蛇瀬池・樋門

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現地踏査日:2012/1/11
記事公開日:2013/3/13
人工の溜め池は概ね何処でも貯留した灌漑用水を望むときに取り出せるように樋門が付属する。最も簡素なものは本土手に斜樋を取り付け、水位に応じて栓を抜き差しするタイプである。
水位調節は竪樋に設置された栓の抜き差しによって行われ、現在でも小規模な溜め池では同様な方法で管理される。主要な溜め池では竪樋に栓をするのではなく制御棒に取り付けられた蓋を設置し、本土手に造られた小屋からハンドル操作により出水調節を行う。

蛇瀬池の樋門は常盤池の本土手樋門と同じ後者のタイプで、本土手に樋門小屋があり、洪水時以外の用水取り出しはここから行っている。
下の地図は蛇瀬池の樋門小屋の位置を示している。


小羽山郵便局の横から堰堤に向かう小道を進むと、すぐに樋門小屋が見えてくる。


小屋に隣接して改修記念碑が建てられている。
コンクリート土台の上に据わった本格的なものだが、経年変化で傾いてしまっている。


表面には樋門改築記念、左の側面には昭和14年11月と陰刻されている。
右側の側面には皇紀二千六百年五月十五日竣工となっている


裏側から見たところ。
花崗岩の樋管を更新したときの部材を再利用していることが分かる。
部材を本土手まで運び上げるのが大変だっただろう


樋門小屋近くの本土手にも一つの部材がベンチ代わりのように置かれている。
樋門改築記念碑とほぼ同じ大きさなので、恐らく片割れだろう。
端に4個目の穴を穿とうと途中まで削った痕跡が見られるのが面白い


今でこそ水を通す管と言えばヒューム管や塩ビ管など様々な素材がある。しかし昔の人は溜め池の樋管に限らず、水を通す恒久的な管を得るのに酷い苦労を強いられた。
最初期の樋管は丸太を半割りにして髄の部分を削ったものを2つ合わせて造っていた。当時は丸太の調達には事欠かなかったが、木製の斜樋は耐久性に難があった。
それより長持ちする素材として、このような石材を同様の形状に加工した管が造られた。耐久性は充分だったが、加工から現地据付から木製の樋管とは比較にならないほど大変だったことは想像に難くない。

これほど昔の人が苦労して造った石の樋管も、昭和期の改修ではコンクリート管に置き換えられたのだろう。不要になった石の樋管は記念碑向けの一対のみを本土手に引き上げ、残りはそのまま池の中に放置されたようだ。

蛇瀬池の水位が下がると、現在でも郵便局の真下あたりの岸辺には当時の石樋が観察される。
標準水位でも水没しない岸辺まで引き上げられている部材が一つあるが、多くは低水位時でないと現れない。


標準より短い石樋。現場合わせで拵えたのだろうか。


引き上げられず未だ水底に沈んでいる部材がいくつかあるかも知れない。

樋門小屋との位置関係。
市道小羽山中央線蛇瀬橋手前から眺めると概ねこのような感じに見える。


モルタルで覆われているので分かりづらいが、レンガ積み構造物である。建築ブロックが普及していない時期に造られたのだろう。
あるいはコンクリートレンガかも知れない


通気孔の役目だろうか…+印にレンガを積み残しているのが面白い。
これを見て思わず連想されるのは…
(+_+);
これを造った当時のレンガ積み職人や蛇瀬池を散策する人が見たときも私と同じ印象を持っただろうか…^^;
昭和初期の実直な人たちに顔文字の存在を教えてあげたいとも思う

反対側に回り込んだ。
扉があるが当然ながら施錠されている。まあ当然だろう…もし悪ガキが入り込んで勝手に樋門を全開してしまったら、灌漑用水の要る大事なときに蛇瀬池が干上がった状態になってしまう。


中にそんな大した面白いものはないとは思うが、外からでもチラ見できる状態になっていれば覗いてみたいというのが人間の心理でありまして…^^;

+穴の一つから中を覗き見してみた。


この+穴以外に開口部がなく、扉の隙間から差し込む微弱な光程度では内部の様子は朧気にしか分からなかった。
カメラに内部を偵察してもらおう…
+穴は小型のカメラを押し込める程度の大きさがあった。そこでカメラのストラップに手首を通し、あらかじめシャッターボタンに指を載せておいた状態で+穴の中に押し込んだ。そうしなければうっかり落とすとカメラが回収不能になってしまう。

暗闇に向けてシャッターを切り、カメラを取り出して映像を確認した。その映像から内部の配置を想像して全体がよく写るよう何度か試行錯誤した。

樋門小屋の内部はこうなっていた。
車のハンドルみたいな鉄輪のついた棒が一基、輪のつかない棒がもう一基あった。


内側の壁構造からもコンクリートレンガ積み構造であることが窺える。 鉄輪ハンドルは恐らく先っぽだけが抜けて差し替えることができるのだろう。
古い小屋ではあるものの現在でも灌漑用水の取り出しに使っているから決して廃物ではない。鉄棒を固定する台座の上には何かを結ぶための紐やそれを切断するカッター、接着用テープがそのまま置かれていた。

扉を背にして池を見おろしている。
樋門を操作する鉄棒に沿って花崗岩の階段が設置されている。
私の知る限りもっとも水位が下がったときの状態


鉄棒は3本伸びているが、正常に機能しているのは1本だけである。他の2本は先端に取り付けられていた筈の弁がない。
開口部となってしまった部分にはカゴが被せられていた。


階段部分を横から撮影している。
この階段も昭和初期に更新されたときのものだろう。


石段の一番下から小屋を見上げている。


ちょっと失敬してカゴをずらしてみた。
開口部の直径は30cm程度。補強用の金具が埋め込まれており、弁をスライドさせるガイドが取り付けられている。さすがに錆びてボロボロになっていた。


開口部からは水の流れ落ちる音が聞こえていた。
カゴを被せているということは、転落したら危険だからなのだろうか…

斜樋から流れ落ちた水は、本土手内部に通された管を経て蛇瀬川に放流される。この樋門から出水口まで数十メートルあり、転落してしまったらまず脱出できない。確かに危険だ…

ゾクゾクするものを感じながらフラッシュを動作させて撮影した。
些か拍子抜けしたが、底深い開口部ではなく樋管の一部だった。


弁をスライドさせたとき、池の水がここから流入して一旦斜樋に沿って池の底へ潜り込むように流れる。そこから反転して本土手の内部を暗渠で流下するのだろう。
籠で覆っているのは危険防止と言うよりはゴミの流入防止と思う

以下の2枚は、一昨年の秋口に撮影したときの様子である。
既に2本の樋門は機能していなかったが、弁はそのまま放置されていた。


元はこんな感じになっていた。
酷く錆び付いた鉄棒は破断して先端の弁に繋がっていない。樋門小屋から無理やりハンドル操作して折れてしまったのだろうか…


階段の最下部に立ってパノラマ動画撮影をしてみた。

[再生時間: 38秒]


まさか斜樋の開口部が籠で覆われただけの状態というわけにもいくまいから、新しい弁と鉄棒が取り付けられるかも知れない。何か変化があったら追記または続編を作成することにしよう。

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