新川橋りょう【2】

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(「新川橋りょう【1】」の続き)

今しがた降りてきた石段だ。
遙か昔に川面へ降りるために拵えたもののようだ。
詳しい調査はいずれ真締川のレポート向け記事を作成した折りに行う予定


護岸下の小段は完全に水が引いていて問題なく進行できた。
もしかすると一部の撮り鉄派もここから撮影するのだろうか…


前回の記事で冒頭に載せたのに近いアングルである。
対岸側は下水処理施設で川面へ降りる方法がないことから、橋を横から撮るなら結局ここがベストだろう。


以前はそこで引き返していたが、今回は橋名の調査が主だ。
更に接近する。


橋台の周囲には、相当古い間知石が散乱していた。
かなり手前からも転がっているので、現在のコンクリート護岸以前の残骸ではないだろうか。


さて、答はもうここからも見えていた。
あの鋼材の側面である。


銘板とは異なるが、塗装を行った業者は橋の部材側面に塗装年月や種別に合わせて橋の名称を記すのが慣例になっている。鉄道橋だけではなく塗装を必要とする部材を持つ橋なら概ね同様だ。
これをもって正式名と断定して良いものか分からないが、あながち適当な名称を記録するとも思えない。充分に根拠があるデータと言えるだろう。


レールの真下なので可能なら上から接近した方が早い。しかしこんな場所へ潜り込んで写真など撮ろうものなら、それこそ寿橋を撮影した時じゃないけど白と黒にペイントされた車が通りがかれば、状況によってはタバコ臭い車に押し込まれ、短いドライブに付き合わされる羽目になるだろう…^^;

…ということで、伸び上がってズーム撮影。
ズームが枠内に収まるようにセットしつつ、両腕をなるべく高く掲げて少しでも被写体に近づけ、かつ両腕がブレないよう堪えつつシャッターを切る。かなりの重労働だ。


挙げた両腕を降ろして一息つき、再度体勢を整えて明るさ補正をセッティングし直して再度撮影。
少なくとも2枚はかならず撮っている…現地再生ではピンぼけを見抜けない場合がある


こうして新川橋りょうという名称が裏付けられたわけだ。

川を跨ぐ鉄道橋の場合、橋の名前が必ずしも現在呼ばれている河川名に一致しないことが結構ある。かつて塚穴川を河口まで辿ったとき、宇部線との交差部に架かった橋は塚穴川橋りょうではなく常盤川橋りょうだったことに驚きを覚えたものだった。この他にも現在の沢波川に架かる宇部線の橋も権代川橋りょうとなっていて、現在一般に呼ばれている河川の名前が鉄道敷設時代よりずっと後ということを想像させる。

前編で橋の鋼材が90年前に造られたものだが、橋台部分はそれより後に補修されているだろうと述べた。
その点についてもこのときの現地踏査でデータが得られていたからだ。


もちろん高すぎてここから直接登ることはできない。
しかし下からでも充分に視認できた。


1957-7 東亞のように完成したコンクリートへ金型を押し付けて造られた刻印がある。
この橋台を造った年月と業者名だろう。


1957年と言えば昭和中期なので新川橋りょうが架けられたよりもずっと後の筈だ。当初はコンクリートではなく石積みなどの橋台だったのだろうか。
しかし線路はそのままで橋台部分だけ更新というのも考え難いから、元からコンクリートだった部分を補強したか…この辺りは鉄道構造物に詳しい方があろうかと思うので私としては観るだけにしておきたい^^;

左岸側も岸辺から若干離して橋台が据えられている。
コンクリート塊がついたあの鉄棒は何だろうか…右岸川にも同じものがあった


今も橋台の足元に散乱する間知石。
この場所で一世紀近く上流からの水に洗われている筈だ。


下から見上げている。
上流川に柵のついた点検用通路があり、その下には連絡用ケーブルだろうか…添架されていた。


道路橋と異なり橋脚は両岸の岸辺寄りに一対あるのみで河川敷には足を下ろしていない。
これほどの長いスパンに対して最下段の鋼材は水平を保っている。この構造で重量物を通せるのが不思議な感じだ。


引き返そうとしたとき、折しもすぐ頭上の真締川東踏切の警報機が鳴り始めた。
列車が轟音を立てて橋を渡る姿を捉えることができそうなので、やや離れた位置に立ってスタンバイした。

橋に近づいての撮影なので音はよく入っているが列車の姿は見えづらい。こうして撮ったのがこの動画だ。

[再生時間: 23秒]


レールには伸縮を逃がすための継ぎ目が入っているので、鋼橋を渡るときには大きな音がする。上の動画も専らその音採取を目的に回している。この音に関して今、思い出したことがあった。

ちょうど今ごろの時期の去年と一昨年は多忙時の要請があって、市役所へ仕事に来ていた。昼食のときは天気が良ければ真締川公園に移動していた。食べる場所は税務署の近くだったり緑橋付近だったりした。
昼食を半分くらい食べた頃になると真締川の上流から電車が鉄橋を渡るごつい音が聞こえてきていた。まさに新川橋りょうを渡る列車の通過音なのだが、その音が昼休みの残り時間がどれ位あるかの目安になっていた。
この列車の便は現在も変更はないと思う

さて、【1】として河川敷から眺めた新川橋りょうの記事を書いたのだが…【2】が作成されることは多分ないだろう。
右岸側の河川敷へ降りるにも一応石段はある。しかし下水道ポンプ場の敷地裏であり接近できないこと、何よりもそこまでして詳細な撮影を行う程の本気度は持ち合わせていないのであった。
出典および編集追記:

* 当初は本編と新川橋りょう【1】という記事で構成されていたが、総括記事を作成して後年判明した事柄を追記できるようにしたので、以前の記事を【1】および【2】に変更している。(2016/11/9)

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