真締川・御作興【1】

インデックスに戻る

現地踏査日:2014/9/27
記事公開日:2014/10/7
総括の個人的関わりのところでも述べているように、御作興の存在は書籍で早くから知っていたものの何処にあるのか分かっていなかった。
このたび図書館で川上に関する詳細を記録した郷土史研究会による書籍[1]に出会い、御作興に関する記述とマップを見つけた。そして以前から思っていたようにやはり男山地区に存在していることが判った。

以下は、初めて御作興なるものにまみえたときの些かつれづれ歩き的な時系列レポートである。

---

北へ向いて出かける便があった9月下旬、午後からの用事まで1時間程度空き時間が生じたので思いつきで男山地区へ向かった。書籍では何度も写真を見ているものの未だカメラに収めておらず何処にあるかも知らない御作興を探しに行くためであった。

市道男山線の終点付近に男山自治会館があり、その空き地へ車を停めた。
見つけるまである程度時間がかかると思ったからだ。


市道男山線はそこから先車では何処にも抜けることができないいわゆるピストン市道だ。霜降山の登山道に接続するコースとして知られ、遙か昔に小学校の鍛錬遠足でも歩いたことがある。当時は真締川沿いの田舎道だったのだが、平成期に入って地元管理道から認定市道に昇格し、更に真締川ダムによって市道の付け替えが行われて集落の手前まで対面交通の快適な道に生まれ変わった。そのため通行車両は地元在住者と採石関連業者で占められ交通量もそれほどないのんびりとしたところだ。

さて、御作興なるものが何処にあるのか…
実のところ書籍に付属していたマップを持ってきていなかった。いくつかの用事を済ませた後になって空き時間ができて調査を思いたったのでアジトを出るとき準備していなかったのである。しかし御作興が真締川水系に関する遺構であることは頭に入れていたしマップでも男山集落の真締川上流端付近に印があったのも覚えていた。

離れた場所から上の写真を撮影し、まずは市道の終点に向かって歩いた。
確か郷土史研究会のマップでは市道の東側、それほど離れていない場所に印がしてあった。


市道のすぐ横を水路状になって流れているのが真締川である。日頃真締川を見慣れている市民にとってはまるで異なるイメージだろうが、上流はこんな細い水路になっているのである。
上の写真のように道路の下をくぐるボックスカルバートとなっていて、この真上が真締川の上流端とされている。[2]ここには県が設置する一般的な上流端標注の代わりに地元負担で設置された立派な石碑がある。ついでながらリンクで案内しておこう。
市道男山線の派生記事として先行公開済み
派生記事: 真締川上流端の石碑
この石碑は真締川ダム建設に並行して行われた真締川の付け替えなど整備工事の後で設置されている。即ちこの辺りを流れる真締川は昔の位置とそれほど変わっていないにしても、少なくとも護岸部分は平成期に入ってからのものである。コンクリートブロックの素材や傷み方を見れば分かる。たとえば昭和中期にはこのような意匠のブロックはなかった。
当時からあった護岸や斜面向けの汎用ブロックと言えば練積ブロック位のものである

御作興が今もまだ遺っているとしたら、このような改変から免れた場所の筈だ。そうなるともう少し上流部に入った場所ではないかと推理した。下流側は真締川ダムによって造られた未来湖から近いからだ。
石碑の写真を数枚撮り直しているとき、タイムリーにも地元在住者と思しき年配女性が集落の上の方から歩いて来られた。普段は人目を避けて行動するタチなのだが今回はお知恵拝借しようと思って声をかけた。
「済みません…ちょっとお尋ねしますが…『御作興(ごさっこう)』ってのがこの近くにあると聞いたんですけど…」
割と年配の方だったので所在地だけでも聞き取れると期待した。
「ちょっと…分かりませんね。私も昔っからの住民ではないものでして…」
溜め池の水を流す石積みという説明も付け加えたものの、御作興というキーワード自体に反応なさらなかった。集落の長老なら別として、集落外から越して来られた方なら仕方ないだろう。もしかすると書籍に掲載されてはいるものの現地男山集落でも無名に近い物件なのかも知れない。あるいは人があまり近づかないもう少し山の奥の方にあるのだろうか…

