塚穴川【5】

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(「塚穴川【4】」の続き)

やはり、この道で良かったのだ。
最初からここを乗って進んでおけば上流から辿れたのに…と思いつつ、自転車に跨り坂を転がし降り始めた。


ツクシ採り平原にさしかかる手前で、大変気になる場所があった。それはさっき歩いて来たときから気付いていた。しかし帰りに必ず同じ道を通るので後回しにして、まずは塚穴川を遡行することに。

先のご婦人はまだツクシ採りに勤しんでいらした。
周囲を庭石で飾ってあるので私有地かも知れないが、少なくともコンクリート護岸上を歩くのは問題はないだろう…と言うか、ここを進まないことには遡行できない。
電柱の陰に隠れるアングルで撮影している


私が自転車を乗り入れたときから既に気付かれていたので、護岸上を歩くとき軽く挨拶を交わした。
コンクリート護岸上には先が塚穴川の方に曲がった差し筋が突き出ていた。ブロック塀を築くために用意していたものの、施工されなくなったため危険防止に曲げたようだ。
珍しいものではない…差し筋にペットボトルを被せる場合もある

さて、この先だが…
わざわざ戻ってまで自転車を連れて来ておきながら、残念なことにあまりにも早く答が出てきてしまった。


ツクシ採り平原の端は塚穴川に注ぐ別の小さな水系によって分断されていた。
更に上流へ続く塚穴川の護岸にはここから渡れる場所が何処にもない。


写真からでは近そうに見えるが、ジャンプで飛び移るにもこの幅なら無理と思った。天端幅がそれほどなく、護岸の内側は土が痩せていて湿地帯のようになっていた。助走して飛び移ったとして、幅が狭い護岸の天端で着地できる保証がない。仮に行けたとしても天端まで木の枝が伸びているし、何よりも反対側からは助走スペースもなく安全に戻って来れない。

護岸付近まで伸びている枝を避けて草地を平行移動し先を窺った。
分断された先はまったく手が入らない荒れ地だった。塚穴川の護岸工事を行うとき出入りしたのが最後と思えるくらいに自然な状態だ。


そんな状況だったので、この先は進めないものとして諦めた。

特に護岸部付近で雑木の繁茂が著しい。その繁茂振りで前回進行を断念したあの場所と同一視することができた。

この写真である。
進行を断念して川の上に架かる床版から撮影していた。
先の方で右から流入してくる水系で護岸の切れている部分が見えている。現在いる分断地点だ。


目視するだけで正確に塚穴川に沿って歩いたわけではないが、まあこれでいいだろう。道路レポートだったら「通っていない部分」が存在していれば完走したことにはならないが、川は人ではなく水が通る道だ。
かなり苦しい強弁だと言えなくもない^^;

これで女夫岩滝のあった池から最初に自転車を留守番させたコンクリート床版のところまで「目視で辿った」ことになる。骨折った割にはこれといった特徴もない普通の排水路同然だった。あまりにも簡単に片付いてしまったので、再び結果論だが今度はわざわざ自転車を取りに引き返した意味がなかった。引き返さず一旦広場の先まで歩いていれば、あの分断地点から先方を確認した上で進行不能と気づけていたからだ。

自転車に跨り、来た道を戻る。今度は登り坂になるから漕ぐ必要があった。

振り返って撮影している。
アスファルト路はこの広場にたどり着いて終わっており、その先は手入れされた広場に低い石積み、植木も見える。最初来たとき私有地ではないかと思った理由だ。


塚穴川の追跡に関しては確かに裏目だったが、一旦引き返してこの道を通ったことは無駄ではなかった。先にほのめかしたように、自転車で転がり降りてきた時点で、昔の塚穴川に関係あるかも知れない景観を見つけていたからだ。

若干離れてその全体像を撮影している。
何か分かるだろうか。


この壮大な岩である。
ここへ降りてくる道の山側にある岩が平面状に削り取られている。それも遠目にはコンクリート擁壁の一部と見紛うほど精密に。
拡大して観察できるように原典画像を掲載しておこう。拡大対象画像です。
画像にマウスをかざすと拡大、ダブルクリックで最大化します。
クリックすれば元のサイズに戻ります。


どうだろうか。
表面には無数に鑿の痕跡があるように見受けられる。

この一枚岩だけではない。
最初にこの道を自転車で下ってきたときにはこのように見えていた。手前にある岩も同様に削られている。


更に手前側へ移動しよう。
削り取られた区間は結構長い。一部はコンクリート擁壁になっている。岩を削った部分はこの擁壁の転びとほぼ同じなのだ。


岩の表面は苔まみれで一部は風化している。最近削り取られたものではないらしい。


素朴な疑問が生じるのである。
一体、何のためにこれほど精密に岩を
削り取る必要があったのだろう…
特に精密なのは下り坂の一番先にある岩で、表面には細かな筋が無数に着いていた。

