市道大田白岸線

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記事作成日:2017/1/30
最終編集日:2018/10/30
市道大田白岸(おおた・しろぎし)線[1]は東岐波大田地区の玄場池下より西に進み、四輪の通行不能な山道を経て山口宇部道路の旧料金所手前の尾根に至る路線である。
写真は起点付近の映像。本路線は正面に見える倉庫の右側の道である。


ルートラボを示す。


後述するように道そのものが物理的に分断されていることにより終点位置は不定である。
《 成り立ち 》
本路線は大田地区からスタートして沢地を遡行し、最後は尾根の上に到達しながらそこでいきなり終点となっている。如何にも不自然な路線であることが窺える。この状況は細かな山道も表示される地理院地図だとよりはっきりする。下図は本路線の終点付近をポイントした地理院地図である。


この道は尾根を下り、山口宇部道路の宇部東I.C.の東側にある白岸地区からの道へ繋がっている。白岸地区にはその他の道もいくつか記載されているが、山口宇部道路の西側には山道がまったく記載されていない。詳細な経緯は分からないものの単写真や航空映像などの客観史料を元にすれば、本来は更に西へ伸びる道があったのだが、山口宇部有料道路の建設によって分断され、後年は跨道橋も撤去されたため物理的な往来が断たれて自然廃道化したと考えられる。

農免道路市道請川王子線の交差点から分岐して北西に伸びる道は市道西蓮寺王子白岸線の一部であり、去年の12月にこの区間を調査していた。この市道も山口宇部道路を前にして白岸地区で突然終了するという奇妙な経路となっている。上の地理院地図では双方の道は山口宇部道路を前にして繋がっているが、実際には相互に往来は効かず両者の出会う場所から西へ向かって山口宇部道路を横断する跨道橋があったことが知られる。
派生記事: 白岸跨道橋(仮称)
この跨道橋は山口宇部道路の建設にあたって先述の道と西側が分断されるため通行補償として架けられた。山口宇部道路の建設以前の航空映像を観察すると、確かに双方の道が現在の山口宇部道路の西側で合流する地点があったことが窺える。
初めて白岸地区を訪れたとき、地元在住者から山口宇部道路の建設以前に「山立石の溜め池で泳いだり魚を捕りに行ったりしていた」という聞き取り情報が得られている。このことを裏付けるように、山口宇部道路の西側には山立石溜め池の入江の一つに向かう道が確認されている。[2]

平成期に入ってこの場所へ料金所を建設するために跨道橋が撤去されている。これによって山口宇部道路より西側の道へ到達する手段が完全になくなり廃道化してしまった。[3] 実際、地理院地図では山口宇部道路の西側には里道の記載がすべて取り除かれている。
以上の記述は跨道橋の総括記事を作成した折に移動する
《 経路の概要 》
起点はアスファルト舗装で1.5車線相当の幅がある。植松川の県管理上流端より先の沢地を辿るように進み、進行方向右側に民家といくつかの枝道がある。左側は休耕田で殆どが荒れ地となっている。


沢地の先端で若干の登り坂となり、右側に業者の資材置き場がある。坂道部分の路肩は鉄板で補強されている。その先で舗装路は終わりとなる。


この先で通行可能な道は3経路ある。一番右は植松池への管理道、一番左は植松新堤の管理道で、中央が本路線である。この総括記事の作成時点でイノシシ捕獲用の箱わなが置かれている。箱わなの手前アスファルト舗装辺りに危険告知の札が下げてあり立入禁止と書かれているが、箱わなを避けて先へ進むのは(認定市道でもあり)何ら問題はない。箱わなは野獣が餌につられて中へ潜入した時点でシャッターが降りる仕組みであり、人が横を通行するだけなら安全である。

山道の区間は荒れているものの整備すれば軽トラ程度なら通行可能な幅がある。かつては馬車も通行していた。しかし後述するような理由で現在は往来はまったくない。


この道路構造の規格のまま山口宇部道路の分断点手前まで向かっているものと思われる。箱わなを過ぎて程なくしてやや広い場所に出てきて植松新堤の入江の一つに降りていく分岐路がある。本路線は尾根を伝う登り坂の方だが、この場所まで往来されていた以前から通行実態がなくなっていたようですぐ先で深いシダ藪に阻まれ進攻は非常に困難である。


