地下道の造りかけのような構造物【3】

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(「地下道の造りかけのような構造物【2】」の続き)

そろそろ真面目に業務へ向かって帰りのお楽しみにとっておくか、それとも日があるうちに撮影しておくか…と迷いつつも、折しも変わった青信号につられてサッと国道の反対側へ移動した。


フェンスのある怪しい場所はさっきのところから見えていた。そこへ自転車を乗り付けたのだが…
何じゃ、これは?


この辺りは歩道から海側の広範囲にパチンコ店舗と駐車場がある。しかしその一角に恰もパチンコ店が攻略しきれなかった飛び地の如く、奇妙なスペースが取り残されていた。ネットフェンスは基本が1スパン2mだから、広さは9m四方程度だろうか。南側が狭まった台形をしている。どういう訳か緑化シートのようなもので一面に覆われていた。

言われてみれば確かに異様な空間だ。この前の歩道は自転車で何度も通っている。しかしこの場所の存在からしてまったく頭になかった。パチンコ店の幟が常時揚がっており、店舗の敷地だからと思い込んで一瞥も与えていなかったのだ。


先ほどみてきた北側の出入口跡と比べれば随分と小綺麗にしてある印象を持った。
フェンス門扉に南京錠がぶら下がっているのも上部を金網で覆われているのも共通している。


しかし…北側にはあったコの字型のコンクリート袖壁がない。このためかつて何処に降りる階段があって周辺の通路がどうなっていたかさっぱり分からなかった。
もしかして…この部分か?


フェンスのすぐ内側には僅かばかりのコンクリート壁が頭をのぞけていた。
ここへ国道の下をくぐるような階段があったということだろうか…

フェンスの周囲までぴっちりシートが敷き詰められ、その端部はピンのようなもので留められている。シートとコンクリートの間に生じる隙間もガムテープのようなもので念入りに塞いでいる。シートをはぐって現れた階段から内部へ侵入して…という余地はまったくない。


上部を覆っている金網は同じものだった。この台形状領域すべてをたった一枚でカバーしている。
エリアの中央付近に2ヶ所ほどトンボのように見える棒が突き出ていた。


網の目は充分に細かくカメラのレンズが通らない。そのまま撮影しても手前にある金網にフォーカスを奪われて金棒部分にピントが合わなかった。

わざわざ分かりづらい逆光で撮影することもない。ちょっと駐車場部分へお邪魔してフェンス越しに撮影してみた。
上部に人の手で回すことができるように十字型のハンドルが付いているようだ。


これは何だろう?
必要だから設置したとするなら、これが台形状エリアの2箇所に設置されている理由は…


最初に思ったのは、地下道と一緒に通っている水路の操作用ハンドルではないかという推測だ。
地下道のできる以前からこの場所で用水路が国道下を横断していることは航空映像で分かっていた。理由あって地下道は双方の出入口を塞がれたわけだが、地下道を使わなくなっても用水路は流水を絞るなどの操作が要るため地表から操作するハンドルを設置した…と考えたのだ。

この場所が南側にあった地下道出入口の痕跡であることは疑いない。しかし判明したのはこの場所という情報のみと言っていい状況だった。シートの下がどうなっているかはまったく分からないし、昔の階段や通路が観察できる部分が存在しなかったからだ。

地下道の通路部分はどうなっているのだろうか。
双方の地下道出入口は念入りに塞がれている。しかし…国道の真下にある通路はどうなのだろうか。ここ以外でそれを窺える場所はないだろうか。


さっきまで居た北側出入口を向いて撮影している。
路面や分離帯には地下道の線形らしきものはまったく窺えない。


北側の出入口跡に向かってズーム撮影している。店舗前を清掃している従業員の姿はもうなかった。


地下道は垂直ではなく斜めに横切っている。元からあった水路に合わせたようだ。国道の4車線部分と線形改良前の道路敷を含めて横切っているためかなり長い地下道だっただろう。地図で眺めてみた限り50m程度ありそうだ。

