が閉じられ廃道状態になっている。


ときわ湖水ホールの下、常盤池沿いの周遊園路からは青年の家の裏手を見ることができる。かつては建物の裏側から直接園路に降りる出入口があったがこちらも完全に廃道化している。


裏手の斜面にはときわ少年キャンプ場と共用していたと思われる手洗い場の痕跡が存在する。
《 概要 》
旧東駐車場から歩いてきたときの青年の家全体像。
左側がグラウンド、右側には現在も公園緑地課による資材置き場やビニルハウスがある。


建物の玄関に相対して割石を乱積みして造られた壁があり、「宇部市青年の家」の石盤がはめ込まれている。


玄関付近。
玄関扉は施錠されていて閉鎖後の一定期間は貼り紙がされていた。


建物の裏手はすぐ常盤池に面した緩やかな斜面となっているため背面全体の撮影はできない。
玄関横からの撮影。
管理人平屋がなくなった後の映像


写真を撮り始めたのは閉鎖後のことなので、建物内部に入って撮影した写真はない。しかし来訪者の予約を記載する黒板および[2]によれば以下のような構成だったと推察される。[5]
1階: 寝室(3室)、食堂、風呂、便所、洗濯場、事務所
2階: 寝室(8室)、会議室、大広間(2室)
3階: 寝室(6室)、小広間
寝室と言っても現在の旅館のような部屋ではなく、2段ベッドの設置された複数人数が寝泊まりする施設だったようだ。この仕様は常盤池湖畔北に存在するユースホステルに似る。
食堂は大勢で会食できる広い部屋があるほか、調理向けの厨房がグラウンド側にある。玄関以外の出入口がこの厨房と便所付近にあった。
屋外に関連設備としてシャワー室、燃料庫、ボイラー室、駐輪場があったが、2014年3月までに隣接する管理人の木造平屋と共にすべて撤去された。

青年の家のグラウンドとときわ少年キャンプ場が隣接している。


キャンプ場は青年の家閉所後も暫くは利用できていた。しかし本記事作成時点では同様に閉所された模様である。[3]

青年の家とときわ少年キャンプ場の間には真砂土で整備された広いグラウンドがある。グラウンドの周遊園路寄りには現在も国旗掲揚向けのポール3点セットが存在する。


青年の家への給電用電柱には常盤荘という銘板がみられる。
これはかつて存在していた国民宿舎の名称ではないかと思われる。


国民宿舎常盤荘は、現在の公園緑地課事務所がある真向かいにあった。[6]現在は建物などはすべて解体され駐車場の一部となっている。
《 個人的関わり 》
前項の派生記事でも触れた通り、青年の家は個人としても学校などの団体経由でも利用したことがない。常盤池の岸辺に近い周遊園路を散歩することは何度かあったが、その折りにコンクリート造りの古そうな建物があることだけは気付いていた。しかし今までの自分に何の関わりもない場所だったため撮影していなかった。

中学生時代に自転車で友達と訪れたことが一度くらいあるかも知れない。建物の中へ入ったかどうかは覚えていない。[2]の読者によるコメントでは、子ども会の行事で集団宿泊に参加したという声がかなり多い。しかし恩田校区に居た私自身は子ども会でも学校の行事としても宿泊で利用した記憶がまったくない。宿泊を伴わないイベントで訪れたことはあったかも知れないが、校区により差があるものと思われる。[4]

《 記事公開後の変化 》
閉鎖後も青年の家の建物自体は取り壊されることなくときわ公園課(市公園緑地課より分課)が倉庫ないしは作業室として利用している。一階の部屋で職員の会合が行われていることもあった。

建物は庇の一部が崩落するなど傷みが目立つものの、完全に取り壊し除却するのではなく改修工事を行って「ときわ公園サポートセンター」として再生するようである。用途としては市民活動や健康づくりの拠点が予定されている。[7]ただし具体的な改修時期は明らかにされていない。
初めて記事掲載目的で写真撮影に訪れたときの現地の様子。建物の外から見える範囲で内部の状況や中庭などを詳細に撮影している。全4巻。
時系列記事: 青年の家【1】
【 FBセクション 】
外部リンク記事: FBページ|2019/1/31
出典および編集追記:

1. 宇部市のホームページ「宇部市|青年の家」によれば、開所は昭和37年、平成24年6月30日をもって閉所となっている。「ときわ公園 園内マップ」では既に青年の家と記載されている。

2.「FB|2014/8/2投稿分」の読者コメントによる。

3. 青年の家閉所後も暫くはグラウンド及びときわキャンプ場の利用は可能でときわ湖水ホールが受付窓口となっていた。現在はキャンプ場の標識柱が外されている。

4. 小学校高学年時、恩田校区の子ども会イベントでキャンプ会が計画されたことがあった。しかし当日は荒天で実施できなかったため恩田小学校の体育館内にテントを張って擬似的なキャンプ体験を行ったことがある。これ以外に小学校時代の宿泊はない。

5. 建物は2階と屋上の構造で3階はない。玄関の真上にある離れのような部屋を3階扱いで呼んでいたのか、あるいはこの黒板自体青年の家のものではなく別の場所にあったものを仮置きしているに過ぎない可能性がある。

6. 昭和49年度版の国土地理院による航空映像では建物が確認できる。

7.「緑と花の計画・基本方針|宇部市」の p.20”緑と花と彫刻のブレスレット構想”でマップに掲載されている。
《 心霊スポットについて 》
ネット検索によると、青年の家を心霊スポットとして紹介している記述が数多く見受けられる。当サイトも心霊スポット紹介のサイトからリンクされているようなので、本件に関しての見解を書いておく。

心霊スポットとして題材にされる理由は、建物の一般利用が閉鎖され周辺に樹木や雑草が生えて廃墟のような雰囲気であることに加えて、過去に園内の東エリアで起きた自殺事件に託けたものと思われる。この自殺事件については真実ではあるが、青年の家との関連性はまったくなく場所も東エリアという点しか共通しない。また、自殺や死亡事故は市内の何処でも起きていることであり、過去に遡れば常盤公園内においての死亡事故は何件も発生している。前述のように青年の家は単に閉鎖されたというだけで市職員は現在も使用しているし、改修して再度利用される計画もある以上、当サイトでは青年の家を心霊スポットとみなす扱いについて全く根拠のないものとして全面否定する。

本件の記事化は、失われるかも知れない物件を映像と共に記録することが目的で行われている。現地踏査中の雰囲気から記事本文にも些かオカルトめいた描写が含まれるにせよ、そもそも幽霊の存在に関しては個人的には(佐波川ダムの総括記事および時系列記事でも書いているように)以前から完全に否定している。

端的に言って、観察者の脳内にしか存在しないものを恰も実体あるかの如く決めつけ、遭遇を求めて探し回るなど全く馬鹿げた行為である。それでもなお雰囲気だけでも味わいたくてわざわざ夜間に青年の家を訪れようと考える方は、周辺の暗さに伴う足元の悪さと四本脚で追いかけてくるかも知れない野生動物(状況によっては金目のモノを狙う二本脚の野蛮な生物も含めて)による怪我やトラブルに遭遇しないよう忠告する。言うまでもなくそのような結果に対して当サイトは何らの責任も負わない。

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