封鎖されたボックスカルバート【2】

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(「封鎖されたボックスカルバート【1】」の続き)

初めてここを訪れたときも同じ問題に直面し、そのときは何も持っていなかったし好奇心よりも危険と恐怖の方が上回っていた。しかし今回は当初からこの先がどうなっているか知りたい気持ちが再訪のモチベーションになっており、やすやすと引き返したくなかった。

どれほど先方を見つめていても目が慣れて来なかった。いや、目は慣れていたのだろうが絶対的な暗闇で何処からも明かりが漏れている様子はなかった。少しずついざり歩くのでは、どれほどの長さがあるやらも分からないこのトンネルを進む気力が起きない。

暗闇に立ったまま、前方を向いてやや諦め気味にフラッシュ撮影を試みた。
これがそのときの初回の映像である。


暗闇が昼間のように明るくなりすぐ元に戻った。一瞬のことなので、その明かりでは前方の様子がどうなっているか確認する暇がなかった。しかしカメラは克明に記録していてくれた。

今でこそパソコン上に表示される映像だから鮮明に見えるが、現地でこれを確認するには再生機能を使ってデジカメに付属する小さなディスプレイ画面で見るしかなかった。しかし思いの外映像は鮮明で、前方がどうなっているかの参考にはなったのだ。

そうだ…
この方法を使えばいいんだ。
フラッシュ撮影し、その場で再生して
前方の様子を確認しながら進む!
編集注記: 暗い場所の奥を探る一般的な踏査方法として援用できるが、奥に夜行性動物が潜んでいてフラッシュ撮影を契機に突進してくる危険性がある。この方法を援用する場合は、初回撮影時はそのような事態が起きても素早く退避可能な位置から行うべきである。内部を歩行踏査する場合は、バッテリー残量にも留意が必要。山立石池の未知の用水路に付随する素掘り隧道踏査時の行動も参照されたい。
再生映像からも右側に深い開渠があり、通路の左側には壁に寄せてゴザのようなものが放置されていることは確認できた。いざり足だとゴザを引っかけてしまうかも知れないが、通路に凹凸はなく普通に進むなら数歩分の安全性は確保された。

記憶が薄れないうちに数歩進み、再び暗闇に向けてフラッシュ撮影した。
やはり閉塞していた。


前方斜めに塞がる形で壁が見えてきた。やはり市道を横断するボックスカルバートだったらしい。
やや開渠寄りにタイヤが積まれているので、記憶が消えないうちにそこまで数歩進んだ。


映像で結果が分かるので壁までは歩かなかった。早くから障害物の存在に気づいており、歩いていてぶつかる恐れがあるからだ。
壁の天井付近にゲジゲジが一匹写り込んでいる…分かるだろうか

ボックスカルバートの縁は若干空いているようにも見えるが、接近する前から全く明かりが見えていなかったしここまで来てもそれは同じだった。ただ入口から聞こえてきた水の流れる音のみが響いていた。

危険なので接近はせず、音のする方にカメラを向けて撮影した。
右端の開渠はこの先ヒューム管になっているらしく、管の口が見えかけていた。
ヒューム管の中に別の細いパイプが挿入されているが正体は不明
その上にも何か細い管の先端が見えている。


障害物の正体は古タイヤと酷く錆び付いたストーブだった。どうやってここまで運び込んだものだろうか…もっともそれも今この画像を見ているから言えることなのだが…

どれほどここが暗い場所なのかは、閉塞した壁の方に向かって立ち一定の動作をすることで理解できた。
目を開けても閉じても見えているものが同じ。
即ち、全くの黒幕状態。
何とも恐ろしい場所だ。
夜寝るとき電気を全部消す人でも夜中に目が覚めれば、ベッドに寝たままで周囲の状況が分かるだろう。真っ暗ではない筈だ。このボックスカルバート最深部では壁面を向いている限り、次の行動を起こすのに視覚が全く何の役にも立たない。

