丸尾駅

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現地撮影日:2016/9/23
記事公開日:2016/9/27
丸尾(まるお)駅はJR宇部線の駅の一つで、東岐波区の西の端に位置する。
写真は正面からの駅舎。


地図を示す。


丸尾駅に関する一般的事項は脚注[1]を参照されたい。後述するように丸尾駅はこの記事を作成する折りに訪れたのが初めてであり、まだ現地撮影時の状況を詳細に覚えている。記述内容が大きく変わることはないと思うので、総括記事ながら時系列記事のように書いてみた。もし追加の写真を伴う記述内容が現れたなら、以下の記述は時系列記事に分割する。

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青空が広がるので萩原方面への定例業務の折にちょっと足を伸ばして東岐波方面まで自転車を走らせた。その帰りにまだ丸尾駅の撮影をしていないことを思い出し、国道からちょっと外れているが立ち寄ってみることにした。

国道を左折して丸尾崎の方へ向かう道(市道丸尾大津出線)を下っていく。
JR宇部線の線路が見え始めたところから右に入る小道があった。


ここが駅への入口通路らしい。
歯科の私設看板の存在で駅への道と分かった。


ちょっと哀しい感じがした。それと言うのも駅があるなら大抵は市道側に「丸尾駅→50m」などのような公設の案内板が出ているものだからだ。見落としたのかも知れないが、少なくとも目立つ場所にはなかったと思う。

この看板の前から入り、クランクを左へ折れたところに駅舎があった。


クランクの内側は駅前歯科と店舗の共同駐車場になっていて、周囲には割と背の高い樹が植わっていた。駅舎は市道より僅かに低いらしく、進入路は小さな下り坂になっていた。このため市道から駅舎は直接には見えない。冒頭にも載せたようにこぢんまりとした感じの駅である。

丸尾駅は無人駅なのだが私が訪れたときにはホームに人の姿が見えたし待合室にも数名が待機していた。どうやら電車が来る時刻が近いようだ。そうは言ってもここまで来て引き返すこともないので、駅舎の横へ自転車を停めて待合室では撮影せずにホームへ向かった。

ホームは駅舎からやや離れていて、段差を階段とスロープで結んでいる。
何だか変な構造だ。


ざっと周囲を見回しただけでも7〜8人の乗客が電車待ちしていた。ちょっと来訪タイミングが拙かったなーsweatと思いつつホームに出る。何しろ自分は乗る積もりはない。自転車ごと載っけられてワンコインで数駅移動できるサービスが始まったならぜひとも利用したいのだが…

フラッと来てホームまで出てウロウロするなんて駅員が常駐する駅ではとてもこうはいかない。ホームまで出て誰かを見送りするなら確か入場券を買い求めなければならなかったからだ。しかし無人駅の場合は…今はどうなのだろう。無人だからと言って勝手に入って撮影するのも褒めたことではないのだが、他方自分は誰も見送らない。ただ駅と周辺の写真を交えたドキュメントをネットの上へ提示したいというだけである。今やコソコソする積もりもないので、何をやってるんだと誰何されても胸を張って素性を明かせるように、いつもの宇部マニ謹製の名札を装着して撮影している。今思えば、待合室に置かれている自動販売機に入場券用のボタンがあったなら買い求めなければいけなかったのだろうが…そこまで確かめていなかった。

ホームの端に立って岐波駅方面を撮影している。
先ほどの市道は丸尾第1踏切で鉄道を横切っている。


同じ場所から床波駅方向を撮影。
ガードレール一枚隔てて通っている道は市道村松丸尾駅立山線だ。この道から駅ホームを眺めたことは以前にあった。


電車を待つ客の姿があるのでその場所を避けて更にホームを床波駅側へ歩く。
ホームは島状になっているのだが、反対側は早期に使わなくなったらしくレールも取り除かれていた。


電車が来そうな気がしたのでホームの端までは歩かず、適当な場所で順光位置から撮影している。
ホームの中央に如何にも古めかしい木製電柱が建っていた。碍子2つ並びのタイプで、最近は殆ど見かけなくなった。
碍子部分の拡大映像はこちら


ホームを挟んで現役線の反対側にはレールがない。しかしこの状況からかつてレールが敷設され離合可能な駅だったことが示唆された。何か古いものが遺っているかも知れないと思いつつ駅舎の方へ歩いた。そしてかなり気になるものを見つけた。
既に駅舎外のベンチにも電車待ちの客が座っていたので、そこでカメラを構えることはせずに直接その方へ向かった。

