市道小羽山中央線・横話【1】

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以下に述べる内容は、元記事の「市道小羽山中央線【1】」から呼び出される。元記事にそのまま埋め込むと冗長になるので、相乗せ記事として本編にまとめている。
《 市道小串小羽山線を利用するショートカット 》
市道小羽山中央線を車で走っていて、県道を経由して急いで市街部へ向かいたいとしよう。県道T字路の信号待ちのタイミングや状況によっては、旧道の市道小串小羽山線を経由した方が早い場合がある。
まあ、よほど急いでいる場合や変わりたての長い信号待ちが嫌いだという人限定だが、不正な運行手段ではない。その手順を示しておこう。

前方に市道小串小羽山線の交点が見えてくる。


市道小羽山中央線はここで大きく右へ曲がって県道に取り付いているので、もう少し進まなければ信号の状態はまだ分からない。

県道の信号が見える直前。ここへ到るまでに自分の後続車両が居ないか十分離れていることを確認する。
後続車両が近いと場合によっては急減速となり危険なので素直に県道へ向かうべき


信号が見えてきた。
ここで信号の状態を読み取り、前方の車の待機状態などを観察した上で、非常に素早く以下の判断を行う。


次の場合、左折して市道小串小羽山線に入る。
(1) 前方の信号が赤で、県道の上下線待機車両が動き始めた直後。
即ち県道の信号が青に変わったばかりのタイミング
(2) 前方の信号は青だが、左折待機車両が多く自分が青で左折できないかも知れない。
歩行者信号が青で点滅していて自分の前に数台いる状態

信号が見え始める位置から市道小串小羽山線への左分岐に差し掛かるまで、通常の運行速度なら1秒以下である。後続車両が皆無な場合は運行速度を落とすことで判断の時間を稼ぐことができるが、判断がつかない場合は素直に直進した方が良い。
経験則では「左折した方が間違いなく早い」と判断し実行したのは10回に一度程度
市道小串小羽山線は例の屈曲カーブがあって走りにくいが、それでも赤になったばかりの信号を待つよりは若干早い。また、起点には信号がなく県道には比較的スムーズに出られる。
市道小羽山中央線から出る車が信号で「堰き止められている」ので

この遠回りが常に必ず早いとは言い切れない。屈曲カーブから入ってくる車に進路を塞がれるかも知れないし、民家から車が出てくる可能性もある。更に言えば、市道小羽山中央線は県道に対して「強い」路線で、青時間はかなり長い。普通のドライバーはそこまでやる必要はまずないだろう。

市内ではこの他に市道樋ノ口琴芝線が県道に対して同様のテクニックが使えるショートカットとして知られている。一連の近道を車で通過することは記事を作成している現時点で全く問題ない行為だ。
ただし沿線住民や通行人を危険に晒すことのないよう注意が必要だろう。
《 小羽山入口にあったコンビニ 》
県道より市道小羽山中央線を入って最初のカーブを過ぎた先左側に、この写真を撮った5月時点でテナントが入らず空いている店舗がある。


ここはかつてセブンイレブン小羽山店だった。
店舗名は不正確かも知れない

小羽山へ向かう入口という利便性の良い立地のため、このコンビニの利用者は非常に多かった。
まだ野山に暮らしていた時期、週一回西部体育館で行われる体育教室に行くときはこの道を通ったし、同じ道を通って帰るときよく立ち寄った。決まった曜日の決まった時刻に行ってほぼ決まった菓子類を買うので、その時間帯に店番するレジ係の方に顔を覚えられよく話をするようになった。
昔からそういう傾向があったし現在も同じである

ただ、時期が下るにつれて客が増えると好ましくない現象が起きるようになった。
立ち読み客が駐車場を占拠している。
当時のコンビニは何処も概ね規模が一定していて、精々車が7〜8台しか停められなかった。もっとも普通は長時間滞在する場所ではないので、駐車場の入れ替わりも早かった。ところが駐車場に車を留め置いて買い物せず、書棚の前で長々とマンガ本を立ち読みする客が目立ち始めた。
この店だけの問題ではなく何処も頭を悩ませていたと思われる

このため、いつ行っても駐車場が満杯で停めきれない車が市道にあふれるようになった。市道は駐車禁止なので言い訳するためか、殆どの車がハザードを出して停めていた。
市道小羽山中央線は対面交通なので、通常は問題なく車が通れる筈だった。ところが路上駐車の車がズラッと並ぶために一般車両の離合ができず、通行のボトルネックとなってしまっていたのである。酷いときには駐車場に車がズラッと埋まっていながら買い物をしている客が見あたらず、店内に居る5〜6人の殆どが書棚の前で立ち読みしているときもあった。

長時間の立ち読み客のせいで市道の安全な交通まで脅かされているのは明白で、コンビニ本社へ苦情を報告したことがある。しかしその後も一向に改善されなかったので、結局体育教室の後でこのコンビニへ立ち寄ることを諦め、別の店で買い物するようになった
この市道の終点付近にあるライバル会社のコンビニ