いざりながらその場で回れ右して撮影した。
外の様子は肉眼でも見える。しかしここまで全く光は届かない。心理的には長く感じられたが、入口から閉塞地点までの距離は50m程度だと思う。


先が施錠された扉ではなくコンクリート壁で塞がれている以上、今やこの通路が全く廃されていることが分かった。何かの理由をもってある日突然塞がれ、日の光を受ける世界から永遠に切り離されることになったのだ。
ボックスカルバートの奥は閉塞している。
脇を流れる水路は、ヒューム管で更に上流からの水を受けている。
以上、探検終わり。
撤収しよう。長居は無用と言うか、長居したくない。どうにも背筋がゾワゾワしてしまう。あり得ないことだが、次の瞬間入口の壁がバサッと崩れ落ちて永遠に光が届かない空間に閉じ込められる悪夢を想像してしまう…

往路で足元の障害物などを確かめていたから、帰りは早かった。暗闇への目の順応にも助けられてさっさと歩いた。

出口付近まで歩いたとき、開渠の上に積まれていた気になるものをフラッシュ撮影した。
開渠の上に木の棒を渡して物置場に使っている。真っ暗な状態でその作業は出来ないから、まだ通行に供されていた時期に拵えたか、サーチライトの助けを借りたかだろう。


入口まで戻ってきた。もうフラッシュは要らない。既に傾きつつある西日と言えども、日の光が有り難い。
後から思えば午前中だと意外に奥まで日が差し込み明るくなるのかも知れない


いやはや、さすがに怖かった。ここ最近ないほど神経を使う踏査だった。
科学思考派なので、中に幽霊や不審者が潜んでいて襲いかかって来る…のような恐怖は全く感じなかった。暗闇に対する本能的な恐怖と、中に夜行性の動物が隠れていてフラッシュ撮影を契機に飛びかかってくるかも…という懸念があった。

さて、前節では述べなかったが私がこの場所を知ったのは、怖い廃物件があると人から教えてもらったとか地図で面白そうな場所を見つけたという最近の傾向によるものではない。はるか昔に仕事でこの場所を訪れ、そのとき偶然に見つけたのだ。

初めてここに来たのは今から十数年前のことで、この沢を下ったところにあるアパートの駐車場か敷地に関する相談および見積もりだったと思う。現地を見て広さなどを測る作業が要ったが、一人で出来るので私は地図で場所を確認し車で現地へ赴いていた。
既にアパート自体は建っていたと思う

来たときから私はあのボックスカルバートに気づいていた。業務で必要な測量を行った後、興味を持ってその入口に接近した。そのときから今と殆ど変わらない状態で、内部は真っ暗で先に明かりが見えなかった。ただ、今ほどあれこれ物が置かれてはいなかったと思う。開渠の上に竹竿のようなものが置かれていて、奥から水が流れ落ちる音が聞こえていたのは同じだ。

中がどうなっているかもの凄く気になったが、光を発する物を何も持ち合わせない状況ではとても中に入る気力が起こらなかった。デジカメは既に持っていたと思うが、業務で使うことはなく携行していなかった。(業務で現地確認が必要な撮影には専らポラロイドカメラを使っていた)敢えて後日訪問して正体を見極めて…というほどの本気度はなく、この場所だけを覚えていたのであった。

遂に内部の様子を究めたものの、このまま終えてしまったら、単なる酔狂で無謀な暗闇への度胸試しに終わってしまうだろう。幸い今は最初に訪れた当時より知見があるしネット上の情報も参照できる。それらを踏まえてキチンとした考察を加えよう。

