蛇瀬池・腰掛けベンチ

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現地踏査日:2012/3/21
記事公開日:2014/7/4
腰掛けベンチという項目で記事作成しているものの、収録される物件は「その上に座る」目的と思われる以外に共通する点がない。たまたま蛇瀬池の本土手に存在するものを相載せ的に無理やりまとめている。
《 樋管ベンチ 》
本土手の樋門小屋近くに、花崗岩製の樋管がベンチのように置かれている。
背後に見えるのは蛇瀬橋の橋脚部である。


樋管は溝状に削られた方を下向きに設置されている。支え石を入れて若干浮かせているので、恐らくベンチを意図したのだろう。


かつて木の栓を押し込んでいたと思われる穴は、上部が同心円状になるように削られていた。


この樋管は、現在のコンクリート製に更新される以前の昭和初期のものだろう。樋門小屋のすぐ横に石碑が建っていて年号が確認できる。この石碑自体も花崗岩の樋管を再利用している。
樋管の部材はすべてが引き上げられたのではなく、何本かは南寄りの岸辺に放置されていて水位の低いときだけ姿を確認できる。

ベンチ状に置かれている部材に関しては、造られた当時のことを想像させる興味深い特徴がみられる。
写真からそれが何であるか分かるだろうか。


樋管には端から3箇所ほど栓を差し込む穴が空いている。ところが片方の端には穴を空けようとして途中まで削った痕跡が見受けられるのだ。


これは何を意味するのだろうか。
樋管の機能として、ここを中途まで削り取る意図が読めない。位置も既に空けられた穴に対して等間隔ではなく中途半端だ。もしかするとこの一本は底樋にあたる部分で、既に設置された呑口に現場合わせするために空けようとして中断したのだろうか。即ち必要と思って削り始めたものの、後からその位置の削孔が不要だと分かって止めたとか…

僅かばかり円形に彫り取られた痕跡を眺めると、鑿と鏨を手に作業している石工とそこを通りかかった親方のこんなやり取りが想像されるようだ。
「おい。今彫っているその穴の位置はおかしいんじゃないか?」
「樋管の一番底に合わせるよう言われてるんで…確かこの位置でいいかと。」
「そこ確か穴は要らない筈だぞ。池の底に挿したとき埋もれる部分だ。」
「えっ?そうなんですか?じゃあ…ここは削らなくていいんですね親方?」
もしかするとそんな塩梅だったのだろうか…

僅かばかり円形状に削り取られた部分。
既に穿たれている木栓の穴と同様、縁の部分も低く削った跡が窺える。


本当に途中まで削ったものの後から不要と分かって作業を止めたのだろうか。それとも棒状の何かを樋管のこの部分で固定するため意図的に浅く穿たれた部分だろうか。中途半端に削られた痕跡は、時代を超えて現代に憶測をもたらしてくれる。もちろん真の答は私には分からない。
《 境界ブロックベンチ 》
もう一つ、ベンチを意図して本土手に置かれているものがある。
これは置かれているのか捨てられているのかよく分からないのだが…


何個かのかなり古そうなコンクリート塊が溜め池を向くように配置されているのである。


草刈りされていれば場所が分かるが、夏場など草木が伸びると何処にあるのかも分からなくなってしまう。


同様のブロックは少し離れた余水吐の近くにもある。
いずれも一つずつ離して据えられているので、腰掛けを意図して置いたように思える。


ベンチの詳細。
これは水抜きのついた歩車道境界ブロックの基本型の一つだ。


車道から分離された歩道部分を造るために並べて配置される。下部が半円形状に削られているのは、車道の水抜きである。この部分が舗装路面の高さに一致するように据え付け、隣接するブロックで半円形状の水抜き穴ができる。同じタイプの境界ブロックを道路に見ることができるが、現在も造っているかは分からない。

元々が道路関連の資材なので、溜め池の本土手に置かれているのは如何にも不自然である。市道小羽山中央線などの境界ブロックを更新したときの古いものか余った部材をベンチ代わりに置いたのだろうか。先の樋管よりも時代はずっと後のことで、腰掛ける人は居そうにない。

総括のところでも書いているとおり、今のところ蛇瀬池自体は親水公園としての整備はされていない。ベンチのようなものが置かれているのもこの周辺だけだ。当時に比べて溜め池の重要度が低くなっている現状なら、最低限の維持管理で今のままで在り続けることだろう。
ブロック腰掛けは草刈りするとき邪魔になるから…と片付けられるかも知れない
出典および編集追記:

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