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一本松(いっぽんまつ)井手とはかつて真締川の下流側から3番目に存在していた井堰である。
写真は左岸下流側からの撮影。
位置図を示す。
写真で明らかなように一本松井手は既に井堰の形態としては存在しない。現地の写真を採取した時点で既に撤去されコンクリート基礎部などの痕跡を遺すのみである。
一本松井手の右岸側は当初から昇降用の階段が造られなかったようで護岸は通常タイプのままである。ガードレールも切られていない。
左岸側には井堰へ降りるための階段が設置されている。
ゲート操作用の機器が取り付けられていたのだろうか…尖ったボルトを露出させたままでは危険なので金槌等で叩いて曲げられていた。
井堰へ降りる階段は護岸とほぼ一体化している。現在あるコンクリート護岸を造るときとほぼ同時期に設置されたようだ。
かつてゲートを固定していた台座部分はそのまま遺されている。
ゲートがあった場所だけ河床部をコンクリートで保護していたらしく痕跡がみられる。
ゲートを固定するコンクリートと一部の部材が現地に遺っている。
鋼製部分は鋼材として再使用するために溶断されている。
左岸側に階段や設備の痕跡がみられることから、井堰で上昇させた水は左岸から田畑へ配分していたらしい。ただし取り出しの水路は見つからなかった。
昭和後期から田畑の作付け面積は減少の一途を辿っている。現在まだ作付けを行っている田畑も従事者の高齢化、後継者不足の問題により更に減少するのは否めない。他方、食糧自給の重要性が再認識されてきたこと、次世代による効率化された農業への取り組みへの関心からこのまま灌漑用水需要が皆無に向かうことはただちには考えづらい。既存の井堰が更に減少する事態は起こり得ても真締川から完全になくなることは無いだろう。
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くるま井手 | 御手洗堰 |
《 個人的関わり 》
市道真締川西通り2号線は交通量が多く自転車ではあまり通らない。川上方面を踏査した帰り、交通量の多い道路を嫌って真締川左岸沿いの護岸道を自転車で通っていて見つけた。したがって本記事に掲載したのが初回踏査のときの写真である。
《 地名としての一本松について 》
この井手の名称である一本松は小字ではなく、かつてこの場所の左岸に生えていた松の木に由来している。[1] 小字絵図をはじめ一本松という小字はみられない。これと同様に、小野田線の雀田駅付近にみられる一本松踏切も地名由来ではなく、かつて道ばたにあった一本の松によるとされる。この松は昭和40年代まで存在していたが台風で倒れ今は存在しない。[2]