2年前の秋口に訪れたとき撮影した写真である。
このときから既に車止めのバリカーが設置されていた。


コンビニ需要の高まりと駐車スペースの手狭さはどの会社も認識していたようで、その後駐車スペースの確保できないコンビニは一斉に閉鎖され、広い場所へ移転した。現在では県道の道路改良された区間に貨物トラックも駐車できる店舗が移転することで解決している。
コンビニという形態の店舗がこれほどの需要を持たれることを予見するのが如何に難しかったかを物語る出来事でもあった。
《 送電鉄塔と一般家庭向け電線 》
このすぐ先、殆どの人が気にも留めない(そして実際気に留めるだけの価値もないw)ある”仕組み”が観られる。


市道の上下線脇に一般家庭向けの電線が通っているのだが、1スパンだけ通常より低く張られている。それまで引っ張ってきていた3本の電線を灰色の箱に通し、被覆されたコードに束ねて数メートル低い位置を通しているのである。


何故そうなっているのかは、電線の上に写り込んでいるものから推測できるだろう。
高圧の送電線がすぐ上を通っている。
電気に関する設備への興味はあっても知識は皆無だから断定的なことは言えない。しかし電線同士が交差する部分で相互の高さが近すぎる場合には概ねこのような構造になっているから、相互に悪影響を及ぼさないように一定距離の空間を確保する規定があるのだろう。

通常よりも電線の高さが低い位置を通るので、頭上注意の立て札が出ている。
この2枚は2年前に撮影したものなので現在も同じ状態かどうかは分からない


電線の高さや送電圧にシールを貼って数値を変更した形跡がある。上を通る高圧線の高さを変更したのだろうか…
それにしても…送電中なら分かるが6万ボルト「充電中」っていうのはちょっと…sweat


6万ボルトとされている送電線は直角に横切っている。


ズーム撮影している。
この鉄塔は宇部変電所から恩田にある見初変電所に電力を送る主経路である。
沢地に建つ4番鉄塔は異様に低いのに対し、丘陵部に建つ鉄塔は高いし構造も若干異なっている。
4番鉄塔の方が昔からのタイプ…建て替えられ少しずつ減っている模様


今や小羽山も一つの大きな町を造っており、電力需要も相当あるのだろう。市道小羽山中央線に沿って両側に一般家庭向けの電線が張られている。この場所のイレギュラーは恐らく当該業務に携わる人なら頭にあるのだろうが、一般の通行人で注意を払うとか、ましてカメラを向ける人間などそうそう居そうにもないだろう。
《 いか土公園 》
情報この記事は書きかけ項目を含んでいます。追記の案内なしに記述内容が
追加・編集・移動・削除されたり写真などが差し替わる場合があります。

市道小羽山中央線沿いに手頃な広さと遊具を備える児童公園がある。


入口は小羽山中央線側にもあるが、正面に相当する入口はここから分岐し住宅街に向かう道に面している。


平日の午後だったのでたまたま誰も居ないだけで、子どもたちがよく遊ぶ結構有効活用されている公園だ。
先述記事「送電鉄塔と一般家庭向け電線」のある場所の端にあたる


そしてこの奇妙な名前…

いか土公園。


この名称は、かつてこの近辺にあった「いか土」という小字に由来する。
しかし、ではいか土とは一体どういう意味かと問われれば…
初めてこの公園を訪れたときのことを語って差し上げなければなるまい。

以下の4枚は、2年前に初めて訪れたときの撮影である。


このときまでに私はこの公園の奇妙な名前の柱に気づいていた。
野山時代に常盤用水路を追跡しここを通ったときだったと思う

公園の入口に自転車を横置きにして塞いでいる。どうやらボール遊びのボールが道路まで転がり出ないようにするための子どもなりの知恵らしい…


公園の標識柱を撮影していると、ボール遊びしていたちびっ子が寄ってきたので、多分ダメだろうと知りつつ尋ねてみた。
「この公園の名前って何って言うの?」
「いかつちこーえんっ!!」

「何で『いかつち公園』って言うの?」
「昔、ここでイカが泳ぎよった!!」
昔々、いか土は海の底で…その頃はイカもタコも我が物顔に泳ぎ回っていた…その後海が隆起して陸地になり…というのが子どもたちの主張だった。
いや…別に主張とかしていなかったけどw
それでも「いか土」の読み方が「いか土(つち)」であって「いか土(ど)」ではないことが分かっただけでもある意味収穫だった。
実のところ地名の分析にあたって重要なのは表記ではなく読みである

意味深な公園名は小字に由来するのではというのはおよそ想像はつく。
これは小字マップからの転写である。まこも池のすぐ南側がいか土という小字になることが分かる。


かつてこの公園を含めて住宅地になっている場所は沢になっていて、まこも池まで田が連なっていた。
昭和50年代あたりまでは沢に民家もあったようだ
最初に小羽山中央線が通されるとき、沢を横切る形で盛土された。まこも池からの沢は平成初頭まではそのままだったが、今から十数年前に沢すべてが埋められ、現在の住宅地と公園になった。

