新川橋りょう【1】

インデックスに戻る

現地撮影日:2013/6/6
記事公開日:2016/11/10
あちこちで語っている通り、当サイトでは鉄道関連の物件は基本的に扱わない。カテゴリを設置する予定も当面ない。[1]引き込み線や改良前の旧経路など市内でも物件には事欠かないが、鉄道はテーマ踏査のカテゴリとしては古くから存在し、多くの人々によって取り組まれてきたからだ。実際、市内の宇部線や小野田線に関しては既に殆ど精密に調べ尽くされており、今更私如きが写真を撮りまくって新規に記事を制作する価値が薄い。

そうは言うもののここ最近真締川に架かる橋を立て続けに記事化してきた。最終的には真締川の橋だけでなく井堰も含めて記事化を考えている。そうなると歴史的価値ではトップクラスとも言える鉄道橋を無視するわけにはいかない。工業用水の真締川水管橋でさえ記事化したのだから、知識のないなりに鉄道橋を写真と共にお届けしようと思った次第だ。

記事を作成する前段階の時点では3枚の写真を撮影していた。冒頭のものと、以下に掲げる2枚である。


これらはいずれも市道真締川東通り線の道路レポート向け撮影を行っている過程で採取されたものであった。


この他にも上流・下流にある橋から撮影してこの橋が写り込んでいるものもあると思う。

この近辺に住んだことがないために幼少期からの橋にまつわる想い出や出来事は特にない。電車に乗ることは割と頻繁にあったものの、宇部新川駅までバスで行ってそこから電車に乗ることが多く、この橋を通ることよりも遠くから眺める方がずっと多かった。
ある程度離れて眺めるたびに感じていたのは、この橋のシンプルなフォルムという美だった。

身の回りの構造物は典型的な数学図形を示すものが多そうに思えて、実際はそうではない。大抵は細かな分割線や曲線の要素が含まれている。この橋は等脚台形に垂線と斜交いを書き込み直角三角形に分割した形状と言い表せる。これほどシンプルな形をした構造物はありそうで近くにはない。
背後に写っている高層マンションも正確な直方体ではない

もっともシンプルな美意識を狙っていたのではなく、この形状が望ましいとされる構造上の理由があった。真締川に架かる橋としては相当古いものと知ったのは、ネット上の記事や地域SNSで提示される情報を得たほんの数年前のことだった。自分の持っていた知見はその程度であり、更に決定的なほどこの橋に関する知識の欠如を露呈させたのは、つい最近まで誤った名前で覚えていたことだった。この記事こそ「新川橋りょう」と書いているが、実のところ後続記事における確認作業を行うまで「緑橋橋りょう」と思っていた。
「それじゃあ『みどりばしばし』じゃん」というツッコミはナシね…^^;

そう考えたのも自分なりの根拠があり、記憶が確かなら以前は橋全体が薄い灰緑色で塗装されていた[2]からだ。現在は灰色だが、その色彩故に私の中で「緑」というキーワードが連想された。2つ下流側には緑橋が架かっており、それとの関連も考えていたようだ。

さて、日付は前後するが記事向けの写真としてまずは最近撮ってきた右岸側からの写真を掲載しよう。
右岸は市道真締川西通り線の真締川西踏切になる。


ここから真締川沿いに造られた公園敷地を挟んで橋となっている。
さすがにこれではちょっと不明瞭だ。もう少し近づいて写したい。


もっとも線路敷に沿って移動するのは列車が来たとき危険だし、ある程度横からのアングルでなければ橋の姿が分かりづらい。

橋の下流側は下水処理施設の敷地で、徒歩なら容易に入ることができた。
自転車を道路脇に停めて接近する。


もう少し離れて右から写したいのだが…
右側は既に下水処理施設の建屋だ。全体を入れようとすればこれが限界だった。


面白いことにトラス構造の末端部は岸辺に接続されていない。護岸からやや離れた位置に橋脚があり、そこに載っていた。


端部の斜交いに銘板のようなものが見える。
もちろんその場所まで行けはしないのでズームに頼ることになる。


大丈夫…充分に読み取れる。
日立製作所笠戸工場製造という文字が見える。
その下は山口縣下松町とあり、大正拾貳年三月となっていた。


大正12年と言えば、西暦では1923年になる。その2月は関東大震災が勃発する半年前だ。
架橋年月はもう少し後かも知れないが、鋼材時代は90年も昔のものである。外観からは信じられないだろう。塗装替えや全体の歪みなどの点検はされていると思うが、それほどに堅牢なものなのである。
左側にも似たような銘板がみられたが、ここからでは確認できなかった。

橋脚部はコンクリートで、いずれも両岸からやや離れている。さすがにこれは当時のオリジナルというわけにはいかないだろう。
補修されているらしいことが後で判明した


帰り際に踏切から撮影。
それほど古くからある橋なら、鉄道橋を拝借して渡っていた人がきっとあっただろう。


まさか線路敷には立ち入れないのでズーム撮影。
中央に架線が、左側の鋼材外側に饋電線が配置されていた。
このズーム画像を解析して左側の銘板も同一内容であることが分かった


橋の全体を写したものとしてはこれだけである。あとは真締川の中央にボートでも浮かべなければ正面からの撮影はできない…^^;

道路橋とは異なり親柱のようなものは存在しなかった。銘板を調べることで成立年月と製造所を知ることはできたが、肝心の橋の名前を記したものが見つからないように思えるだろう。
橋を構成するトラス構造部の何処かに記録されているのかも知れないが、まさか線路脇を歩いて調べることもできなかった。
もっとも後で述べるようにその必要もなかったのだが…

---

一連の撮影を行ったのは24日である。そして実は同じ月の上旬にこの答を得ていた。鉄道橋の場合、その名前を知るにはどの部分を調べれば良いか分かっていたからだ。

真締川の左岸側である。
横から橋の全体像を撮ろうと市道に沿って進んでいた中、植え込みが一部切れている場所を見つけた。川面まで降りる階段がありそうだ。


上の写真からも分かる通り、対岸には市の下水道真締川ポンプ場あって裏手のドアから係員が出入りしていた。そのためいきなり階段を下りるのは気が引けた。怪しい人のオーラを撒き散らしたくなかったので…^^;

時期柄かなり草が伸びていたが階段を下りるのに支障はない。
潮も引いていて川底が現れていた。


護岸の下にコンクリートの小段があって橋の真下まで接近できそうだ。
潮位が高ければ小段の上は洗われるだろう。


決定的な証拠を押さえるという目的故にここへ踏み込んだのである。躊躇することはない。これは正当な業務なのだ…^^;
…と毎度ながら自分を正当化しつつ階段を降りていった。

(「新川橋りょう【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. この時系列記事を作成した時点(2013年)では鉄道カテゴリが存在しなかった。

2. 以前の橋の色が薄緑色だった件に関して同意見の方が少なくとも一名ある。以前の色彩の方が良かったのに…という意見だった。

ホームに戻る