蛇瀬川・荒手

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現地踏査日:2012/1/11
記事公開日:2012/7/9
(「蛇瀬川・余水吐と石橋」の続き)

余水吐からコンクリートで補強されているのは石橋の橋脚部分までで、そこから先は岩場に変わっていた。


石橋の上からも観察できていたように、余水吐にあった石柱の一本が折り取られここまで流されていた。


1月という季節柄藪が薄いのに乗じて、ここから下流側へ辿ってみることにした。目的は常盤池に造られた荒手との比較調査である。

規模こそ違えど、蛇瀬池の築堤技術は常盤池に生かされた歴史的背景がある。常盤池の精密な荒手を造る上で蛇瀬池の余水吐や排水路に何か共通点が観られるかも知れないと考えたわけだ。

排水路の中を下流に向かって歩いている。
自然石の空積みで、河床部はそれより大きな石を石畳状に配置している。


振り返って撮影。
荒手の中央まで大きな木が生え育っているから、実際に余剰水が流れることは滅多にないらしい。


排水路の側面は岩を削って拵えたものではなく石積みだった。高さも1mちょっとで浸食防止に積み上げたものらしい。


不定形の石や岩を乱積みして造られている。
石積みの際まで灌木が生えていた。後から積み直したものでなければ、これは蛇瀬池築堤当時のものかも知れない。


表面の苔は半ば石灰化している。大きな岩や古い墓石などによく付着している。如何にも年代を感じさせるが、このような種の苔なのだろうか…


常盤池の荒手とは逆にこの辺りは排水路の標高不足だったらしい。大きめの石を並べて平面を造っている。


落ち葉で覆われているので詳細な状況は分からない。自然な状況ではこのようには並ばず、人為的に造ったのはかなり確からしい。ただ、石橋のコンクリート部分を打設したとき合わせて石畳部分を造った可能性もありそうだ。

人の手が入っているらしい部分はそこまでだった。
その先は護岸部も河床も不明瞭で、大水になったとき何処を流れるものやら判然としない。樹木の疎らさと露岩の存在で流路と分かる程度だ。


地山からの湧水もあるようで一部では溜まり水が観られた。
水生生物は見られないし苔もあまり生えていない。


市道の蛇瀬橋が見え始めたとき、人工物と思われる石積みを見つけた。栗石を寄せ集めて造った平面構造が目立つ。


最初見つけたとき一瞬昔の居住址かと思ったが、明らかに違う。これは昭和中期以降のものだ。


菱形に編み込まれた番線の中に栗石がぎっしり詰め込まれている。
いわゆるふとん籠の一形態だ。流水による浸食防止のために蛇瀬橋を架けた時期に施工されたのだろう。


この辺りが露岩の占める割合がもっとも多い。いずれも削られたなど手が加わった形跡がない。
蛇瀬橋の少し手前あたりからコンクリート水路に変わっている。


視座よりかなり低い位置からコンクリート水路が始まっていた。
しかし河床を歩いて下るのもここまでだった。
進攻不能。


背丈以上もの一枚岩だった。岩の表面は乾いているが、傾斜がきつく手がかり足掛かりが一切ない。降りるどころか接近してカメラを構えるのすら怖い。

今まで大雨のたびに転がり落ちたのだろう。水路の始まり部分に巨大な岩が溜まっていた。岩の転落を見越してか、水路の先端部分はラッパ状に開いている。


何とかこの絶壁部分を巻いて下に降りられないか経路取りを考えた。
しかし切り立った露岩は恐ろしく大きい。しかも巨大な鉈でスパッと切り取ったような斜面で、周囲も急な崖状態だ。諦めざるを得なかった。


岩の端からズームする。
小さい岩ほど先の方まで流されている。もっとも小さいと言っても大人だろうが抱えきれないほどのサイズだ。
前方に見えている簡素な橋の手前に蛇瀬池の出水口があり、そこから先は普通の川らしい様相を呈している。


迂回して出水口に行くことができるので無理してここを降りる必要はない。

到達限界地点から振り返って撮影。
石橋がかなり見上げるほどの高さにある。排水路としては如何にも自然地形のままで、充分な高低差があるからか流水の経路整備はそれほど重要視されていなかったようだ。


このように蛇瀬池の余水吐から伸びる排水路は極めて簡素なもので、構造だけに目を向ければ常盤池の排水路の精密度とは対極的である。
湛水量の違いと排水路を設けた場所の地勢的要因があると思う。常盤池は湛水量が膨大であり、排水が必要なとき確実に機能しなければ被害が甚大になる。また、常盤池では排水路の先に岩山があって削る必要があったが、蛇瀬池では削るべき障害物がなかった。むしろ石橋から先に石畳を敷いて勾配を緩めた一定区間を造っているのは、流水による余水吐部分の浸食を防ぐためと思われる。

構造は似ていないが、排水路の設置位置は常盤池にも参考にされていると思う。樋門から十分離れた本土手の端に余水吐を造っている点だ。
常盤池では樋門は本土手の西端に、余水吐は東端に造られている。現在のダムは中央に越流部を造るし、昔からある溜め池でも小規模なものは堰堤の中央に樋管を持つものが多い。蛇瀬池と常盤池の樋門および余水吐の位置関係の類似は技術的成果の継承と言えないだろうか。

さて、現地ではこのあと石橋まで引き返し、一旦本土手まで戻って蛇瀬池の出水口に降りることにした。

(「蛇瀬池出水口」へ続く)

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