ミスミのダブ

溜め池インデックスに戻る

記事作成日:2016/6/4
最終編集日:2021/3/21
岬町2丁目に細長い等脚台形状の形をした小さな溜め池がある。
写真は市道からの撮影。


余水吐の位置をポイントした地図を示す。


溜め池はとても小さなものだが、地理院地図にも間違いなく溜め池として表記されている。

現地は南北に通る市道恩田八王子線から近いが、空港通りの押しボタン式信号から南下する市道岬八王子2号線を通るのが分かりやすい。

住宅地の中を通る細い市道を進むと、やや視界が開けた場所でこのような分岐点に出会う。


右の分岐が市道岬八王子2号線である。
分岐を過ぎて今度は逆方向を向くカーブミラーが現れる。


溜め池はミラー横の傾きかけた柵の背後にある。冒頭に掲げたような眺めで溜め池と言うよりは小さな湿地帯で、注意していなければ通り過ごしてしまうだろう。

一見、個人所有の庭園にある池のように思われるだろうが、きちんとした余水吐と排水路がある。
溜め池の南側に道路横断の排水路が確認された。


市道の反対側から撮影している。
柵と言っても薄っぺらい金属板を立てかけただけなので、あるいは脱輪した車があるのだろうか…下の方が壊れていた。


路肩部分に石材が遺っている。これは初期の石橋の一部だろう。
市道を舗装した折りも取り除くことなくそのまま道路敷の一部にしている。


排水路の反対側は石積みになっていた。
元々小さな沢地があり、土地を有効利用するために片側は石積み、片方は後年ブロック塀にしたらしい。


Yahoo!地図では排水路が途中で消えている。河川の支流の一部として記載するにはあまりにも細すぎるようだ。しかし西へ向いて流れている以上、この先で以前訪れたことがある岬明神川へ合流するのはかなり確かだ。

さて、総括記事のような書き出しから現地の撮影まで時系列に構成したが、もしかすると何処にでもありそうなこの小さな溜め池の調査意義が何なのか訝られそうだ。後述するようにあらかじめ地図で見つけて知っていただけでは根拠薄弱だろう。まあ、ネタ採取というものは元からそういった思いつきに依るところ大である。一応、意義を書いておくと以下の通りだ。
(1) 主立った起伏に乏しい五十目山から岬にかけての地山の位置を知りたい。
(2) もしこの小さな溜め池に固有名があるならそれ自体が一つの話題となり得る。
恩田や長沢近辺は長年暮らした地であり、周辺の地形などは理解というよりは身体で覚えている。しかし五十目山以北は学童期もあまり訪れたことがなく知見に乏しい。特に現在の昭和町から松山町にかけては、殆どが遙か昔は海の底か波打ち際だったことが分かっている。岬や八王子ではどうだったのかを知ろうという流れだ。このとき既存の溜め池や水路が地形分析に大きく関わってくる。時代が進んで人は起伏などお構いなしに道路を造るが、いつの時代も水は高い方から低い方にしか流れないので、地形の高低を分析するには有力な材料になる。

もう一つが (2) である。地理院地図では名前を持つ溜め池はもちろん、人工的に造られた調整池や学校のプールに至るまでも水色に塗られた領域として記述される。ただ、一個人の庭に造り込まれたごく小さな鯉の池や山間部などでカジュアルに発生した水溜まりは記載されない。地図で見つけたこれが真に灌漑用の池としたら、宇部市内でもっとも南に位置する溜め池になるのである。あとは、出来ることなら明白な名称があればなお分かりやすいのだが…と思っていた。

アジトへ帰宅後、例によって一連の写真をFBで運用しているページに題材として提供してみた。そしてこの小さな池がミスミのダブと呼ばれていることが読者からの情報により判明した。[1]
ダブとは多くの方にとって耳慣れない言葉かも知れないが、狭義には遊水池、広義には「水を溜め置いている場所」を意味する。ダブは旧藤山村では開作地の余剰水調整目的でいくつも造られ、名前もよく記録されている。旧宇部村相当にも鵜ノ島開作関連の遊水池が存在していた[2]ものの、個別名は判明していないし現存しない。むしろ既存の溜め池に対して「〜のダブ」と呼ばれる程度[3] で、現在ではダブという語そのものが郷土資料にしか見ることがない死語となりつつある。

ミスミが何を意味するかは、情報が寄せられた時点ですぐ気づいた。そして一個人の灌漑用水貯留池の可能性はあるにしても、これは題材として記事化しておく価値があると考え、後日追加の写真を撮りに行った。

ミスミのダブは周囲を民家と畑に囲まれていて、初回に撮影した市道のカーブミラーがある場所から以外眺めることができない。


水生植物が優勢であるが、まだ相応に水は溜まっていた。

一つ気になったのが堰堤から若干離れた水中に顔を出している杭のようなものである。


ズーム撮影。コンクリート杭に番線のようなものが巻き付けられている。
もちろん正体は不明だ。どうしてもこういうものにはいち早く目が向いてしまう。


読者情報で名称が判明したことから、ミスミのダブは宇部市内でもっとも南に位置する名前のある溜め池という呼称を与えられそうである。
これが一個人の所有物か、近隣地域に住まう人々が共同で用水を使っていた補助溜め池かは分からない。用水をあまり要しない畑はまだしも、この辺りで広い田を作るとしたら継続的に供給される灌漑用水に頼らなければ困難だろう。流れるに任せる灌漑用水路のみに頼ることなく、渇水期にもある程度乗り切れるように自前で余剰水を備蓄していたのではないだろうか。

ざっと写真を元に記事化したとは言え、さすがに続編記事を作成する可能性はないだろう。
《 個人的関わり 》
この溜め池の存在はネット上で地図を眺めるようになった初期から知っていたが、岬方面へ行く便があまりなかったところに現地への道が分からなかった。
なお、この溜め池の固有名称であるミスミはほぼ間違いなく三隅だろう。草江や五拾目山、岬といった地域は常盤池の築堤によって灌漑用水が得られるようになった後、琴芝や梶返から移り住む人々が多くなったといわれる。いわゆる地下(じげ)の人と呼ばれる方に特有の姓の方が多く、その中に三隅姓も含まれる。個人的関わりでも学童期に当該姓の方があって家に遊びに行ったこともある。ただし読者情報では漢字表記は提示されておらず、また個人情報の兼ね合いもあるためにカタカナ表記のままとした。
出典および編集追記:

1.「FBページ|2016/4/28のタイムライン」による。
異なるお二方の読者から同様の名称が寄せられているため地元住民にはかなり知られているようだ。

2. 現在の浜町2丁目と南浜町2丁目との間、産業道路を挟んでかなり大きな遊水池が存在していたことが昭和22年の航空映像より確認されている。郷土書籍によっては「桃山のダブ」として紹介されている。

3. 現在の蟻ヶ迫池に対する三角ダブなど。同じく東山市営住宅裏にある小さな補助溜め池も三角ダブと呼ばれている。かつて2連続のダブであり現在は下流側が埋められて使われなくなった溜め池のみが遺る。この溜め池は宇部市北部農林振興部の所管であり新堤と呼ばれている。

ホームに戻る