地下道の造りかけのような構造物【2】

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(「地下道の造りかけのような構造物【1】」の続き)

地下道入口の造りかけともゴミステーションのなれの果てとも思える奇妙な構造物の後ろは農道になっていた。
先の方にはヒントになりそうな水路が見えていた。


農道のような道は下り坂で自転車に跨がっているだけで転がっていった。先の方まで辿る必要はない…この水路が繋がっているかが分かれば足りるので。
それでも一応先の方まで偵察して市道常盤公園江頭線に出られることを確認した

自転車を逆向きに変えて水路の開渠部分を撮影している。
確かに下ったところから水路は暗渠に変わっていた。しかし見たところごく普通の水路である。


水路は国道よりも2mくらい低い。それでも沢地の端を通っているらしく、下側にあるカーショップの駐車場は水路より更に低い位置にあるので、排水路ではなく灌漑用の水路だろう。
排水路なら田の余剰水を出さなければならないので沢の一番低い場所を流れているものである

水路は国道に向かって登り坂になっているように見える。
しかし低い沢地へ落とす排出口がなかったので単なる見せかけだ。この排水路は高く見える方へ向かって流れている。


現在の国道ができる以前は、今車の駐車場になっている部分が元々の高さだったのだろう。国道は高低差の影響を受けることなく沢地部分に盛土して通されているので、国道に向かう道はスロープになるし水路は暗渠で通じることになる。
先述した通り国道はカーブの線形改良で外回りになっているので、下を横断する暗渠は長くなる。この開渠幅の水路なら、たまさか詰まったとき端から暗渠内を匍匐前進で調べるなどとてもではないので、どこか適当な場所に竪穴の点検口を設けるというのは道理である。それがさっき見たあの怪しい場所なのでは…と考えた。

しかし…道路横断の暗渠の点検口なら如何にも大仰だ。これほどの大きさは要らない。
大体、ネットフェンス門扉が設置されている手前のコンクリート部分は何なのだろう…


この土間コンクリートの造りなど、どうしても駅などの階段にある上がり始め部分が重なる。それ故に地下道を造ろうとして頓挫してしまった…という仮説が頭から離れなかった。

改めて内部を覗き見た。
雑草類は枯れたままで姿を保っているため相変わらず地面の様子は見えなかった。


結局このときも現地では前回と殆ど同じ推論しか導くことができないままに立ち去っていた。

アジト帰宅後、この場所を地図によってプロファイリングしてみた。下記は昭和40年代後半撮影の現地の航空映像である。
サーバ負荷の高い時間帯などでは映像が表示されない場合があります


既に国道は外回りの新しい線形部分に車が走っている。カーブ内側にある車の営業所に建物が見えるが、かつてはマルコというスーパーだった。国道の旧道路敷部分はマルコの駐車場として使われていたと思う。
マルコの個人的関わりはないが記事化の必要性は認識している

カーブ外側のパチンコ店は当然まだ存在しておらず一面荒野である。もっとも更に昔まで遡ればかつて長生炭鉱として栄え、宇部線に駅も存在していた。西岐波区において非常に活気づいていた時代もあった。航空映像は昭和40年代後半なので、既に閉山し炭鉱住宅も殆どみられなくなっている。

さて、この映像には地下道入口はまだ見えていない。代わりに水路が国道下を横断しているらしい様子が分かる。したがってあれが地下道の造りかけだったにしても昭和50年代以降のものと推測される。それはコンクリート袖壁やアルミ製のネットフェンスという仕様からも窺える。
もっともネットフェンスと上部の金網だけは更に後年…平成期に入ってからかも知れない

大したネタではないことを承知で、FBで運営しているページで読者向けにネタ投下することを考えた。FBページは(当サイトの閑散振りとは裏腹に)地道ながら読者数を伸ばし、来月あたりには購読者が千人に達する状況である。それほどの読者があれば、些末な案件ですら何かの情報を持っている人にたどり着ける可能性がある。
誰か知っている人がいるかも知れない…
未解決な案件を報告し、読者から正体に関する情報が寄せられた事例はかなり稀である。だから期待せず写真を添付し「国道横断の歩行者向け地下道を造りかけて頓挫したみたいな構造物」という解説と共に投稿した。ところが思いがけずサラッとこの案件について触れられた読者があった。[1]
その通り地下道だった。昔は国道の下を通行できていた。
即ち造りかけどころではなく、造った後に廃止された地下道という回答があったのだ。