市道の終点から先は林道サイズの幅員の道が二又に分かれている。
実は直角に右へ折れる別の道がもう一つあった


このうち左側の地区道は初めて訪れたとき自転車で乗り込み、民家の庭先で行き止まりになっているのを確認していた。道中に目立った遺構らしきものはなかったので、今回は右側の分岐をあたってみることにした。


初めて自転車で訪れたとき、確か入口にロープが張られていたように思う。そのため採石場に向かう私道だろうと思って進攻していなかった。

天気はすこぶる良い。気温はやや高めだが湿度が低いので汗ダラダラといった状況ではなかった。この近辺という以外手がかりがないので、散歩がてら調べるのも良かろうと思いガツガツせず歩き始めた。

== 約15分が経過 ==

「さすがにこの先にはもう何もないだろう」という所まで進攻し引き返すこととなった。道中は若干の写真を撮ったが御作興にまったく無関係なので省略し顛末だけ書くと…
この道は最終的に採石場の敷地前で終わっていた。いや、正確に言えば採石場の前を通って更に山奥へ向かう道はあったのだが、通る人がないらしく草まみれだったし、マップに記載されていたと思われる場所から大幅に離れていくので進攻しなかった。
採石所付近には柵の向こうに石積みから水が落ちる滝のような場所があったが、書籍でみた御作興とはまるで違っていたから深追いはしなかった。特筆すべきことと言えば…精々道端に昔懐かしいAKB を見つけたこと位である。[3]まあ、当初から散歩を兼ねてのんびり歩いていたので無駄足とは思わなかった。

集落がある方の地区道入口。
いくら散歩気分で探すとは言ってもさすがに歩いて入る気にならなかった。結構距離があったのを覚えていたので。


もしこの先にあるものなら、次回は時間のあるとき自転車で訪れよう…

書籍で見た御作興は上流端の石碑よりも下流側にあるのかも知れない。それと言うのも真締川に沿って律儀にすべてを調べたわけではないからだ。
上流端を離れると真締川は市道から若干離れ、間に民家や畑が入っている。この裏辺りではないだろうか。


上の写真では上流へ背を向けて撮影しているからそのまま右側が右岸、左が左岸になる。左岸側にはフェンスがあってその内側に通路のようなものが見えている。そこへ入れるものなら下流側へ辿ることができそうだった。しかしフェンスの内側へ行ける道がまったくないことからどうやら私有地らしい。ここから下流側は水路の中に入りでもしない限り詳細は観察できないようだ。

車はそのままにして市道を起点側へ向けて歩き、次に道路が再び真締川を横切る場所をあたった。
この場所だ。市道は名前のないコンクリート床版の橋で横切っている。


欄干から下を覗いてみた。
練積ブロックに両岸を固められた水路で、これだけではいつ頃整備されたものかは分からない。


その少し上流側で河川はやや屈曲し、古い石積みのようなものが見えていた。
これは河川整備時代以前のものだろうけど、御作興とは直接関わりがないだろう。書籍で確認しているものとはまるで違う。


ここより下流側は辿る必要がなかった。真締川が市道の反対側へ移る場所であり、マップでは確か御作興の位置は市道の東側に記載されていたからだ。そうなると…このコンクリート床版の橋から上流端の石碑があった場所との間が怪しい。
そこで再び市道を引き返して上流側に歩いた。この区間で真締川は市道の東側にあるので、接近可能な場所をしらみ潰しに当たろうと思った。それでも見つからないなら…真締川に付随する別の支流か、あるいは既に失われてしまっているかも知れない。参考にした書籍は真締川ダムが計画段階のものだったので。

