真締川・砂どめ井手【3】

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(「真締川・砂どめ井手【2】」の続き)

何の人工物もなさそうな斜面に巨大なコンクリートの塔を見つけた。
中には土砂が溜まっているらしく穴から木が伸びている。


かなり背の高いものなのに管理道を歩いているときこのコンクリート塔はまったく気付かなかった。上端が管理道の地面よりも低い位置にあるか、前面を藪に隠されていたからだろう。

接近するとき手前側下の方が大きく空いていたので竪坑ではないかと一瞬怖じ気づいた。


コンクリート塔の基礎部分で土砂が流れた跡らしかった。
場所柄、これは昔の貯留ヤードではないかと思う。採取された石材を粒径ごとに分別するこのような設備は多くの採石所に見られる。かつてこの近辺で採取していたものの場所を移動したので使われなくなったのだろう。

ここの採石所に関してはいつ頃から稼働し始めたのかまだ調べていない。遙か昔は高日山、堂山があった場所とされる。高日山は虚空菩薩像の降り立った地で、奈良の行基が仏道の行き渡っていない地へ降り立つことを祈念して空に放ったときここ高日山へ降り立ったという伝説で知られる。隣接する堂山には虚空蔵が祀られていた。[1]良質の石材が産出するということで採石地とされ、現在は山どころか深い窪みを持つ露天掘りの場となっている。真締川は露天掘りの窪地より高いところを流れている。

コンクリート塔の側面に遺っている型枠の痕などからして昭和中期以降のものだろう。塔の上まで登って調べようとするほどの興味は感じなかった。それよりも当初のタスク最優先だ。

再び斜面を下降する。
竹藪越しに砂どめ井手の全容が明らかになりつつあった。


あと少しだ。成せば成る。
斜面は緩やかになったが積もりまくった木の葉で足元が滑りやすく気を抜けない。


ちょうど降りたところに低いコンクリート堰堤があった。その存在は斜面の途中からも見えていた。
中央部分は破壊された跡がありそこから水が流れ出ている。堆積した葦の茎がもの凄い。


低いコンクリート堰堤の接続部は砂どめ井手の構造と同様斜めに切り欠かれたようになっていた。高低差は1m程度。まあこの程度なら降りても登り直すことはできると思われた。
堰堤の上に大岩が乗っている。過去の大水で上流から流されてきたのだろう。


滑り台の要領で斜めの切り欠き部分にしゃがみ込みそろそろと滑り降りた。

分厚く積もる葦の山の中に足(?)を踏み入れるのは危険だ。滑りやすいし簡単に折れて足場代わりにならない。
堰堤上に乗っかる岩を何とか跨いで先へ進んだ。


遂に到達した。
ここなら砂どめ井手を下流側正面から見られる。


圧巻!!
ついに正面からの撮影に成功した!


堰堤はコンクリート製だ。先ほど上から眺めたときには石積みが見えていた。水流で削れてしまわないように水が越えていく部分は石材で拵えているようだ。
高さは目測で8m程度で幅は見えている部分だけでも10m以上ある。

流れ落ちている上部を撮影。
それほど水量は多くない。しかし豪雨の後ともなれば壮大な滝状態になるのだろう。


この砂防堰堤の存在については地元在住民が語っていたし地図でも堰堤の記述がみられた。相応な大きさがあるらしいことは分かっていたが、この落差の大きさは想像以上だった。
灌漑用水向けの井手は他にいくつかあれど、真締川ダムの余水吐部分を別にすれば真締川の全行程で最大の落差をもつ場所と言えそうだ。

堰堤直下の溜まり水部分は透明度が低くどの位の深さか分からなかった。
滝壺とは異なるから精々1m程度だろうか。


透明度こそ低いものの昔みたいに浄化槽を通さない家庭排水の流入は殆どないから、昭和中後期あたりには夏場子どもの水遊び場になっていたのではないだろうか。


この堰堤の構造や高さ、すぐ下流側にある破壊された低いコンクリート堰堤、そして場所柄から砂どめ井手の成り立ちが推測できそうだった。
採石所が独自に造ったのでは…
いつの時代まで遡るか分からないがある時期にここが採石所になった。高日山があった場所とされるから、周辺の土地を買い取って採石所となったのだろう。