FBページにネタ投下したとき、私は殆ど冗談半分に造りかけの地下道みたいな構造物と書いた。それは造りかけどころか、実際に造って利用された後に廃止されたと知って俄に信じがたかった。
地下道は水路点検用ではなく誰でも通行できていたらしく、パチンコ店駐車場の近くにもう一つの出入口があったという。その後、今もそれと分かる不自然な敷地が残っているという情報も寄せられた。

まさか本当に地下道だったとは想像もしなかったので、私は反対側にあったとされる地下道出入口跡については現地で調べず国道の北側から視認するだけで済ませていた。
そこで第2回目の撮影から一週間経たない3月最初の週末のこと再び現地を訪れることとなった。
【 第三幕 】
現地撮影日:2016/3/5
5日土曜日の午後、この日も前回と同じく萩原方面への業務の行きがかりだった。
今度は余裕をもってかなり手前から撮影している。


例の構造物の横にサッと自転車を乗り付け、改めての調査と撮影を開始した。
正体不明だったこの案件も本当に地下道だったと言われれば確かにその特徴が至る所に現れている。
写真の左端に写り込んでいるゴミが気になるだろうか…後で話題に上ってくる


まず目に留まったのがこれだ。
歩道側に向いたコンクリート袖壁の外側に取り付けられていた。この外観から想像するものはあれしかない。


コンセントである。プレート部分の色といい大きさといいそのものだ。ただしプラグを差し込む部分がなく平板なものになっていた。
地下道と聞いて大いに想像を働かせれば、かつて地下道内部の蛍光灯給電用に使われていたのではないだろうか。すぐ近くに鋼製ポールが建っているので、ここから電源を取っていたのかも知れない。もっとも通行人が勝手に引っこ抜けば地下道が停電状態になるので現役時代は相応な形で取り付けられていた…しかし使われなくなったのでサイズの合う平板なプレートで置き換えた…といった塩梅だ。もっとも私は電気関連の資材には疎いので、屋外用の電源カバーでこういったものがあるかは分からない。

もう一つヒントになりそうなものが見つかった。
同じくコンクリート袖壁の天端に「建」の字が陽刻された鋳鉄の板が取り付けてあった。


建設省時代の境界鋲である。遙か昔の現役時代、同じものを歩車道境界ブロック近くの地覆コンクリートに削孔して取り付けたことがあるから覚えている。正方形の鋳鉄板の中心に埋め込み棒がついていて押しピンのような形状をしている。確か鋳鉄板の四辺部分が官民境界に来るよう鋲全体を官側に設置していた。
境界を示す以外の用途でも設置していたかも知れない。いずれにしても建設省管理の構造物だったわけで、自治会が設置したゴミステーションだったという可能性は潰えることになる。

さて、一連の写真を撮ろうとする前のこと、第三幕の一枚目の写真を撮っている段階から、店舗の前には従業員と思われる方が店前の掃除をなさっていた。傍目には何でもないコンクリートの遺物に向かって嬉々として撮影しまくっている私はかなり異様な人間に思われているだろう…という自覚はあった。
正体が分からなかった第二幕までなら人目が気になるので適度に撮影し立ち去っていただろう。しかし今は何を撮影してるんですかと尋ねられたにしても(読者からの受け売り情報に過ぎないのだが)これが何であるかを説明できるので、周囲に頓着することもなくアングルを変えて必要なだけ撮影し続けた。

袖壁の上に登ってカメラを差しだしている。
少しでも日の光を浴びようとして金網の目から外の世界へ伸び、そのまま立ち枯れてしまった雑草で相変わらず中の様子は分からなかった。


再び歩道側に戻ったとき、従業員の方はこの地下道入口跡を隔てる建築ブロックの横で歩道を掃除なさっていた。そろそろ私も怪しい人物と思われそうだったので、些か先制攻撃的に(?)こちらからこんにちはと声をかけてみた。何か追加の情報が得られるかも知れない。
「済みませんが…このフェンスに囲まれたゴミステーションみたいなこれっていつ頃からあるかご存じでしょうか?」
「さあ…ちょっと私には分かりませんが…」
地元在住の方ならいざ知らず従業員なら別の場所から通勤なさっているので、よほど勤務が長くなければ難しいとは感じていた。
「これって地下道の跡だったみたいなんです。何でも昔は国道の反対側まで渡れていたらしくて…」
まさかこんなところに地下道があったとは思えないのは私でなくても共通するだろう。
「えぇー?そうなんですか?全然知らんかったー。昔のゴミステーションなのかなーと思ってました。だってもの凄くゴミの投げ捨て多いし…」
このときに撮影したショット。
ブロック塀と地下道跡の横の空間にゴミが投げ込まれていた。