現在いか土公園付近の地勢は大きく改変され、昔の面影はまったくない。公園の名前だけに昔をとどめている。

いか土という小字そのものの由来はもちろん分からない。子どもたちが主張するように昔は海だったということはなく、魚介類の烏賊そのものには無関係だろう。
単純に考えれば、小字名に土という文字がある以上、この地の土質や地勢に由来すると思われる。人々がこの地で暮らし始めて歴史が浅ければその推測で間違いないだろうが、しかし更に古くから人が住んでいたなら、土は漢字表記を借りてきたに過ぎず別の意味を持つ場合もあり得る。
「いか土」ではなく「いかつ地」の可能性など

そのような奥深い由来など気にすることもなく、私が帰るときも子どもたちは公園を駆け回っていた…


この子たちが大人になってもいか土公園はそのまま名前を変えずここに遺り続ける筈だ。郷土資料館に行けば、公園名がかつてこの近辺にあった小字に由来することも分かるだろう。

「じゃあ、この記事を書いたときはどうだったの?」と未来の子どもたちに問い詰められても困るので今の私が先取りして答えておくが、現時点でも殆ど詳しいことは分からない。それどころか、市内にある他のどの小字も由来がハッキリ分かるものの方が少ない。しかしそれは私たちおよび過去を生きた人々の努力不足ではなく、あまりに成り立ちが古すぎて由来が分からなくなっているものが多いというのが本当のところだ。
私たちに為し得るのは、今を昔を可能な限り正確に伝えること位だ。この連鎖が切れてしまえば、その情報は永遠に過去の闇に葬られてしまう。

このドキュメントを誰にでも分かる場所に置いておくので、数十年(十数年のオーダーかも知れない)経ったら当時を伝える資料として使って欲しいと思う。私の後は…まあ多分誰かが同じことをやってくれるだろう。
訳の分からない使えない記事がかなり多いことには目をつむって…^^;

なお、いか土公園ないしはその周辺の道路の下には、かつてこの地が沢地だったことを今に伝える遺構が存在する。既に別のカテゴリで記事化しているが、公園で遊ぶ子どもが情報を知って興味本位に近づくのは非常に危険なので当該物件記事のリンクはここでは案内しない。
《 大和小羽山営業所 》
小羽山中央線から市道南小羽山北小羽山線が分岐するこの場所付近にあるコンクリート平屋の建物は、かつて大和の営業所と言うか事務所だった。


記事では「小羽山営業所」と書いているが、正式名称とは言えない。また、”かつて営業所だった”というのは私の記憶によれば、今から10年位前までのことだ。
大和と言えば、現在小羽山店が市道南小羽山線の終点付近に営業している。そこに大和が入る前のことだったと思うが、記憶が曖昧だ。もしかすると既に現在の位置に大和の店舗があって、この場所に営業所だけ別に存在していたかも知れない。

それと言うのもこの平屋は店舗ではなかったのではと思うからだ。唯一、確かなのは市道に面した壁面に大和を示すシンボルマークがあり、その横に「SM事業部」という看板があったということだ。即ち消費者向けに販売する店舗ではなく、統括管理などを行う事務所だったと思う。
もっとも初期は消費者向けに販売を行う店舗があったのかも…

この件に関して些か関係者には申し訳ないながらもニヤッとするエピソードを覚えている。もしかすると同じ妄想を巡らせている読者も少なくないかも知れないが…^^;

若い頃付き合っていた彼女が小串に住んでいて、北の方へドライブした帰りに結構この道を通った。帰り道だと大和事業部のこの建屋はすぐ左側に見えてよく目立った。初っ端確かこんな感じの会話があったと思う。
「ねえ…『大和SM事業部』ってあるよ。お店?」
「お店じゃあないだろ。スーパーっぽくないじゃんか。」
「ねえねえ…じゃあ何?中で…一体どんなことやってんの?」
「そりゃあ…もう…授業をやってんだよ。多分…」
「事業じゃなくって授業を?道具とか使って?」
およそ想像つくと思うが、SM事業部とは「スーパーマーケット事業」の略称だろう。しかし若気の至りかお得意のオチャラケ思考からか、いつの間にやらここを通るときには必ずその話題を上せるようになってしまった。

同じ思考形式であの看板を眺めていたドライバーは絶対他にも居ると断言する^^;

その看板は数年前まで掲示されていたのだが、気がついたら取り外されリサイクル店に変わっていた。事業部がなくなったか建物自体を売却したのだろう。
そうなると大和のSM事業部は一体何処に「活動拠点」を移したのだろうか…
余計なお節介ですねスミマセン…sweat

(「市道小羽山中央線・横話【2】」へ続く)
出典および編集追記:

* 読者からの情報によれば、この建屋はかつては店舗営業も行っていたようだ。現在の場所に店舗が移動し、事業部の機能を残して活動を継続していたと思われる。
ちなみに市道南小羽山線沿いにある店舗は、大和が店舗移転する以前は丸和だった。(2012/7/2追記)

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