三角田川

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記事作成日:2021/3/21
最終編集日:2021/4/5
三角田(みすまだ)川[1]は、美祢市美東町赤より南下する山口県管理の2級河川である。
写真は三角田洞に向かうまでの水路区間。


秋吉台として著名なカルスト地形を流れる河川の特性上、他の一般的な河川にはない流路と形態をもつ。このため完全に市外を流れる河川でありながら地形への興味から流路のうち特徴的な区間や場所を訪問し、撮影した結果を総括記事にまとめることにした。

市外の遠方にあるため写真を欠いたり未だ調査していない箇所がある。頻繁な訪問は困難だが調査次第編集追記する。
《 流路の概要 》
一般的な記事が[2]に作成されている通り、流路の途中で台地の下に潜り込み地下河川となる。その後吐け口より通常の河川となるものの再び同様に洞内へ吸い込まれる。その後どの河川へ流入するのか分かっていない。このため県は三角田川を独立した水系とし、末端部を大正洞の入口としている。
【 上流端〜合流地点 】
上流端より後述する景清穴へ吸い込まれるまでの区間を下の重ね描き地図で示す。


三角田川の上流端は[1]に示されており、県管理の2級河川であるので恐らく上流端を示す標識柱が設置されている。この総括記事を作成する時点でまだ標識柱の設置場所を特定できていない。

山中峠にもっとも近い北端のA地点には3連続の溜め池(ここでは上堤・中堤・下堤と仮称する)がある。名称は確認していない。
写真は中堤から上流側を撮影。右側に見えているのは県道小郡三隅線


上堤から山中峠までは100m程度しか離れていないのに、それぞれの堤は相応に大きく湛えている水量も多い。通常人工の溜め池は河川の上流端から下った位置に造られるものである。これほど峠に近いのに大きな堤が3つも存在していることから、峠より南寄りの湧水量がかなり多いことが示唆される。現に上堤と峠の間には、美祢市の所管する水利関連の施設と思われるものが存在する。

下堤より100m程度南下したところで、県道を横断する支流と思われる河川と合流する。この支流が県道と交差するB地点には、土石流の危険がある河川を示す表示板が設置されている。


この表示板には「三角田川水系 三角田川」とあるので、本流は3連続溜め池ではなくこちら側で表示板が県管理の上流端を兼ねているかも知れない。

道路横断部分には隧道のようなコンクリート構造がみられる。周辺の大岩は人工的に破砕された石灰岩を積み上げた形跡があるので、河川改修に合わせて近年施工されたものの可能性もある。


今のところ明白な上流端標識を見つけられていないので、上記の重ね描き地図も2つの流路が合流したところから河川を描いている。上流端標識はかならず存在するので、判明次第重ね描き地図の流路を修正する。
【 合流地点〜三角田洞 】
合流地点は訪問されておらず写真を採取していない。しかし合流点から美祢市道横断部までは冒頭に示したようなコンクリート三面張り水路であり、特筆すべき点はない。

幅広のコンクリート水路となった三角田川は、名前のない橋を伴い道路の下をくぐって流れていく。


写真では下流側に山が写っているが、適当に屈曲して山あいを流れ下っているように見える。
殆どの河川がそうなっているにも関わらず沢地のように見えるこの地形は”行き止まり”になっている。

山の方へ向かって下っていく川筋を辿ると、耕作田の端を過ぎて鬱蒼とした森となる。
その奥に三角田川が台地の下へ潜り込む洞窟があり、三角田洞と呼ばれている。


この壮大なポノールより先は、観光地として公開されている景清洞に繋がっている。上流から運ばれたゴミなどが洞内へ流れ込むのを防ぐために、三角田洞の開口部には大きな鉄格子が設置され三面張り水路にも簡素なスクリーンが置かれている。

景清洞の内部は近年訪れたことがないが、洞の奥から連続的に水が流れてきていた記憶があることから、景清洞という自然が造ったトンネル状態で三角田川としての本流を保ったまま流れているようである。
【 景清洞〜大正洞 】
観光名所としての景清洞から吐き出された水は再び三角田川として同様のコンクリートの三面張り水路になって南下する。
写真は景清洞を出た下流側にある駐車場での撮影。


この区間の重ね描き地図を示す。


現地ではまったく体感されないが、大正洞へ向かうために佐山三差路を通過する辺りから周辺の平均的標高よりも低くなっている。即ち通常の地形であれば水が溜まって池沼となる窪地である。