せっかくなのでこのとき語られた従業員の談話も掲載しておくと…
「ここ…ゴミの投げ捨てが酷いんです。草むらに散らばっている分はいいとして今日みたいな風の強い日はうちの店の前まで紙くずが飛んで来て…さすがに放置はできず困っています。スーパーのレシートが混じってるんで人物特定できないかと…でも市内いろんな店舗のが入ってるみたいだし…」
草刈りされず取り残された空間にはもじゃもじゃと雑草が茂り、その中に投げ込まれていた。道路沿いに田畑を持つ住民がこまめに草刈りする理由が分かってくる。人は見えづらい場所にゴミを投げ込むからだ。
確かに今日のような風の強い日は掃いてもゴミが押し戻されたり再び散らばったりする様子は見ていて気の毒で、お掃除を手伝いして差し上げたい心境だった。
「市内にあるこういう正体不明だとか不思議なものを撮っては Facebook のページで紹介しているんです。結構楽しめますよ。」
そう言って FB ページの宇部マニアックスを宣伝しておいた。
「そうなんですか…後で見ておきますね。」
元は宣伝じみたことは好きではないのだが、最近は自前のFBページや当サイトを含めた宇部マニの紹介について別に躊躇していない。関心のない人には話さないだけで、少しでも脈がありそうな方には道楽でこんなことやってて成果をネットに公開してるんですと話して検索キーワードを伝える。ホームページのアドレス云々なんて話はしない。今は検索一発な時代だからだ。
宣伝する程の大層なものなのかという意識はあるけれども、そんなに深く考えてもいない。だってお金払って閲覧して下さいって訳じゃないし入会よろしくお願いしますってのでもないし…ただしこの世界は私が入会を催促しなくとも人によってはズブズブとハマッてしまう中毒性があるようだが…

さて、私もこの後で業務には向かうが今していることはお遊びなので、清掃業務のお邪魔にならないよう再び地下道入口側へ向かった。
フェンス門扉部分は開閉を固定できる一般的なタイプで、開けられないよう可動部に南京錠が下がっていた。
鍵穴部分をツタ系の植物が絡みついていて相当長い期間開閉したことがないらしかった。
国道維持はこの南京錠の鍵を今も保有しているのだろうか…


入口の横に現在まで気づかなかった部分があった。
鋳鉄のマンホール近くにお餅のような形のコンクリート片がある。
このマンホールが前回調べた水路の点検用口かも知れない


周囲はアスファルト舗装なのでこれが何であるかは大体想像がついた。

やっぱりそうだった。
それは固定されておらず手で持ち上げることができた。その下には塩ビ管が埋まっていて周囲はコンクリートで固めた跡があった。


これも地下道関連のものと思う。用途は四輪や原付などが入り込まないようにするための車止めである。収納可能なポストを設置していたのかも知れない。これがなければ空いた余剰地に車を停めたりされるし、農道や地下道の通行に支障を来すからだ。地下道がなくなったので出っ張ったポストを残したままだと危ないから撤去したのだろう。

目立ったコンクリート袖壁のある北側出入口跡についてはもういいだろう。
反対側の出入口は…何処にあるのだろうか。


もしかして…これのことか?


国道の南側は広範囲にパチンコ店の駐車場である。同様のコンクリート袖壁構造のものは見られないことは初めてここを訪れたときから分かっていた。店舗の幟が揚がっていたので、同じものは存在しないだろうと思い込んでいたのである。
しかしよく眺めると…確かに同様のネットフェンスで囲まれた怪しい領域がある。フェンス門扉も見えていた。
ここって…そんな目立つものは何もなかったと思うんだが…
萩原へ行った帰りは違う道を通る方が多いが、それでも何度か自転車でパチンコ店の前を通っている。いくら疲れていて家路を急いでいようが、奇妙なものがあれば気づいて撮影するものだ。

道路を渡って撮影しようか迷った。無理に今行かなくても業務を終えた後で覚えておきさえすれば、帰りに左側通行しつつ立ち寄って撮影できる。そろそろ真面目に萩原へ向かおうか…と思いかけていた。
ちょうどそのとき、すぐ近くに市道の接続する信号が青に変わった。感応式なので車が来ない限り変わらない信号なので、今のうちとばかりに横断歩道の方へペダルを踏み込んだ。

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今や「地下道の造りかけのような構造物」ではなく真に地下道だったことが判明したのだが、記事タイトルは変えることなく後続編を作成している。

(「地下道の造りかけのような構造物【3】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「FBページ|2016/3/2投稿分(要ログイン)

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