写真は用水路の上流側からの撮影。
位置図を示す。
御撫育用水路は厚東区広瀬や厚南の開作地に灌漑用水を送る用水路で、ここより厚東川約1km上流の五田ヶ瀬井堰より取水している。宮尾橋りょうはこの用水路をもっとも上流部分で横切っている。
橋りょうと言ってもガーダーではなく水路部分は石積みとレンガ積みの混成で、長い石材を横置きにして盛土している。この構造は山口線の柳井田暗渠と同様でそれより規模が大きい。今のごころ山陽本線の市内通過区間において最大の石材主体の橋りょう(暗渠)である。
ガーダーにみられる塗装標がないので、正式名称は元より絶対位置なども分からない。ここでは近辺の小字名となっている宮尾から宮尾橋りょうと仮称する。御撫育用水路が鉄道の下をくぐるほぼ真上に宮尾第3踏切がある。
《 詳細な観察 》
既存の幅の水路を4等分し、3列の橋台で全体を支えている。灌漑用水非需要期であり、少ない水が向かって左側2本に流れ込んでいて右側は砂が堆積していた。
上流側は用水がスムーズに流れるように橋台の前に先端を尖らせた部材を配置している。
橋台との間は堰板を留めるための溝が造られている。
この部材は下流側にはみられなかった。
内部は基礎部分に石材を敷き、各水路部分をレンガ積みにして上部は石材を載せた構造である。
内部の全体像。
フラッシュ撮影画像。
レンズの不調でピント調整機能が甘いがフラッシュ撮影可能なカメラで撮影している。[1]
上部に載せられた石材は大変に重厚で、厚みが30cm程度ある。
同種の石材が下流側まで同じ構造で使われていた。現在の複線幅ほどの距離で追加施工の跡も見つからなかったことから、最初から山陽鐵道の複線化を想定して建設されていたようである。
【 建設時期と構造の考察 】
鐵道が御撫育用水路を跨ぐ箇所は下流側にもある。灌漑用水路は用水需要地に分水しながら次第に水量が減っていくので、取水口へ近いほど水路幅は大きくなる。この場所は五田ヶ瀬井堰からの取水分がほとんどそのまま流れているので、鐵道の下を通す暗渠も堅牢な造りになっている。この辺りの山陽鐵道の敷設は明治後期だが、御撫育用水路はそれよりも更に遡る。五田ヶ瀬井堰の完成は寛政4年(1792年)であり、[2]鉄道敷設による流路変更がなされていなければ最初は開渠として流れていた筈である。このときに現在の石材による暗渠が建設されたか、もし後年の改修があるとすれば昭和7年から12年にかけて着手された御撫育用水路の大改修時だろう。
用水路の底から鉄道の線路敷までの直高は、目視で概ね5m程度である。この程度の高低差では拱橋構造とするには恐らく強度が足りない。レンガ積みで3〜4本の暗渠を並べて造るのは手間がかかる上に流水量が制限される。そこでレンガ積みの橋台部分を造り、上に石柱を載せた暗渠の形にすることで強度を高めている。
使用されている石柱は外からは見えないが、恐らく膨大な量にのぼる。レンガは他の橋りょうの橋台にみられるものと同等だが、石柱は現地調達かも知れない。
下流側、御撫育用水路の昭和隧道手前の立体交差部分(山根川橋りょう)は通常のガーダーとなっている。
これは用水路と一緒に道路(市道串馬の瀬線)を跨いでいること、広瀬半島を横断するために鉄道が高度を上げているため下の空間を充分にとれる橋りょうの方がコスト面で優位だったからだろう。この構造も昭和期の御撫育用水路改修時に変更されている可能性もある。
《 現地アクセス 》
恒石八幡宮付近に車を停めて歩いて数分のところにある。宇部駅方面から県道宇部停車場線を北上し、恒石八幡宮に向かう地区道に入る。
通行に支障のない場所に車を停める。
写真は恒石八幡宮の正面参道を背に進入してきた地区道に向かって撮影している。この左側の路地を歩く。
県道に出てくるので、注意して渡りそのまま真っ直ぐ降りて踏切に向かう。
宮尾第3踏切(第4種踏切で四輪の通行は不可)を渡った先で、低い位置に見える田へ土手を斜めに降りる踏み跡がある。
下まで降りて反対方向に御撫育用水路が見える。
御撫育用水路は鉄道下を通る手前で直角に折れている。水路には点検用の降り口があり、灌漑用水が流れていない時期は接近可能である。
【 観察時の注意 】
灌漑用水が流れていない時期でも上流域の降雨や湧水が流れ込むことである程度の水が流れている。砂が溜まっている場所を選べばスニーカーでも接近可能だが、行動範囲が制限されるので長靴装備が良い。暗渠の入口手前には、用途がよく分からない鋼材が水路を跨いで存在する。
内部へ手を伸ばしてカメラ撮影した後、この鋼材の存在を頭に入れていなければ退出時に伸び上がったとき頭を強打する恐れがある。
(現地へ接近したときからそのリスクが予想できたので頭を打ってはいない)
なお、暗渠の下流側は延々と三面張りのコンクリート水路が続いている。点検用のタラップで上がることは可能だが、周囲は一面にコセンダングサが密集する荒れ地である。
《 個人的関わり 》
自力で再発見したものではなく情報提供により判明した物件である。隧道どうでしょう・シーズンVで山口線の清水橋りょうを情報提供した視聴者によってもたらされた。ただし視聴者自身が見つけたのではなく、ネットに公開されている記事を提示したことで判明している。宮尾第3踏切は2014年に訪問して画像採取されていた。しかし踏切の写真のみ撮影して引き返していた。地図では明白なのだが、この場所で鉄道と御撫育用水路の位置関係が入れ替わることに気が付いていなかった。水路が鉄道の下をくぐっているのなら相応な構造物がある筈で、注意して観察していれば見つけ出せていた筈だった。
撮影はシーズンVIIのロケを終えた翌々日、ある程度体調が戻ってきた日に行った。このときはフラッシュ撮影のできるカメラを持っておらず、反対側まで到達できていなかった。その一週間後にフラッシュ撮影できるカメラを使って内部を撮影し、下流側の構造も確認してきた。
《 関連リンク 》
出典および編集追記:
1. 7月下旬に起きた自転車転落事件でカメラが破損しフラッシュ撮影ができなくなった。既に壊れてピントが合わなくなったカメラが数台あり、そのうちフラッシュ機能が正常なカメラで撮影している。
2.「宇部の水道」p.78
1. 7月下旬に起きた自転車転落事件でカメラが破損しフラッシュ撮影ができなくなった。既に壊れてピントが合わなくなったカメラが数台あり、そのうちフラッシュ機能が正常なカメラで撮影している。
2.「宇部の水道」p.78