地区道から家の裏側を通る形で狭い道を下っていくと、予想通り塚穴川が見えてきた。
後年に整備されたらしく、自然の川ではなく護岸をブロックで固められた水路になっていた。
いかにも近代的なコンクリートブロック積みの用水路で、対岸に渡るためのコンクリート床版が掛かっていた。
しかし…
だからと言って何もかも人工物に置き換わってしまったと決めつけるのは早計だ。
この場所に自転車を停める前からただならぬ雰囲気を感じていたし、実を言うと、地図で眺める段階から感じ取っていたのである。
ここは何かありそうな場所だ…
コンクリート水路の始まる場所は広い池のようになっていた。流れてきた水は一旦ここへ滞留し水路の方へ向かうらしい。袋状になった池の護岸はコンクリート護岸ではなく殆どが自然のままだった。そしてこの上流側に目を遣ると…
近代的なコンクリート護岸になっている下流側とは異なり、この周辺だけはまるで時間が停まっているような空間を醸し出していた。
手つかずで剥き出しの岩場ばかりで、所々に見られる人工物もいつのものか分からない位に古い。
この場所を拡大した地図を載せよう。
航空映像にしても木々に著しく覆われていて詳細が分からない。
地図モードで眺めると、ここにあるコンクリート床版とその手前にある袋状の池も視認できる。
現地を訪れる前に地図を眺めるのは常套手段だが、私はこの地図で表示された袋状の部分がとても気になっていた。全く素朴な疑問なのだが、
どうして袋状になっているのだろう…
現地へ訪れるまで私には滝の存在が頭になかった。地図を見れば確かに塚穴川は等高線を直角に横切っており、井堰とこの池の間に大きく高度を下げる場所があることを示唆している。しかし平面的に描かれる地図を眺めるだけでは見抜くことができなかったのだ。水量の少ない時期柄、流れ落ちる水は岩場の一定しない範囲を濡らしていた。
周囲に垂れ込める枯れ枝をやり過ごせば接近に困難はなかった。
最初に見たときから気になっていたもの。
この古いレンガ積みだ。滝の真横にあり、土台部分の岩を削ることなく現場合わせで築かれていた。
傍目にもかなり古い。全体が曲がっており、途中で3段積みから2段積みに変わってその間をモルタルで適当に盛るなどかなり粗雑な感じを受ける。別の場所に使われていたレンガを再使用して築いたのだろう。内側には木が生えていたので、流水で侵食されるのを防ぐためのようだ。
張り出す枝をかわして落下口の真下まで行ってみた。
水量はそれほど多くはない。しかし落差は明らかに滝と言えるほどあった。
可能な限り接近し落下口をズーム撮影してみた。
ここから滝の落下点までの高低差は5m以上。注ぎ口から上は見えないし、もちろんここから昇降など安全に出来る筈がない。
塚穴川の水はこの滝部分をはじめ、他のいくつかの場所から流れ落ちていた。
特に塚穴川とは別の沢から流入する経路もあった。そこにもかつて袋状の池の縁を造っていたのかも知れないレンガの遺構があった。
半分が自然の岩、半分は人工的に造り上げられたレンガの残骸である。何故か中央には排水用の陶管が貫いている。元は護岸の一部だったものが流されたのではないだろうか。
流路の真下には盤石な一枚岩があり、水量も少ないせいか滝壺は存在しなかった。
袋状になっている池には鯉が泳いでいた。それも塩田川などで泳いでいる自然の黒い鯉ではなく、白い身体に緋の入った高級感のある鯉だ。[1]
(誰かが放しているのだろうか…この近辺が私有地ではないかと考えた一つの理由である)
この池の全体像を撮影したかったが、そう広くもないこの場所では移動範囲が極めて限定された。ある程度離れれば護岸付近を覆う木々が視界を遮った。
したがって言葉で説明するしかないが、この池は概ね地図で示されるような長方形で、コンクリート床版の掛かっている先がブロック積みになっている以外は自然石で囲まれていた。深さは精々50cm程度で池の底が見えた。塚穴川から流入する水量が多いとき緩衝池として働くのだろうか。
(沢地を有効利用するためにブロック護岸にするとき塚穴川を付け替えたのかも…)
袋状の池の対岸には古いコンクリート桝らしきものが見えていて、その近くからも若干の水が流入していた。
桝は古い時代のものではなさそうだが、雨水桝と言っても近くに民家などはない。何のためのものか気になったが、そこへどうやって行けば良いか全く分からなかった。
落下口から振り返る。
この池に滞留した水はブロック積み用水路となって流下していく。 コンクリート床版からここまで至った護岸も自然石の空積みだった。
如何にも古めかしいが、ブロック積み用水路を施工する際に影響を受けなかったとは考え難い。後から積み直されたものかも知れない。
この場所の周辺を動画撮影してみた。
[再生時間: 44秒]
滝の遠景。
流れ出る水量が多いときは壮大な滝の姿が眺められるかも知れない。
最後に、この用水路から下流側をちょっとたどってみた。
次のコンクリート床版が掛かっている場所あたりから、護岸の天端を歩くのも辛くなってきた。
両側の荒れ具合が相当に酷い。右岸は整地はされているものの雑木が侵出しているし、左岸側は護岸の天端も見えないほど竹が繁茂している。
コンクリート床版の上に立って下流側を撮影した。
この先にはもう特筆すべきものはないだろう。
護岸の上は歩きづらいし、既に日も傾き始める時間だったのでここで引き返した。
さて、そろそろ帰ろうか。
しかしここは再度来ることがあるかも知れない。
(この通路自体民家の私道のようでかなり入りづらい雰囲気がある…)
この日の踏査を終えてアジトへ帰った次第だ。
なお、後日(25日)この滝の上部を再度訪れ、河床まで降りて落下口付近を撮影している。詳しくは「女夫岩滝(仮称)」を参照して頂きたい。
(この滝の正式名が分からないので小字をあてて仮称として記事を書いている)
出典および編集追記:
1. この緩衝池に数匹居る錦鯉は梅雨時期の豪雨で夫婦池から流されてきたものかも知れないという指摘があった。昭和中後期頃まで地元の学童たちはここへ降りて魚採りに興じていたという。
「FBページ|2016/6/19」の読者情報による。(要ログイン)
なお、本文中で推察している通りでこの近辺はかつて私有地だったとされる。
---1. この緩衝池に数匹居る錦鯉は梅雨時期の豪雨で夫婦池から流されてきたものかも知れないという指摘があった。昭和中後期頃まで地元の学童たちはここへ降りて魚採りに興じていたという。
「FBページ|2016/6/19」の読者情報による。(要ログイン)
なお、本文中で推察している通りでこの近辺はかつて私有地だったとされる。
さて、ここから下流側は正直な話、それほど興味深いものがあるとは思えない。恐らくブロック積み護岸のまま海まで注いでいるのだろう。
しかし元々が塚穴川のテーマ記事なので最終的には河口までたどって写真を撮る予定である。
一連の踏査を終えて記事を書き終えたなら以下に示すリンクをアクティブにして更新履歴からも案内しよう。
(「塚穴川【4】」へ続く)