山立石池【旧総括記事】

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記事作成日:2015/12/22
最終編集日:2018/11/27
注意この記事は総括記事を作り替えたので旧記事に降格されました。現在の総括記事はこちらをご覧下さい。

山立石(やまだていし、やまだちいし[1])池は、東岐波の北部で阿知須と接する沢地にある灌漑用溜め池である。
写真は堰堤付近からの眺め。前方に見えるのは山陽自動車道の山立石池橋


溜め池の堰堤があると思われる場所を中心にポイントした地図を示す。


国土地理院の地図では溜め池の名称が記載されている。


この近辺の地形はかなり特異で、すぐ北西の山口市阿知須町側によく似た形と規模の別の溜め池(黒谷池)がある。広大な溜め池を造れるほどの深い谷地が隣り合っていることになる。周辺の沢が溜め池に占有されているため、通常は沢地を辿って峠を越えるはずの道路が尾根に押しやられ、一番高いところを通っている。
市境もこの近辺ではイレギュラーになっていて、2つの溜め池を山口市(旧阿知須町)と宇部市で分け合うように引かれている。

この近辺を宇部側から走ると、山陽自動車道の下をアーチカルバートでくぐった後、左側に黒谷池が見え始める。市境は黒谷池の先端部分まで引かれ、道路はその途中に市境があるので、池の途中で市境標識に出会うことになる。
写真は3年前に自転車で訪れたとき撮影した市境標識…ここが市道片倉引野線の終点となる


上の写真では左側が黒谷池、右側が山立石池になるのだが、山立石池は雑木に囲まれていて水面は見えない。
《 歴史 》
東岐波校区最大の溜め池で、50ヘクタールの田畑に灌漑用水を供給している。築堤は貞享元年(1684年)まで遡る。
溜め池から流下する河川は山口市阿知須町に属する井関川であるが、築堤と同時期に東岐波区花園方面への給水を行う灌漑用水路も造られている。この水路には途中隧道が2箇所存在する。[2]

かつての農免道路の市境付近にはこの灌漑用水路が水路橋として道路上を通る場所が知られる。
この水路橋は昭和45年に農免道路を造ったとき地山だった部分を掘り割ったことによる。[1]


昭和59年に溜め池の堰堤部分と用水取り出しの樋門が改修されている。水鳥の観察目的で現地を訪れたことがあるという声を聞いており、現在のような厳重な囲障が設置されたのは後年のことと思われる。詳しくは次項を参照。
《 アクセス 》
部外者がこの溜め池へ安全に接近できるアクセス路は基本的に存在しない。即ち表向きには「関係者以外は立ち入ってはならない溜め池」と認識されている。

主要な溜め池管理道の入口は、市道片倉引野線に設置されている。管理道入口にはフェンス門扉が設置され立入禁止の掲示が出ている。当然ながらフェンス門扉は施錠されている。


もう一つの管理道が市道片倉引野線の旧道部分(山陽自動車道とのトンネル立体交差の南側)に存在する。
その管理道も二重に立入禁止の掲示が出たフェンス門扉となっている。


山口宇部道路は山立石池の東側を通っており、また山陽自動車道は宇部ジャンクションを介して山立石池橋で池の上を渡っている。したがって車窓から溜め池を眺めることは可能と思われるが、いずれの道路も自動車専用道であり自転車や歩行者の進入はできず、車の場合も池を眺めるために道路上へ停車することはできない。

市道沿い以外にも溜め池に向かう管理道がいくつかあるが、いずれも厳重な有刺鉄線を備えたネットフェンス門扉で立入禁止の掲示板が出ている。今まで観察してきた市内の主要な灌漑用溜め池のうちでもっとも排他的な溜め池である。市の防災マップでは特に危険な溜め池としての記載はないが、厳重な管理体制からして過去に樋門のいたずらや遊泳ないしは釣り人による水難事故があったと考えざるを得ない。

ただし、この溜め池に接近できる正当な経路が皆無というわけでもない。冒頭および石碑の写真は、その経路を援用して溜め池に到達し撮影されたものである。言うまでもなく誰であろうが立入禁止の掲示が出ているフェンス門扉を跨いで侵入してはならない。正当な経路もさほど安全ではなく、時期によっては物理的に通行が非常に困難となるためここでは案内しない。

なお、市道を挟んで隣接する山口市の黒谷池では管理道入口にロープが張られているだけで立入禁止とはなっておらず、堰堤まで自由に接近することができる。
そもそも堰堤上は六畳岩へ向かう登山道の一部となっている


汀への接近も比較的容易なせいか、市道に車を停めて釣りを愉しむ来訪者の姿もたまに見られる。溜め池を親水領域とみなし自己責任で提供している山口市の寛容な態度と、事故の責任を問われるのを回避するために徹底的な締め出し対策をとる排他的な宇部市の態度が対照的と言える。
《 個人的関わり 》
注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

《 地名としての山立石について 》
項目記述日:2017/1/5
溜め池の名称である山立石(やまだていし)はこの溜め池がある辺りの山地字と思われる。
写真は山立石溜め池付近にある保安林内使用許可済標識に現れた字山立石の表示。


この地名は東岐波区の小字絵図に記載がなく「地名明細書」にも山立石ないしはそれに近い地名は現れていない。現在も山口市阿知須に近い位置であり、かつての井関村相当に収録されているのか、あるいは溜め池こそ早期に造られたものの人里離れた地で人々の暮らしがなかったために収録がないのだろうか。

一般に立石と言えば、ある特別な場所や境界地を示すための石を示す。これは人為的に設置する場合があれば元から自然に存在するものを目印とすることもある。同じ東岐波村の日の山の沖には満潮時にも水没しない岩礁が古くから知られており、立石(たていし)と名付けられている。現在は周防立石灯台が設置され山口市の管轄となっている。山立石はあるいはこの立石との識別として山という接頭語を置いたのかも知れないが、関連性があるかは不明である。
山立石池への接近を試みたときの踏査レポート。日にちを変えて2度ほど接近を試みたものの溜め池の写真は撮影できていない。代わりに後半部には溜め池に関する古い用水路を見つけている。
全4巻だが後半は溜め池とは直接関連性がない水路の記事となっている
時系列記事: 山立石池【1】
2015年に国土地理院記載の地図に基づき灌漑用水路を辿ることで現地到達したときの映像。全3巻(予定)。
時系列記事: 山立石池【5】
出典および編集追記:

1.「東岐波ふれあい散策マップ」によれば、読み方は「やまだていし」となっている。ただし「ふるさと東岐波」p.6では「山立石溜池(やまだちいしためいけ)」として紹介されている。

2. 国土地理院の地図では明白な水路隧道として記述されている。この場所の踏査はまだ行われておらず今度の一つの課題である。
2015年6月の踏査により水路および隧道部分が確認された。隧道は江戸期当初のものは遺っておらず既にコンクリート管に置き換わっている。

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