玄場池

溜め池インデックスに戻る

現地撮影日:2017/1/29
最終編集日:2018/11/9
玄場(げんば)[1]は、東岐波区の大田にある溜め池である。
写真は堰堤からの撮影。


余水吐の位置をポイントした地図を示す。


地図で示される通り植松川の支流にあたる沢地を堰き止めた小さな溜め池である。

市道大田白岸線を進むと、起点より右側に堰堤が見える。


排水路と田の間の土手を進むと溜め池のフェンスが見えてくる。


堰堤の様子。
半分だけ草刈りされていた。


反対側の余水吐付近。
排水路を渡った通路の先は民家のようである。


樋門は堰堤の中央にある。
ネットフェンス門扉で施錠されていた。


溜め池は北側に延び、入江が2つに分岐している。


溜め池の奥の入江は水深が浅いせいか水草が繁茂していた。


東岐波郷土マップ[2]には玄場池についての記述はもちろん溜め池自体の名称記載もない。樋門より先の堰堤上に築堤記念碑などがあるかも知れないが、草丈が高かったので検証していない。
《 低水位時の様子 》
初めて訪れた2017年1月は溜め池が開栓されて水がなくなっていた。このときの写真を掲載する。


樋門の様子。一番下の栓が抜かれていて自然流入する水をすべて排水していた。
ズーム撮影画像はこちら


2018年に訪問したときは満水位だった。このとき撮影した写真に差し替えている。
《 溜め池北側の地形について 》
玄場池については溜め池本体よりもその周辺、特に北側の沢地に関して地形的な興味がある。
下の地理院地図は玄場池の北側に伸びる沢地の先端をポイントした地図である。


等高線を眺める限り、玄場池は上端部の沢地にかなり余裕がある。このような場合、通常は堰堤を可能な限り高くするか、奥に別の堰堤を築いて水位の異なる二段三段の溜め池を造ることが多い。しかし現状は沢地のままで沢の上端は荒れ地になっている。昭和40年代の航空映像では耕作田となっていることが分かる。堰堤を造る労力に見合うほど湛水量が期待できなかったか、元々玄場池が補助溜め池という位置づけだったからだろうか。

もう一つ気になるのは、等高線を見ただけでは分水界が分かりにくい点である。
玄場池から最も長く伸びる沢地の北西側には明らかに北へ下る沢地があって小川の記載もある。しかし枝分かれしてまったく無関係な方へ通っている水色のラインも見える。うねり曲がって東へ向かう線は河川ではなく灌漑用水路である。

この灌漑用水路は山立石溜め池の水を尾根伝いに横尾池へ送るもので、山立石池の築堤と同時期の江戸期に造られたことが分かっている。灌漑用水路はできるだけ遠くまで水を送りたいので、基本的に近傍のもっとも高い尾根を伝うルートに造られる。しかし地図ではこの用水路が河川のように見えるため、等高線だけを眺めると混乱する。

地図では宇部市と山口市の市境ラインが奇妙に曲がりくねっているが、基本的にこの灌漑用水経路と一致している。このことから、昔市境を確定させるときの目安にされたのかも知れない。
《 地名としての玄場について 》
この溜め池の名称自体は防災マップなど詳細な地図には記載されている。
写真は東岐波ふれあいセンター前に掲示されている東岐波地区の地図に記載された玄場池。


前述のように、この溜め池に関しては玄場の正確な読みが分からず、小字絵図には記載がない。また、地名明細書にも収録されていない。ただし名字としては玄場の他に玄葉・玄蕃の如く同音の読みが存在するので、玄場は溜め池も含めて開拓者由来の地名なのかも知れない。同じ読みの地名は今のところ市内で他には確認されていない。
出典および編集追記:

1.「げんば」の読みは重箱読みであり、自然な訓読みにしたがった「くろば」の可能性も一応ある。「げんば」の読みを与えたものとしては例えば「漢字書き順辞典|玄場」がある。

2.「東岐波校区(PDF:5,720KB)

ホームに戻る