せっかくあった地下道をどうして廃止してしまったのかという疑問はあった。新規に地下道を造ることはあっても、既にあったものを廃止するのは稀なことだ。少なくとも国道190号の市内通過区間においては地下道の廃用は他に聞いたことがない。

しかし地下道だったという正体のみが判明したこの時点では廃止の理由についてそれほど頓着していなかった。周囲の状況を観察すればおのずから推察はついたからである。
南側にある地下道出入口に向かったとき利用したように、現在は市道大沢住宅線の終点に押しボタン兼用の信号機がある。国道の江頭バス停の手前にも独立した押しボタン式信号機が設置されている。歩行者は安全さえ確保されるのなら、誰だって地下道の下り階段や陸橋の上り階段のような昇降に労力を使わず平面交差で横断したいものである。地下道を通る人が殆どなくなったから廃止したのだろう…

その推測は一部正しかった。そして萩原での業務を済ませてアジト帰宅後、この物件の正体と共に廃止されるに至った経緯が明らかになった。
【 物件名と地下道廃止の理由が明らかに 】
帰宅後一連の成果をダイジェストの形でFBのタイムラインに掲載した。この後、読者から地下道の閉鎖に関する記事がネット上に提出されているという指摘を頂いた。記事ソースは宇部日報社で、2008年に地下道の閉鎖工事を行ったときの状況が工事写真付きで掲載されている。[1]

記事によれはこの地下道は西岐波地下道という名称で、幅広な国道を横断するための地域住民や学童の通路となっていたらしい。しかし平成期に入って国道の歩道や横断箇所の整備が進んだ後、次第に地下道は通られなくなったようである。
単に通行しないだけなら何も塞ぐことはないように思えるが、放置したままにしておけない理由があった。地下道の防犯面や治安上の問題である。

陸橋や地下道は車の往来に制約を受けることなく常時道路を安全に横断できる手段だが、地下道の場合は陸橋よりも更にリスクを伴う。即ち地表からは見えない空間に身を置かざるを得ないリスクだ。
人目につきづらく往来も少ない地下道は、確かに事件を誘発しやすい空間である。特に女性や登下校時の女児は、独り歩きすることで被害に遭う事例が起こり得るし、実際起きたのかも知れない。それが如何に懸念材料となっていたかは、環境悪化が認識されていて行政・地域住民共にこの地下道の閉鎖を要望していたという事実で足りる。地下道壁面へのマジックやスプレーによる落書きもこういった閉鎖空間では起こりがちだ。

西岐波地下道がいつ造られたかについては記述がなかったが、もしかすると国道を通すとき灌漑用水路を暗渠にする過程で当初から管理道のような形で存在していたのではないかと推測する。前編の航空映像では写っていないと書いたが、当初は水路に沿う管理道のみで、国道から昇降できるように後から階段を追加設置したのではとも思える。階段やコンクリート袖壁、ネットフェンスが新しいからだ。この部分は古くとも昭和50年以降のものと思う。平成20年に閉鎖となれば、西岐波地下道が現役で使われていたのは高々40年程度ということになる。コストを要する構造物にしては短い寿命だ。

記事に掲載された写真を見る限りでは、地下道は確かに幅が狭い。下り階段はかなり長く地下道は国道の舗装面より5m程度下を通っている。横断水路のある高さが元々の地山レベルなので、現在の国道は別の場所から運んだ土を盛って造られている。盛土した区間に後から地下道を造るのは、深い位置を通る場合非常に困難である。地下道が当初から横断水路の管理道として存在していたと推測する根拠だ。

さて、一番の関心どころでもあるのだが現在、国道の下を通っていた地下道部分はどうなっているのだろうか?