この場所の拡大地図である。
ボックスカルバートの入口と開渠の記載から、閉塞地点は地図中でポイントした真下あたりだろう。


現在は閉塞地点の真上はいか土公園になっている。即ち市道小羽山中央線とは殆ど同レベルだ。周囲には地下道らしきものは見あたらない。
元から行き止まりな場所にボックスカルバートを造る筈もなく、かつては通り抜けが出来ていた筈だ。そのためには現在いか土公園がある場所は沢になっていたと考えられる。
実際、そこは沢だったのだ。
これは記憶がハッキリ残っている。それほど頻度は高くはないが、昔から県道を中山から走ったり小羽山中央線を小串に向かって走ることがあった。沢だった場所を宅地造成するのを道路から見たことがある。それもちょっと真砂土を均して雛壇を造る…といった程度ではなく、沢全体を埋め尽くす規模だった。かなりの土量が要ったと思う。
あのボックスカルバートを最初に見たのと造成とどっちが先だったか覚えていない

昔の状況がどうだったかは、昭和49年度の航空映像によって立証される。
「国土画像情報閲覧システム - 常盤池西部(昭和49年度)の航空映像」
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CCG-74-12&PCN=C21A&IDX=13
別ウィンドウで開いたページ右上にある400dpiのリンクをクリックすると高解像度の画像が表示される
この映像によれば、小羽山地区の造成がほぼ終了し宅地の区画が出来上がっている。他方、公営住宅の建つ場所はまだこれから造成にかかるという段階だ。

広大な一枚の航空映像から核心部分を見つけるのは大変なので、いか土公園の周辺を地図から切り出した図を用意した。ボックスカルバートの入口を白の矢印で示している。


昭和49年度の時点で既に小羽山中央線に相当する線形が出来上がっている。小串台付近は造成が完了し家が建ち始めていることから、小羽山地区より開発時期がずっと早かったことが分かる。
小串台の造成地区の端に高い擁壁があり、沢を隔てている。映像ではまだ田の畦畔が見えていることから耕作のための通行需要が考えられる。この時点ではまだボックスカルバートは通行可能だったのではなかろうか。

小羽山地区に在住するある方からの情報によると、このボックスカルバートをくぐった先の沢に家があったという。しかし造成に伴って家は解かれ、その場所は完全に埋められたらしい。

ボックスカルバートが完全には封鎖されていないのは、水の通り道を確保する必要からだ。沢を辿った先にまこも池があり、かつてはこの沢を小川が流れていた筈だ。具体的にどのようなルートになっているかは分からないにしても、まこも池の水が流下する経路はここ以外にない。

人間が通ることはもはやない。しかし上流の沢から流れてくる水は今もこのカルバートから排出されている。


この水路は同じ沢を伝って下流に向かっていた。


ボックスカルバート入口を荒れ地側から撮影。
今は田畑が作られている様子はなく荒れ放題だ。入口付近や通路に置かれている器具類もこの田畑の所有者のものだろう。


耕作されないまま放置されかなりの年月が経っている。
市道の斜面麓に遺されている農機具小屋が侘びしい。


少し進んでみたが、一面に荒れ地でこの沢を下っていく道は皆無に等しい。


ここまでを撮影し、現場を後にした。

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ボックスの延長が市道小羽山中央線の幅員の倍以上と長く感じられたのは、路面より10mくらい下を通されているからだ。市道は盛土の上を通されており、盛土の断面は等脚台形状になる。そのためボックスカルバートは市道の路肩よりずっと手前から入口が始まっている。同様に閉塞しているボックスカルバートの出口の真上は市道といか土公園の境目ではなく、公園の内部か更に外側になるのではと推測される。

ボックスカルバートの最深部はコンクリートの壁によって塞がれていた。これは間違いなく当初のボックスカルバート設置より後の時期の施工であり、もしかするといか土公園の周辺にコンクリート壁の天端が露出している場所があるかも知れない。

2年前のボックスカルバート内部の踏査時にはそこまで推測が回らず、検証はしていない。この件については、後日再調査を行う予定である。
【追記】(6/19)

一昨日(17日)にいか土公園周辺の調査を行ったが、決定的な証拠を見いだすことはできなかった。

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