三角田川はそのまま大正洞へ向かって更に高度を下げて洞内に吸い込まれる。大正洞入口近辺の標高は、地理院地図によれば150mあたりまで下がっている。景清洞を出て大正洞に入るまでの区間に特筆すべき要素は恐らくないため経路もまだ調べていない。
【 大正洞より先 】
大正洞へ入った先で三角田川はどの水系に流入しているか明らかではない。景清洞では同様にポノールより入った支流が加わるものの三角田川のほぼ全水量が下流に現れる。しかし大正洞では明確な吐き口は存在しない。

大正洞は東の方へ伸びていること、東側に大正洞入口より低い位置に青景川が流れていることから、一部は青景川へ流入しているかも知れない。しかし大正洞から流入する水量よりも秋吉台の台地全体が持つ地下水量の方が遙かに上回ることから、広域に降った雨水が涵養するのと同様に、大正洞より台地の下へ入った流水は地下水系へ散らばり、三角田川という河川自体としてはリセットされた状態となっていることが推察される。

秋吉台科学博物館には地下水の移動状況を解析した地図が掲示されており、大正洞から地下へ潜った水は青景川方向に向かっているものの、地下でかなり分散しているようである。
写真は掲示されている「秋吉台の地下水形」地図の接写画像。
秋吉台科学博物館内での写真撮影は完全に認められている


今後、時期をみて景清洞と大正洞を訪れ、実地に洞内を撮影する。特に景清洞では一般観光向けに公開されている700mより先は、案内所で探索用器具を借りることで更に約400mほど探索可能である。[4]
三角田川に付随する三角田洞や周辺の地形に関して独立記事の作成を予定している。作成次第リンクを張る。
出典および編集追記:

1.「山口県の管理する河川一覧|山口県河川課」の読みによる。しかし [2] では「みすみだがわ」として掲載されており、地元では何と呼んでいるか確認を要する。
3月24日に秋吉台科学博物館を訪れたとき学芸員に三角田の読みを尋ねたところ「みすま」との回答が得られた。[4]でも「みすまだ」の読みが与えられているため、濁音は地名呼称の揺らぎの範囲と考えてファイル名(misumada.htm)の読みをそのまま保持する。

2.「Wikipedia - 三角田川

3.「景清穴(かげきよあな)|美祢市ホームページ

4.「景清穴(かげきよあな)|山口県の文化財|山口県
《 個人的関わり 》
以下にこの総括記事を制作することとなった三角田川の調査についての背景を、試験的にFBセクションなどの外部リンクを埋め込む形で記述する。外部リンクにおける記号は補助画像の用途と意味で記述されている通り、は誰でも閲覧可能な外部サイトへのリンク記事、は情報を受け取ることができるログインメンバー向けのFBサイトへのリンク記事を示している。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

24日も天気が良ければ3度目の美祢行きを考えていて、もし実現したなら三角田洞、白水池、おふく洞のいずれかの追加調査を考えている。
《 地名としての三角田について 》
市外部の地名ではあるが、三角田(みすまだ)の読みが興味深いことにより考察を加えている。
写真は県道小郡三隅線沿いにある三角田バス停のサイン。


この地名と特異な読みは、現地を訪れるかなり前から知っていた。地理院地図では窪地を表す等高線で表記することにより、後に三角田川が窪地に向かって流れていることに気付いた。初期にはその低くなる領域を大雑把にマークすると三角形領域になることから、これが地名の由来になったのではと考えた。


しかし一般に地名の由来は読み先行であり、田畑の形状由来なら「みすみ」と読む筈である。揺らぎを生じた読みがあることから現在の三角田は後年に漢字を当てた可能性もある。特に山中峠より北は長門市三隅であり、日本海に向かって三隅川が流れている。この三隅との関連性がありそうな気がする。

一般に「○○田」のように漢字二文字の後に田を伴う地名は、名田由来であることが多い。市内にも蛭子田、紀藤田(後の祈祷台)といった小字名が存在し、いずれも名田由来と考えられている。
「二反田」のように数詞を伴う場合は共同開発された田に由来している


開拓者および領主に三隅姓があるとしたら、これに異なる「三角」の表記を与えることはあり得る。本家に対して分家には同じ表記でも異なる読みを求めたり異なる漢字表記を与える例は多い。
福原本家が「ふくら」であるのに対し分家は「ふくら」と読ませるなど

以上は地名解析の経験則によるまったくの推察であり、厳密な由来解析を行うなら郷土資料をあたる必要がある。なお、宇部市内には五十目山の南に住んでいた大地主に由来すると思われるミスミのダブが知られているが、今のところ「みすみ」「みすまだ」のような小字名は確認されていない。漢字表記で類似する例としては、大字善和に三角(みかど)という字名が知られている。

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