冷静に考えれば案外、つまらない答に行き着く可能性はある。即ち昔からあったものではなく、この道の先にある土地の所有者が進入路を造る過程で通りやすいように機械で岩を削ったという仮説だ。重機にアタッチメント装着してガンガン叩いて後から整正すれば、昔より遙かに短時間で同じものが造れないこともない。

既に体験したように、塚穴川の刻んだ沢は相当に深いので丘陵地帯から降りるにも急な坂を要した。一定幅を持つ沢へ降りる道を造るならどうしても山側を削る必要がある。たとえ露岩があろうが同様だ。

現代において車を通すのが目的なら、こんなに精密に削る必要もないだろう。恰も常盤池の「あらて」を思わせるような平面仕上げの岩肌を見れば、それほど手をかけるだけの理由があったのではと思いたくなる。もしかすると…という妄想にも似た希望的観測を込めて別の仮説を提唱するなら、
もしかして、夫婦池が造られる以前に
塚穴川を渡る古い道だったのでは?
…という可能性は考えられないだろうか。

夫婦池築堤以前は塚穴川の川幅が今よりずっと広かったことは疑いない。そして恐らくは今以上に渡河が困難だったはずだ。これが昔から往来のあった道なら、かなり手間をかけてでも岩肌を細かく削るなど道らしい整備をしたとも考えられる。
今はコンクリート床版が架けられたツクシ採り平原もかつては塚穴川の一部であったのだろうか…

広場に向かうこの進入路はかなり高い丘陵部から降りている。
そこから塚穴川の流れる沢を見おろしている。


見ての通り、視座は沢地に建つ家屋の2階の屋根よりずっと上である。今いる地区道が古い道なら、一体どうしてこんな高みにまで登らなければならないのだろうかという疑問が生じるだろう。
水量のある川に沿う昔からの道は、概ね川面から離して造られている。昔の人は、川の氾濫で道が分断されるのを注意深く観察してきたからだろう。川に沿って進めば楽なものをわざわざ一旦高い場所に登り、そして降りてくるような道も少なくない。
市道維新山西山線の鳴水付近や請川付近の県道旧道区間にみられる

かつて水量豊かだった塚穴川は、現在では常盤池と夫婦池によって流下量を制限されている。川幅は今や用水路同然に狭められ、昔の塚穴川が刻んだ広く深い沢地に家も建つようになった。
大正期以前は夫婦池が存在せず、更に江戸期以前まで遡れば常盤池も存在しない塚穴川は、豊富な水量を利用した水運も営まれていた可能性がある。
古い小字にその由来を求めることができそうだ

こじつけを恐れず言えば、この道が岩を丁寧に削って造られたのも、かつては塚穴川の谷底まで降りて渡る一つの場所だったのではと想像されるのである。
もっともこの仮説も進入路が私道で「車を入れるために最近造った」と判明すれば根底から崩壊してしまう

再びここへ戻ってきた。


ここまで辿ってきた経路を地図に書き込んでみた。
ピンク色の太い線が自転車で通過、赤の細い線が徒歩だ。そして で示した場所にあの削り取られた露岩があった。


さて、今度はここから下流の追跡だ。

下流側を眺める。
同様のコンクリート通路があって遠くまで見通せる。自転車を押し歩きできなくもない状況だが…


清掃作業用に造られた通路らしく経常的に人が通行できる場所とは思えない。まして自転車を連れて行くなんてのはちょっと…sweat

コンクリート床版の上から下流までかなり見通せたので、見えなくなっている反対側から攻めることを考えた。
ここに自転車を留め置いて歩いていく手もあったが、ちょっとタイミングが悪かった。自転車を停めてどうしようかと迷っているとき、たまたまこの近くで自転車乗りのチビッ子たちが座談会をやっていたからだ。それでサッとこの場を立ち去った。ある程度成果があがったので、今日はもういいかなという思いも若干あった。

塚穴川を渡ってすぐ下流側に向かう道はいくつかあった。しかしそのいずれも民家の車庫や庭先で行き止まりになっていた。結局一旦沢から脱出して尾根を伝う市道(草江野中線)まで漕がざるを得なかった。

攻める糸口を掴みきれないままJR宇部線のガード(奥浜橋りょう)をくぐり、再び塚穴川に接したのはこの場所だった。


ガード下は遠目にも藪に埋もれており、ここから攻めたとしてガード下をくぐれるかどうかも疑問だった。

市道草江野中線が塚穴川を渡る場所で、この先に県道宇部空港線が見える。海も間近だ。


いくら何でもこれではショートカットが過ぎる。この間に何か面白い物件が潜んでいるかも知れないし、目視すらできていない区間があるので辿ったことにはならない。

しかし今回はここまでにしておいた。
ここはアジトから簡単に来れる場所だ。また空港方面に来る便があるとき追跡できる…

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こうして結局追跡を再開することもないまま藪漕ぎ可能なシーズンが過ぎてしまった。
つい先週のこと、約半年振りに追跡を再開できた。続編を書こうと思うが、前編以上に見るべき興味深いものに欠けているかも知れない。

(「塚穴川【6】」へ続く)

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