採石所では岩石を採取する過程で必ず土砂が発生する。広範囲に掘削すればどれほど対処しようが雨が降れば真締川へ土砂が流れ込むのは避けられない。そのまま放置すると下流域まで砂が運ばれてしまう。そこで県の指導か採石所の企業努力によって下流まで砂が流れて行かないように土砂を溜める堰堤が造られたのではないかと推測される。
足元にある中央部の破壊された低いコンクリート堰堤は、現在の砂どめ井手の前身の可能性がある。当初はここで砂を止めていたが、採石範囲が広がって大量の土砂流出が起こり得る状況になったときすぐ上流側に現在の背が高い堰堤を造って古い堰堤は破壊した…というのではないだろうか。

周囲を含めて動画撮影しておいた。

[再生時間: 47秒]


巨大な壁をズーム撮影。
ボートでも浮かべない限り堰堤の下へ近づく方法はない。
昭和中期の子どもたちなら平気で泳いで近づいてしまうだろう…


したがって10m程度離れた低いコンクリート堰堤から眺めるしかなかったのだが、間断なく流れ落ちる水流を凝視していて塗り壁状の堰堤の下側に何かがあるらしいことに気付いた。
この写真からそれが何か分かるだろうか…


一瞬を映像として記録する静止画ではなかなか鮮明にならなかった。
何枚か撮影した中でいくらかそれらしく撮影できた一枚がこれである。


流れ落ちる水の裏側に円形のシルエットが浮かび上がっている。肉眼ではもっと鮮明に見えていた。
排砂管では…
あの位置にある丸い断面なら殆どそれ以外考えられない。

真締川の上流から少しずつ運ばれる砂をこの高い堰堤で止めているわけだから土砂は溜まる一方だ。短い沢地に造られる砂防ダムはかつては使い捨てで一杯になったら造り直していた。使い捨てる訳にはいかないダムや河川の井堰では堰堤下部に排砂管が設置される。
砂どめ井手もこの場所で堰いている限り採石場がなかったとしても土砂は溜まり続ける。最終的には堰堤の天端まで埋まって用を為さなくなってしまう。そうなる前に適宜弁を開けて砂を流し、下流側で土砂を浚えていたのではないか。

先ほど堰堤上部で見た限りでは上流側の水深は底が見えるほど浅くなっていた。恐らく既に満杯状態近くまで溜まっていることになるし、この位置に排砂管が設置されていたとすれば、砂どめ井手が造られた当初は堰堤の上流側も同程度の高さに河床があり、堰止め湖も深くなっていたと推測される。
弁を開閉する機構が何処かにある筈だが、堰堤上部には見当たらなかった。この管の内部にあったとしても現在は多分機能しないだろう。仮に今ここで排砂管を開放しても6m以上も土砂が堆積しているなら自重で締め固まっている筈だ。物理的に掻き出さない限り排出できない。

採石所は現在も稼働しており今後も少しずつ砂どめ井手の内側に土砂が溜まり続ける。天端一杯まで土砂が溜まって下流域へ流れ始めたら浚える作業が必要になるだろう。

さて、破壊された低い堰堤から対岸へ移れるかどうか検討してみた。
もっとも対岸へ移動したからとて先に道はない。ちょっと異なるアングルから撮影できるというだけだ。


削られた幅は1m以上。長靴ならジャバジャバ川の中を歩いて到達できるがスニーカー履きならジャンプ以外ない。助走しても越せるかどうか微妙という幅だ。


失敗して落ちたからとて命に関わる恐れはないが、車で来ているとは言ってもアジトへ帰るまでかなり寒い思いをしなければならない。むしろ苔生したコンクリートに着地したとき滑って足を挫く心配がある。

下流側にも渡れそうな場所はない。
浅瀬ではあっても狭い幅を流れているので結構な水量があった。


その先は…枯れ竹の乱立する藪に倒れた葦が溜まりまくっている酷い状況。
自由に形を変えることのできる水だけが流れて行ける状態だった。


結局ここでも他の何処にも移動できる場所がなく、引き返すこととなった。

(「真締川・砂どめ井手【4】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「宇部ふるさと歴示散歩」p.117

2.「FB|2014/11/23のタイムライン(要ログイン)

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