ホームの反対側には幅からしてレール2条分相当のスペースがあり、古い石積みが遺っていた。
列車の暴走を防ぐ非常用の車止めかも知れない。


普段誰も立ち入らない場所なので枯れ草がくるぶしに埋まるほど積もっていた。電車待ちの客がある中こんな場所へ踏み込むのはちょっと気が引けたが…そのための名札装着だ。これは業務だから…と自分に言い聞かせつつ入り込む。

順光になる位置から撮影。
サイコロ状に加工された間知石を積み上げている。側面には何か表札のような出っ張りがあった。


接近してみたが文字は恐らく何も書かれていなかった。あるいは掠れていたかも知れない。


ホームへ出てくる人の姿が増えつつある状況では撮影にあまり手間をかけていられなかった。しかし石積みの上の植え込みに何やらありそうなことだけは気づいた。
植え込み越しに眺めても多分あれではないか…という想像はできた。その正体を検証するために左手で可能な限り植え込みを押しのけて右手でカメラを構えた。

やはり、そうだった。
これは安全第一を祈願するモニュメントだ。
木々をかき分ける前の映像はこちら


最初にこれを見つけたのは居能駅だった。駅ホームの端に奇妙なオブジェと一緒に設置されていた。丸尾駅のはシンプルだが重厚な緑十字だった。もっとも経年変化でペンキが殆ど剥げて元の緑色が微かに窺える状況だった。
裏には何か描かれているかも知れないが、植え込みの中へ押し込めるように設置されていたので確認はできなかった。

ホームの客が入らないアングルでこの車止めを撮影。
ホームに隣接する側が離合線で、この石積みにぶち当たる3番線がもしあったなら、貨物などの入れ替え用途だったのだろうか。


待合室で待つ客がホームへと移動し始めた。もうすぐ列車が来る。それでもあの部分だけは撮影しておきたいと思って足元の悪い中、ホームの下をさっさと歩いた。


真横から撮影した。
古い石積みのホームに直接コンクリートを被せて嵩上げしているのがよく分かる。
ホームの延長自体も現在の半分くらいしかなかったようだ。


上の写真を撮影した後、床波方面から電車が接近してくる音が聞こえてきた。現地は立入禁止にはなっていないが、乗る気もないのに普通の人なら行かないエリアをうろついている姿を運転手に見せつけることもない。さっさと駅舎の方へ戻った。

駅舎へ戻るのと入れ違いに丸尾駅周辺に居た殆どの人がホームへ移った。
そこへちょうど電車が滑り込んで来た。


この他に駐輪場や誰も居なくなった後の駅舎の中を撮影したが、特筆すべきものはなくそのまま自転車に跨がった。

最後に、Facebookを利用なさっていない方は情報が得られないのでここに補足しておくと、[2]の読者からのコメントにもあるように単線となったのは昭和46年のことでかなり早かったらしい。それから駅を中心とした人の流れがあった時代は岐波駅と同様に店がいくつもあり、駅舎も相応な大きさだったという。確かに現地では先ほどの共同駐車場の横に店舗があったが、閉鎖されてかなり期間が経っている様子だった。この状況はお隣りの岐波駅でも同様であり、恐らくは市内殆どの駅に当てはまるだろう。
市街地に近い駅でも駅前の食堂や店が殆どなくなっている

電車は大量輸送に向く半面、道路を走るバスよりも更に機動性が低い。何よりも今あるリソースを利用するだけで、現状に見合うよう改変するのが物理的にも資金的にもとても困難である。何か新しい発想で需要を掘り起こさないと、結局は儲からないから切り捨てます…という選択肢になってしまわないだろうかと思う。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 丸尾駅

2.「FBページ|2016/9/23の投稿(要ログイン)
《 個人的関わり 》
注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

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《 地名としての丸尾 》
丸尾(まるお)とは東岐波区の南に位置する地名である。
写真は丸尾駅の駅名標示板。


派生する現行地名として丸尾崎丸尾原があり、バス停名や認定市道の路線名で知られる。明治の初期までは丸尾地区全体を総称して丸尾崎と呼んでいた。[1]
漁港として知られる。丸尾漁港は江戸期に上方から九州方面へ向かう船の停泊地として幕府から要請され設けられたものである。

地名の由来は地域全体にみられるなだらかな尾根によることはほぼ疑いない。現在ではその他の小字も含めた一帯を丸尾と呼ぶことが多い故になだらかな尾根とは言えない場所も含まれる。
出典および編集追記:

1.「丸尾の歴史あれこれ」(吉村富雄)p.10
同著には地名の由来だけでなく丸尾地区の地勢や小名も含めて極めて精密に記述されている。

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