現在のところ終点側からのアクセスで古道の痕跡らしきものが見つかっただけで、全線連続の踏査はまだできていない。
【 山口宇部道路より西側の状況 】
本路線の終点は山口宇部道路を横断する手前だが、先述のように古道としては更に西側まで続いていた筈である。この辺りの里道が現在どうなっているかについては全く分かっていない。ただし市道請川王子線の沿線私有地に市指定史跡の笠塔婆が知られており、平成初期にこの市道が整備されるはるか以前から人の往来があったことは確実である。現在ではどの地図でも宇部東I.C.以西は市道を記載するのみとなっている。
《 Googleストリートビュー 》
2018年11月時点で本路線のデータ採取は行われておらず、起点から見通せる1ショットのみである。本路線は右側の分岐路になる。

進行操作を行うと本路線へは進まず、左側の道(市道立山北原引野線)側へ入るようになる。ピストン市道であり後半部分は四輪も通行不能な区間なので今後もデータ採取される可能性は低い。
《 記事公開後の変化 》
以下は未整理の情報を書き溜めている。いずれ整理し各項目へ移動される。

・速報として[3]を公開した後、有志メンバーが仕事でこの方面を訪れた折に箱罠の先を辿っている。先に同程度の幅の道が続いていて市道の続きであることは確実らしい。また、地図ではその先で折れ線路が描かれているが、これは植松池の入江の一つに降りていく枝道で、昔からの道は等高線で尾根を辿る形で伸びている。
冒頭の地理院地図ではこの線形をよく表現している


入江に降りる枝道を過ぎた先は短い距離ですぐシダ藪に阻まれ線形が分からなくなっていたと報告された。

・白岸跨道橋跡および本路線と市道西蓮寺王子白岸線との関連を調べようと2017年3月に白岸地区を訪れ、再び前回聞き取りを行った方に出会って追加情報を得ることができた。如何にも大田の方からも尾根伝いの道があり、子どもの頃自転車で走り回ったことがあるという。リヤカーを牽いて通れる程度の道だったらしい。本路線と市道西蓮寺王子白岸線の交点も最初期は山口宇部道路の東側にある目立つ高い樹木の辺りにあったと証言された。これは[2]で表示される航空映像に一致し、証言の正しさを示している。なお、藪漕ぎを敢行することによって本路線の終点近く、山口宇部有料道路で分断された古道の線形らしきものも確認された。[3]しかし尾根伝いの道はまったく特定できないほど自然に還っており、上記のシダ藪からこの場所までの区間は既に通行不可能と結論付けられる。(2017/3/12)

・2018年10月下旬に逆光で品位の劣っていた写真の撮り直し目的で植松池・植松新堤などと共に訪れた。植松池と植松新堤を訪れて本路線の未舗装路区間へ戻ってきたとき一台の車が停まっていた。進攻開始したときちょうど箱わなの方へ行こうとした年配の方に出会った。箱わなの管理者で、その場で聴き取りを行った。如何にもこの道は古道で、かつては馬車道であった。松茸の採取地でもあり昭和後期辺りまでは薪の採取にも来ていた。しかし車社会になってからは歩く人が居なくなり、現在は先に軽トラが転回できる場所があってそれより先は酷く荒れていると話した。[5]
本路線の全区間調査レポート。日を変えて3度訪れている。初回踏査時の写真は逆光で品位が劣るため本総括記事作成時に撮り直している。このため原典画像が存在しないものがある。
時系列記事: 市道大田白岸線【1】
出典および編集追記:

1. 市道路課線管理課の路線名リストでは「おおたしらぎしせん」の読みが書かれている。しかし白岸は地元在住民の聞き取りにより「しろぎし」と読まれていること、地名明細書にも白岸(しろぎし)として収録されていることからこの読みを採用している。

2.「宇部(C7)1962/05/22(昭和37年)国土地理院撮影の航空映像
画面左下の高解像度表示ボタンを押すと詳細画像が閲覧できる

3.「FB|市道大田白岸線(2017/1/28)

4.「FB|市道大田白岸線・終点付近(2017/3/12)

5.「FBページ|2018/10/28の投稿
《 個人的関わり 》
2015年にあてどなく彷徨っていて偶然に植松新堤へ到達したときが最初の通行である。
植松新堤へ出て堰堤上を自転車で押し歩きし、本路線の舗装区間末端部のここへ出てきた。
まだ資材置き場のフェンスが設置されていない


このときの往路は本路線と市道立山北原引野線との間の道(恐らく地区道)なので、還路で初めて本路線を通ったことになる。
本路線の大まかな経路や名称は初期の認定市道データベースを作成する段階で知っていた。料金所手前の山の上まで破線が記載され、そこで市道が終わっている理由が当初理解できなかった。

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