寿橋

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現地踏査日:2013/4/3
記事公開日:2013/5/29
寿橋(ことぶきばし)は真締川に架かる橋の一つで、松島町と寿町を連絡している。
橋の中央部分をポイントした地図を示している。


寿橋という名前の由来は、寿町という町名に対してニワトリと卵の関係かも知れない。寿町に架かる橋だから寿橋なのか、最初に寿橋と命名された橋が架かったから町名を寿町にしたのか…知見がないので断言はできない。他にも錦町のように慶びや発展を意味する言葉を冠した町名があり、そういった流れかも知れない。
寿橋の知名度は恐らく錦橋などと同程度と思われる。即ち「真締川に架かる橋の名前ということは分かるが正確にどの橋かは自信がない」というレベルだ。もちろんそれは一般市民の話であって近隣住民や特に思い入れのある方なら即答できるだろう。

寿橋の架かる場所は、塩田川が真締川に注ぐ地点のすぐ上流部である。このため市道宇部新川恩田線は真締川と塩田川を続けて渡る形になる。また、橋の前後で道路線形がやや屈曲している。
塩田川ポンプ場を避けるためと思われる

さて、記事公開時期からは期間が経ってしまったが撮影時期はサクラの花が満開だった4月上旬である。時系列で言えば黄幡公園のサクラを観に行った帰りだった。
宇部新川恩田線はかなり交通量が多く、歩道も通行人が結構目立つ。自転車を停めたはいいが、橋を撮ろうとカメラを持ち出してウロウロするのはかなり気が引けた。


実は上の写真を撮ろうとしてさっそくコケてしまった。無造作にカメラを構えてシャッターを切ったらたまたま橋を通りかかった予期しないものが写り込んでしまったのである。自分は別にこの種の車の撮影には興味を持っていないので同じ場所から再度上の写真を撮り直した次第だ。

市街部を離れた場所なら橋の撮影など別に思い悩む要素はない。自分が好適と思う場所へ移動してシャッターを押すのみである。しかしさすがに寿橋付近はそんな雰囲気ではなかった。
いくら今と昔を記録に遺す必要性を唱えようが、道路の中央部へ躍り出てカメラを構えていたら通行車両や歩行者から冷たい視線を浴びせられ、あるいは危険人物とみなされ通報されるだろう。タイミングが合えば先ほど不本意に写してしまった白黒車がUターンして私を短いドライブに連れて行ってくれるかも知れない…^^;
それ故に今回は道路センターからの撮影は当然見送り、安全な場所から手短に撮った写真で妥協することになった。

まずは下流側右岸の親柱。
非常に背が高く堂々としている。真締川にいくつか架かる橋の中でも親柱の豪勢さはトップクラスだ。


まるで灯台を思わせる重厚な造りで、上部には石灯籠のような笠が載り、ガラス窓のような部材が取り付けられている。
もしかすると夜間は点灯するのだろうか…

漢字で寿橋と表記されたプレートが設置されていた。
しかし…真締川を渡る電線やガードレール、立て札が正直橋の撮影の邪魔だ。撮影時刻も午後3時過ぎとあって街路樹の影が親柱にかかってしまっている。

木の陰を避けて少し車道寄りから撮影してみた。
そうすると今度は道路標識が…sweat


周囲がこんな状況なので満足いく写真にはほど遠い。青空が拡がる天気であることがせめてもの救いだ。
まあ、いいか…(←投げやりだなぁw

右岸下流側から橋の下を眺めている。


橋の真ん中のスパンに壁の一部が剥がれて落下したような痕跡がある。
これは一体どうしたのだろうか…


3連アーチ部分の縁は後から塗られたのだろうか…白く縁取られている。その部分が壊れて下地の鉄筋が見えかけている。よほど酷く何かが当たったのだろう。

何かが当たって剥がれるというのも信じがたい。上流側なら洪水時に流木やボートが激突して剥がれたと推測できる。よく分からないのは下流側に剥落ができている点だ。
潮が満ちるときロープの解けたボートが遡行して橋に激突したのだろうか…その程度の勢いでここまで剥落するとも思えないのだが…

右岸上流側の親柱。
漢字で真締川と表記されている。


歩道から上流側を撮影。
鉄分要求度の高い方ならまず外せないJR宇部線の新川橋りょうが見えている。


下流側。
左岸に排水口のようなものが見えているのが塩田川ポンプ場の樋門である。
海水が遡行しないように樋門が取り付けられている


欄干もまた親柱同様に如何にも重厚だ。
車がぶつかっても持ち堪えそうなほどの厚みがある。近年の橋は欄干が細身のアルミ製などが主流だが、この時代の橋は概ねこのような感じだった。
鉄格子部分は歩道からの転落防止に後から設置したのかも…