まったくの憶測で言えば、恐らく完全には塞いでいない。通路部分は再び必要となれば充填された物を除去できる方法で塞がれていると予想する。即ち土砂やコンクリートを流し込んで完全に塞いでいるのではなく、かと言って利用されていたのと同じ通路空間のまま放置されているのでもない。例えば地下道空間にぎっしり土のうを積むなどの方法で塞いでいると思う。理由は以下の通りだ。
(1) せっかく造ったものを手間暇かけて再使用不能にする理由がない。
(2) 一緒に通されている用水路の補修が必要になった場合に備えて。
(3) 地下空間が眠っている方が夢がある(←何だよそれはw
曲がりなりにも地域住民の横断路として利用されていた時期は歓迎されていた筈である。それが時代の変遷と共に地下道という目に見えない空間の危険性が取り沙汰されるようになった。こうして歓迎されていた筈の地下道が真逆に「なくなって欲しいもの」となったのである。今後更に時代が進み環境が変われば「やっぱりあった方が良かった」に戻る可能性もある。そのとき復旧不可能な状態で埋め潰していれば後悔するだろう。
再び使うかも知れない余地を残していると考える理由は、現地の廃用処理のされ方からの推察である。真にもう二度と再利用するあてがないのなら、何も南側エリアのように緑化シートで覆ってフェンスで囲むなんてことはしないだろう。完全に埋め潰して上部を土間コンクリートで処理した方が管理が容易だ。そこまでしていないことから、あの緑化シートを除去すれば比較的容易に地下道の入口や階段部分を復旧できる処理をしているのではないかと思う。

(2) はもっと現実的な問題である。上流から何かが流れ込んで詰まったり、暗渠管がひび割れて漏水し盛土部分から水が噴き出るようなことがあったとき、管理道がなければ暗渠管の中を匍匐しなければならない。もっともこの用水路が現役使用されているかは分からない。

最後の「夢がある」は些か意味不明だろうが、希望的観測であり廃物件を嗜む人々が抱きがちな感情である。地下道は両端を塞がれているものの国道の真下には今なお外界から完全に切り離された闇の通路が取り残されている…そのような場所を頭に描くだけでかなりゾクゾクするものがある。これは同じ廃物セクションにも収録された旧本山炭鉱斜坑坑口のゾクゾク感と共通する。答が分からないうちは都合の良いように想像しておきたい気持ちもある。

ただし「両側を完全に塞がれ外界から切り離された空間」は、想像するに楽しいものだが恐らくそうはなっていないだろう。万が一地下道上部のスラブが抜け落ちることがあれば、内部が充填されていない空間だった場合国道が通行不能となってしまう。このことを想定して地下道断面にぎっちりと土のうなどを積んでいるかも知れない。

実際のところどのように廃用処理されているかは国道維持なら答を持っている筈だ。他方、問い合わせて回答が得られる種のものでもない。この先何かの方面から新たな情報が得られない限り、西岐波地下道の通路部分はどのような状態で眠りに就いているか謎のままであり続けるだろう。
【 執筆後の変化 】
ここまで書いた後、南側エリアで見たトンボ状の鉄棒を操作用ハンドルと書いたが、実のところそう深い意味はないのではと考え直した。


上部が十字になっているから回転させるハンドルのように見えるだけで、これはただの金網の支柱に過ぎないと思う。金網は相当な面積があるので、棒を立てて一点で支えると力がかかり過ぎて破れやすくなる。そのため十字の面で支えるようにしたのだろう。
それでも風でこすれたり金網の上に飛び乗る酔狂な通行人があったせいか十字の金具が当たる金網部分が破れている

これ以外に新たに分かった情報があれば総括記事側で追記する。
国道セクションに記事一式を移動するかも知れない
出典および編集追記:

1.「宇部日報社|西岐波地下道を閉鎖へ(2008/9/10)」の記事による。
リンク掲載について承諾を得ています
この記事についてはFBメンバーからの指摘により知った。
2016/3/5のタイムライン|江頭地下道(仮称)(要ログイン)

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