床波駅

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現地撮影日:2014/2/16
記事公開日:2014/2/21
床波(とこなみ)駅はJR宇部線の駅の一つで、床波2丁目にある。
写真は正面から見た駅舎。[2009/5/31]


地図を示す。


床波駅の一般的項目は脚注[1]を参照されたい。
ここでは一般事項を除いた個別情報および個人的関わりを記述する。

直近の床波駅の正面映像である。


待合室の中の様子。
現在は無人で切符は券買機で買い求めるようだ。


駅の窓口は閉鎖されているものの昔のままで遺されている。
改札口の鉄製手摺りはそのままで使用済みの乗車券回収箱は取り除かれていた。


ホームから改札口を撮影したところ。
ホームとの段差が生じているので縞鋼板を敷いてスロープ状にしている。


常盤駅側を向いて撮影。
床波駅は離合可能な駅であり、駅前は複線になっている。このため上り線側へ移動する陸橋が設置されている。


午後の訪問だったため逆光になって明るさ調整しなければ殆ど真っ黒になってしまう状況だった。
それ故に以後この方向での撮影はしていない


陸橋の途中から駅舎を撮影している。


遠方を写そうと陸橋の一番上からカメラを構えたが、架線構造物が並ぶため遠くまで見えなかった。


切符を持った乗客でもないのに構内ウロウロするのも好ましくないので、ここまで撮影して退出した。

以下の2枚は2012年4月の撮影である。
駅の東側に駐輪場がある。


このときは宇部線の駅における駐輪場の整備状況と実態を調べるために撮影していた。


自転車置き場の反対側はJR西日本が管轄の月極駐車場である。
この駐車場は平成初期に舗装されている。


この駐車場にまつわる話については次項で述べている。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 床波駅

《 個人的関わり 》
今までのところ床波駅で乗り降りした経験は一度もない。この方面に知り合いが居なかったし、床波方面へ用事がある場合でも移動手段は車か自転車だった。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

小郡方面 小郡駅方面へ移動 宇部駅方面へ移動 宇部方面
丸尾駅常盤駅

《 地名としての床波 》
床波(とこなみ)は西岐波にある地名で、宇部線の駅名として知られる。 床波駅から西の海側は概ね床波1〜6丁目を形成している。
写真は国道190号の床波交差点の地名表示板。


床は「ゆか」とも読めるしその読みの方が一般的なのだが、この地名に関して誤読されることは殆どない。駅前をはじめとして以前は別の町名(栄町など)に置き換わっていたが、住居表示変更で床波1〜6丁目となった折りに住居表示に床波の地名が再登用されることとなった。他方、権代川を挟んだ東側の5〜6丁目では江戸期よりまったく変わることのない地名が現在でも地名表示にみられる。

床波という地名の謂われとして次のような話が伝わっている。[1]
和気清麻呂が宇佐八幡宮に神のお告げを聞きに行くときこの付近で嵐に遭い舟が沈みそうになった。このとき住吉の神が現れ波をお鎮めになった。そして恰も舟が床に座っているような穏やかな波になったことからこの地を床波と言う。
梶返の由来と同様の話であるが、もしこの通りなら和気清麻呂は今の床波という地に上陸して在住民と何らかの関わりを持った筈である。それほど古くから人が住んでいた地なら、在住民との交流がなければ旧来の地名から床波に置き換わるとは思われない。

更に梶返など同様な由来を持つ地名とは異なり、床波という小字が存在しない。実際、小字絵図にはどの編纂でも床波の小字がみられない。したがって床波の中心とされる場所が特定されない。人々の暮らしが始まる初期に床波という地名だけがあり、後にそれが様々な小字などに分化して床波はそれらを包括する地名として伝えられたようである。

床波の「床」の文字およびその読みに何かの要素があることは疑いない。かつて市内の名義人を五十音順に配列した電話帳を眺めたとき、床の字を姓に持つ住民の9割以上は床波在住者であった。[2]また、床波以外に「床」の字を含む地名がまったく知られない。一部の姓に偏った地域性を持つことがよく知られる現象であるが、このことは「床」という要素が深くこの地にかかわり姓として今に伝えられるだけの重要性を持つことを示唆している。常盤(ときわ)が疾き岩に由来するように、疾く波が打ち寄せる地という仮説が考えられるが、その読みが床(とこ)へ転じると考えるのはかなり苦しく、付会と言えるかも知れない。
出典および編集追記:

1.「ふるさと歴史散歩」p.166

2. 例えば「床西」「床本」など。

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