真締川・御作興【2】

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(「真締川・御作興【1】」の続き)

石積み構造物の前まで戻り、そこから対岸へ移動できる場所を探した。
来るとき通った未舗装路を経由したとして…そこから右岸側を歩くのは難しそうだ。護岸ギリギリまでみっしりと灌木が植わっている。


幸い、そこから少し民家側へ寄ったところに淡い踏み跡がみえた。
知る人ぞ知る石積み構造物はそれなりに興味の対象らしく、近づこうとする人で自然な獣道状態になっていた。


小川も同然になった真締川の反対側へ移った。
すぐ裏手が民地になっているせいか資材が斜面まで押し寄せている。一部は近くまで転がり落ちているので私有地かも知れないと思った。
私有地なら言及すべきことではないがこの状況はかなり残念


石積み構造物のある側は斜面が急なものの枯れ草状態で何とか接近できそうだ。
定期的に草刈りされているのだろうか。


やっと近くまで到達できた。
城壁のような一枚ものの石積みの中でこの部分だけ人の顔の鼻筋のように突出していた。


樋管からはどれ位の勢いで水が流れ出ていたのだろう…排出される水量によっては石積み下部を叩くような長さである。落下する勢いで河床が掘り返されるのを防ぐためのようだ。

斜め下からのズーム。鑿で細かく成形しているのがみられる。
樋管は完全に干上がっていて最近流れ落ちたような形跡がなかった。


石積み構造物と河床の接合部。
何処までが当時の施工なのかよく分からない。あるいは江戸期当時からこの部分は川の縦断勾配がきついので石畳状態だったのだろうか。


水流の弱まる部分では鉄分を含んだ水が煮詰められるらしく濃い赤茶けた泥が溜まっていた。
もっと近接した写真はこちら


一般市民には霜降山系の水は良好で飲めば美味しいと考えられている。飲用に供されている泉もある。しかし場所や深度によって水質にかなり差があるようだ。これまで観てきた限り、霜降山の南側からの湧水には鉄分が多い場所がある。鉄分の多い水は明白な異味があって決して美味しいものではないし、飲み続けると健康被害も懸念される。また、鉄分の多い井戸水を汲み上げ長期間利用すると貯め置いた水槽が茶色に染まってしまう。[1]

真締川の水路部分は石畳である。ちょうど千林尼の石畳道の上を洗い流しになっているかのようだ。
この部分も全体的に真っ茶色である。


移動できる範囲はかなり狭かった。赤い鉄の泥が溜まっている場所が多く、足を滑らせて転んだらかなり悲惨なことになりそうだ。

反対側から見上げる角度で撮影。


真下から撮影。
石材の隙間にやや太い木の枝が押し込まれていた。多分、誰かが樋管の詳細を観察しようと足場代わりにしたのだろう。
私が足を掛けると折れそうな気がしたので自重しておいた


石材の接写撮影。
間知石ほどではないが大きさはバラバラでもある程度成形した石材を組みあげている。


この石積み構造物をはじめ周囲は城壁状なので、何処からも上へ登る手段がなかった。
できればこの石積み構造物の裏側がどうなっているか確認したかった。既に上部は民家になっているようだが、樋管の裏側が当時の状態で遺っているかも知れないと思ったので。

真下からでは樋管の内側がどうなっているか分からない。


斜面まで戻ってズームしてみた。
正対した位置でなければ中の様子は分からない。


正面から調べるには、砂利道の橋が架かっている場所まで戻る必要があった。
これでは距離があり過ぎて多分分からないだろう…


正面からズーム撮影。
内部は閉塞しているのだろうか…樋管の中に明かりは見えていない。


同じ場所から何度かズーム撮影を試みたのだが、測距が巧くいかず鮮明な画像は得られなかった。いずれにしても内部は閉塞しているらしい。
石積み構造物の背面が同じ高さの住宅地になっていることから、残念ながらかつて溜め池だった部分の石積みは残したまま土砂を投入して埋め戻されたようだ。元の用途が余水吐だったので、恐らく現在の穴あきダムと同じ形式で、溜め池の石積みの一定高さに同様の穴が空いていて自然排水されていたのだろう。

やや離れた場所から全体像を撮影。
周囲が妙に平坦で適当に灌木が植わっていることから、この辺りは当時からのものではないだろう。


この石積み構造物に関してこれ以上のことは調べられまい。
私有地にある物件かも知れないので周囲をうろつくだけでも気が引けた。


場所を覚えたから追加の写真ならいつでも撮りに来られる。
そろそろ時間になったので撤収した。


自治会館の方へ歩いて戻る途中、石積み構造物の上部へ接近できるか市道沿いからちょっと調べてみた。


完全に民家の私有地になっていて近づける状況ではなかったし、市道側に向けて立入禁止の標識も設置されていた。この場所を調べることは今後もできないだろう。

先行して総括記事でも書いたように、この石積み構造物は御作興のうちもっともよく知られた遺構の一つに過ぎない。この溜め池から常盤池まで計画されていた導水路の方に主体がある。この石積み構造物の裏側に溜め池があったとして、それはどの位の大きさだったのか、溜め池の何処から灌漑用水を送っていたのかは分からない。それが今なお一部でも現存しているのかも不明だ。

この謎を解くには、まず大無田池と呼ばれていた溜め池の外周を探る必要がある。石積み構造物の上は民家だが、隣接して埋め潰されていない部分があるかも知れない。用水路の始まる部分には調節しながら流す機構があったと思う。
水路そのものの存在も未知である。川上ふれあいセンター付近の斜面に痕跡があるということから、かなりのところまで造られたようだ。それがどの程度遺っているかは今後調べる余地があるだろう。

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後日再訪し、溜め池の痕跡らしき場所を見つけることはできた。しかし…後続記事とするには決め手となる要素に欠ける。水路の件も含めてもう少し煮詰まってから記事化しようと思う。リンク予定テキストのみ配置しておく。

(「御作興【3】」へ続く)

出典および編集追記:

1. 善和にある霜降山南側斜面の井戸水を汲み上げ風呂水に利用していた。数年でポリの浴槽が真っ茶色に染まって駄目になってしまったことがある。茶色の元も純鉄ではなく酸化鉄なので鉄分補給にはならないし、過剰な鉄摂取は人体には明白に有害である。

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