興味深いのは欄干が一様ではなく、橋脚のある部分にこのような装飾を施された石材が置かれている点だ。
その造りもまた凝っている。


市道の終点側に向かって撮影している。
塩田川ポンプ場があるため市道は左岸接続部で屈曲している。
終点側から車で走るときは橋手前の幅員減少に注意


左岸側上流部の親柱。
真締川公園として植えられたサクラが大きく伸びていた。


銘板は平かなで「ことぶきはし」となっていた。


左岸下流側。


架橋年月をあらわすプレートが設置されている。
昭和13年7月竣工となっており、真締川に架かる橋としてはかなり古い。


立派な親柱など橋の造りを観れば、それが昭和初期のものであることに充分納得がいく。しかし設置された橋名や竣工年月のプレートは如何にも新しい。当時は石版に直接彫り付けるのが普通で、道路橋の親柱にブロンズのプレートを設置するようになったのは近年のことだ。
新しいブロンズのプレートに置き換えられている理由は分からない。破損や紛失が想像されるが、もしかすると本来は別の場所に架かっていた橋の親柱だけをここへ移設したのかも知れない。

左岸側から撮影。
写真には入っていないが撮影位置のすぐ背面に塩田川ポンプ場がある。


寿橋を挟んで真締川沿いの両岸が真締川公園となっていて多くのサクラが植わっている。
満開時は華やかで写真を撮る人が結構多い。
ただし下の写真は一昨年撮影のもの


私も川面と寿橋をバックにサクラの写真を…
これは去年撮影した写真


重厚な親柱に象徴される寿橋の造りは、この橋の重要性を象徴しているようだ。
もっとも私自身は寿橋の経緯を何も知らない。この近辺に知り合いはなく今でも寿橋を車や自転車で通ることは少ない。いくら昔から市内に暮らしている身とは言っても、自分の生活範囲から離れていることは何も分からないという一つの実例だ。

最後に寿橋の撮影中に偶然見つけたある種の「密告ネタ」を…
それは最初に撮影した親柱の台座部分に見つけられた。


誰だよ?
こんな所に仮ベン[1]設置したのは?


白ペンキで K.BM + 5.933 と描かれている。掠れながらも今なお読み取れるということから随分と前に油性ペンキで描かれたらしい。これが意味するものは業界人なら一目で分かる。まあ本節で述べるほどではないので脚注を参照[1]して頂くということにして…

それにしても当面の疑問は、立派な親柱の上部に観察される明かり採りのガラスが夜間に点灯するのだろうかという点だ。周囲を見渡す限り電気の配線はなかった。あれでも橋の下側など目立たないところに線を這わせているかも知れないが…周囲の目があったのでそそくさと撮影だけ済ませて帰った次第だ。

恐らく単なる装飾だろう。4ヶ所ある親柱の上部にはそれぞれ4個のガラス小窓が取り付けられている。実際に点灯するなら、球切れを起こしたときの交換作業が大変だろう。
あれでも昔は夜間点灯していたとか、今でも周囲が暗くなると自動的に点灯するLED電灯が仕込まれていて夜間に自動点灯するのかも知れない。もし点灯するなら夜間の寿橋を撮ってみる価値がありそうだ。

先述の通り私はあいにくこの方面を訪れることが殆どなく、まして夜間に車で通ったことがない。どうしても気になるなら今晩でもちょっと車を遠回りさせればたちどころに解決するのだが…もし状況をご存じの読者がいらしたら教えて頂きたい次第だ。[2]
今でも夜間点灯するなら点灯時の写真を追加します

上流の橋 上流側に架かる橋に移動 下流側に架かる橋に移動 下流の橋
樋ノ口橋緑橋

出典および編集追記:

1. KBMは「仮ベンチマーク」の略で、+5.933はエレベーション(絶対高度)を示す。この台座部分の基準高が5.933mであることを示す情報である。
土木建築工事では現地の地盤や構造物の設置高を決定するにあたって、数ヶ所設けられているベンチマークから高さを引照する。しかし工事中に毎回正規のベンチマークから引照するのは不便なので、工事前後で動かない場所のエレベーションを測定しそこを基準にすることがよく行われる。こうして設置された参照地点を仮ベンチマーク(一般に「ベンチマーク」「ベンチ」とも)という。
仮ベンチマークは工事終了後は撤去ないしは抹消し現状復帰するのが通例である。橋の親柱の台座部分などスタッフ(箱尺)を立てやすい場所を仮ベンチマークに設定することもよく行われ、その場合は具体的な場所やエレベーションを野帳など別途記録する。KBMのナンバーやエレベーションを記載した木製の杭を設置する場合もあるが、いくら現地ですぐ分かるようにしたいとは言っても歴史ある構造物に直接ペンキでマーキングするなど論外である。もし業者名が判明したなら、当時の現場代理人は現状復帰した上で頭を下げに行かねばならないかも知れない。
まさか市道路課自身が設置したマーキングじゃあないよね

2. 寿橋は現在も夜間点灯されている。夜間この方面を訪れる便があれば点灯した親柱の写真を追加する予定である。

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