コンクリート床版の橋のすぐ先、左側に真締川ダムの管理道入口がある場所で、その反対側に沢の方へ下っていく細い道があった。
既に総括記事でネタバラシしてしまっているのだが…


その道は市道を離れてすぐ未舗装路になっていた。先の方には庭園のようなものが見えていたので、何だか他人様の家へ入り込んでしまうのではと思われた。

まったく初めて訪れる場所である。
未舗装路は確かに細い真締川を横切っていた。その先では何か水の流れ落ちるような音が聞こえていた。砂利道を歩いて左側を見ると…


かなり意表を突く場所にそれは姿を現した。
ここだったのか!!


確かに書籍で見たのと同じ石積みの構造物だ。上部に鳥の嘴を思わせる排出口が見えている。
しかし…想像していたのとはまったく違う場所のように思われた。


それと言うのも書籍によれば、この石積み構造物は溜め池の余剰水を排出するためのものという説明があったからだ。いわゆる余水吐なら、当然だがその後ろに溜め池が存在するものである。ところが現地では石積み構造物の真上は民家の庭先であり、近接して家も建っている。まるで溜め池らしき場所ではない。
ただ、かつては溜め池だったのか石積み構造物の両側には城壁のような構造がみられた。

小川同然の真締川を挟んで接近してみた。
川の水は妙に赤茶色っぽい。


石積み構造物の下は同様な石畳の水路となっていた。
勾配があるので水流で削れてしまわないように石材を敷き詰めたのだろうか…


そう思ったものの、この石畳部分は本当に石積み構造物と同時期のものだろうかと考え直した。それと言うのもこの場所は真締川上流端よりも下流にあるからだ。真締川ダムに伴い真締川も部分的に付け替えるなど改変されたことが知られている。この場所も見かけは石畳ながら、平成期に入ってからの整備かも知れない。

ズームで全体像を撮影する。
石材は大小さまざまな形をしていながら平らな面を手前に揃えて積まれている。上部の石樋は丁寧に加工されているように見えた。


ともあれ、近づいて撮影したい。
しかし足元にはみっしり水際を好む植物が生えていてどこまで地面があるかすら分からなかった。水深は殆どないが背丈近く段差があるし、石畳は苔を蓄えていて見るからに滑りそうだ。


対岸へ渡ることができないか上流部に向かって歩く。
真締川はこの部分で石畳のような河床になっていた。これは…見かけは風流だが真締川ダム時代の改修によるものではなかろうか。


この砂利道へ入る前から水が流れ落ちる音が聞こえていた正体が分かった。
勾配が緩やかになったところで真締川は屈曲し、コンクリート水路から段差を流れ落ちていたのだ。


この状態からして先ほどみた上流端から石積み構造物の前までの石畳部分は河川付け替えなどで手が加えられた可能性が大きい。流水で河床が削れたり経路が変わってしまわないように改修したのだろう。佐波川関水のように特別な用途ではるか昔に手を加えたのでもない限り、河床を石畳にはしないものだ。

屈曲部付近は結構な藪で、カメラを構えられる位置を確保するのに難儀した。
真締川は練積ブロックの間を流れた後、ここで段差を解消するように落下し直角に曲がっていた。


対岸は先ほど確認したフェンス付きブロック積み擁壁で、対岸へ渡れる場所はまったくなかった。もちろんジャンプで一跨ぎできるような幅ではない。
下流側から回り込めないだろうか…一旦石積み構造物の前まで戻ることにした。

(「真締川・御作興【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「歴史散策かわかみ」p.62〜63(川上郷土史研究会)

2. 上流端と言っても物理的な川の源というのではなく、県の管理する2級河川真締川としての管理限界という意味である。当然ながら河川としては更に上流がある。

3. AKBについての説明が「FB|2014/9/30タイムライン」にある。(要ログイン)
内輪ネタ的だけど何のことか大体想像がつくよね…

ホームに戻る