真締川・船卸し斜路

真締川インデックスに戻る

記事公開日:2015/7/11
塩田川ポンプ場より30m程度下流側、真締川公園の中に一ヶ所護岸が切られて船の荷揚げを行っていたと思われる遺構が存在する。
写真は左岸下流側からの撮影。


位置図を示す。


対岸からズームしたところ。
この場所だけ当初から予定されていたように石積みが切られ、直角方向に河床へ降りる斜路が造られている。


現地には容易にアクセスできる。
対岸には市道真締川東通り線が通っていてすぐ横が市の真締川公園になっている。
公園の横へ道路から斜路へ降りる入口がある。


この周辺は相当以前から集合住宅や民家が建ち並び、木舟を真締川へ浮かべて利用する家などありそうにない。しかし遺構としての重要性と必要性は認識されているためか、後年造られた道路沿いの建築ブロックもこの場所だけ空けられ堰板で塞がれていた。


現地は立入禁止になっていない代わりにこれが何であるかを説明する表示板などもない。
特に危険な場所でもなく干潮時には斜路の一番下まで降りられる。


実際に降りて観察してみた。
真締川の石積みは間知石の谷積みで構成されている。角にあたる周辺は部分的に布積みにして稜線を造っている。


上流側の様子。前方に見えるのは寿橋である。


この辺りは新川において興味深い遺構の集う場所である。塩田川ポンプ場の排水路下部には洗堀防止に据えたとみられる石畳が露出している。また、寿橋の対岸少し下流のコンクリート護岸には長方形の排水口らしきものが見えている。これはかつて存在していた宇部火力発電所のタービン冷却水排水口である。

斜路の床部分は石材が敷き詰められているが、川に近い部分はコンクリートで間詰めされていた。


上の海水に浸らない斜路部分はあり合わせの石材を適当に詰めたようである。
ところどころに黒々とした石材が紛れ込んでいるのが目を惹く。


黒い石となるとすぐ石炭を想起するが、思いの外硬く外観からしても石炭ではない別の石だった。別の場所から持って来たものを流用したのかも知れない。

現在の真締川は西宮付近より下流はすべて両岸とも石積みないしはコンクリート護岸になっている。特に樋ノ口から西宮までは平成期に入って大規模な河川改修を行ったばかりだ。他方、樋ノ口橋より下流側は初期に築かれた石積みを部分的に補修している。
この斜路の経緯は今のところ不明だが、石積みを改修するときわざわざ切られた後年のものとは思えない。初代の石積みが造られたときには既に存在していたのではないかと考えている。新川部分において石積みが切られているのはこの場所だけであり、しかも斜路石積みの下部は当初から意図して造られたような構造になっているからだ。

河川の護岸はしっかりとした石積みで護られるべきものであり、こういった石積みの切れ目は水害に対して脆弱である。特に石積みを造った後になって舟を降ろすための斜路を造りたいという要望が認可される可能性は低い。このことから個人が利用するためのものではなく、この辺りにかつて多くの舟が集い荷の揚げ卸しをする場所があったか、有力者の邸宅や工場があって経常的に使用されるため早期に斜路が造られたのではないかと想像される。

満潮近くのときの映像。
斜路の下側まで水に浸る。


石積み全体が昔からのオリジナルというわけではない。石垣の上部を観察すると塩ビ管の水抜きが設置されているのを観ることができる。


護岸上部の公園部分に降った雨水は地面に染み込み石積みの間から流れ出る。そのままだと石積みが緩んでしまうのでこのような水抜きパイプを設置する。上の方はコンクリート自体割と新しいので、昭和後期か平成初期に積み直されている。

今のところこの斜路に言及した郷土資料に接することができていない。河で泳いだり近くで遊んだことがあるという報告を複数受けている。[1]また、公園緑地課の真締川公園となる以前はこの場所は私有地だったという。
真締川を介した水運については上流からの運搬に加えて潮の干満を利用した内陸部への遡行もかなり早い時期から行われていたようである。大正中期、木田から厚東川を船下りして一旦海まで出て、その後上げ潮を利用して新川を遡行し樋ノ口付近まで客と荷物を運んだという記録が遺っている。[2]あるいはこの斜路が荷揚げ地だった可能性もあるだろう。

現在は堰板で塞がれているものの廃物になっているとは思えない。新川部分へ船を降ろすことが可能な場所がここだけなら、例えば新川を浚えたり上流から押し流された流木などの障害物を取り除くときに河へ降りる場所が要るだろう。しかし少なくとも現状はまったく使われておらず殆どの市民に知られない存在である。この物件の成り立ちなど詳細が判明次第追記する。
《 個人的関わり 》
幼少期は真締川沿いを歩いたことがなく昔の詳しいことは殆ど知らない。観察を始めたのは現在のアジトへ引っ越してきてからである。
真締川がかつて居能方面へ向いて流れていたことは小学校の郷土読本で知っていたし、かつて何処を流れていたのかは比較的早期に興味を持たれアジトへ越してきてすぐ探索を行っている。現在の新川部分の観察もほぼ同時期に行っていて、古い石積みを眺める過程でこのイレギュラーな部分に気づいた。


この物件については、以前参加していた地域SNSで投稿している。なお、当該SNSは既に閉鎖され存在しないが記事はMHTML形式で保存されている。
現地付近での動画。(2011/1/30撮影)
[再生時間: 36秒]


地域SNS時代に初めてこの物件を報告したときの記事。
907KB, MHTMLドキュメント。2011年2月2日公開。
本件は限定公開の配布用資料です
外部ブログ記事:  真締川へ降りる石畳の斜路
出典および編集追記:

1.「FB|2015/7/8の投稿

2.「二俣瀬小学校百年史」p.72

ホームに戻る