塚穴川【7】

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(「塚穴川【6】」の続き)

叩きコンクリートと地区道との段差部分には誰が置いたのか、明らかに昇降を意図する鋼製の小さな梯子が置かれていた。
溝普請のときに使う足掛けだろうか…


遠慮無く使わせて頂いて叩きコンクリート部分に降りた。
通路部分は練積ブロック、左岸側はコンクリート擁壁で天端にまったく余裕がない。
木の葉だけでなく土も流れ落ちるのでは…


練積ブロックの上に民間建築ブロックが築いてあるため両側がかなり高い。増水を考慮した設計だろうか。
かなり高い木の枝にビニールごみが引っかかっていることからここまで増水したとか…


家の端に来たところで塚穴川は珍しく大きくカーブしていた。
先はかなれ荒れていそうだ。


ここまでの道中で最も通行困難な場所だった。
雑草は大したことなさそうに見えて、結構トゲを含むイバラが足に刺さる。


やはりこの場所だった。
JR宇部線のガード下が見えてきたのである。塚穴川はこの部分に合わせて曲げたように思われる。宇部線の成り立ちは古いので橋台部分はかなり昔からあった筈だからだ。


狭い場所で周囲は木々が垂れ込めているので、ワンショットでガード下を収めきれなかった。


元から橋桁のスパンが狭いので叩きコンクリートもここではやっと通れる程度の幅だ。増水したら多分通路部分まで洗われるだろう。


前回の終了時に市道からこのガードを眺めていた。
この先を確認できれば追跡できたことになる。


ガード下はコンクリート通路とは言えないほど幅が狭い。自転車を連れて来なくて良かった。こんな場所を自転車抱えて歩いていたらかなり精神構造を疑われそうだ。

ガード下から練積ブロックの護岸に変わっていた。そこまで脱出すれば先の様子が分かるのだが、そうできない事情があった。


藪の中からカメラだけ差し出して下流側を写している。
右に曲がる塚穴川は見覚えのある市道の下をくぐっている。ここからのアクセスに関しては追跡完了だ。


この先の練積ブロックから市道交差部までを逆から歩いて来るのも大変なので、ガード下から抜け出てワンショット撮影しておきたかった。しかしこの場所から出ることはできなかった。
タイミング悪く、このすぐ近くの家から電話の会話が聞こえていた。きっと窓が開いているのだろう…
どう見ても真っ当な人が通るべきとは思えない場所から私が姿を出せば不審者と間違えられそうだった。それでなくてもこんな場所に身を置くこと自体かなり怪しい匂いプンプンなのだが…

段差部分から先へは出ず振り返って撮影している。
もう一つ調べておきたいことがあった。


傍目には通行人がまず頓着する余地のない鉄道のガードだが、古くからの構造物だからちゃんとした名称がある。その名称を確認しておきたいと思った。この場所の古い小字などの情報を提供してくれるだろうし、それらしき文字がガード躯体横にペイントされているのが見えたからだ。


肉眼では何かペイントされていることしか分からない。その先はカメラのズームに仕事をしてもらった。

橋桁は背丈よりはるかに高く、近づき過ぎると橋脚に遮られて読み取れない。少しでも近い位置からとらえようとズームしたままカメラを頭上に差し出した。
不安定な体勢で腕が震えてどうしてもピントが定まらない。読み取れそうな写真が得られるまで失敗画像を量産した。
どうにか読み取れそうなものがこれだ。拡大対象画像です。
画像にマウスをかざすと拡大、ダブルクリックで最大化します。
クリックすれば元のサイズに戻ります。


読者にも検証して頂けるよう原典画像を貼ったのだが、それでも不明瞭で読み取りづらい。推測されるのは、
常盤川橋りょう?
確実ではない。■■■橋りょうのように漢字3文字であることは分かる。一文字目が「常」で三文字目が「川」であることも相当確からしい。そうなると二文字目は「盤」と推測されるし、実際そのような漢字に見える。しかし画数が多いので異なる漢字の可能性は一応ある。
その推測通りとしてもこれはかなり意外な結果だった。最も順当な名称は「塚穴川橋りょう」と思われるからだ。

どういうことだろうか?
もしかすると塚穴川というのは後世の命名で、かつては常盤川と呼ばれていたのだろうか?

夫婦池の知名度は常盤池に比べて格段に低い。そして塚穴という小字もまた然りである。夫婦池は常盤池の一部で、この川は常盤池から直接流れ出ていると考えている市民も恐らくあるだろう。元からの名称が常盤川だったとしたら、むしろ自然な呼称に思える。恐らく両方の呼称が存在している(いた)のだろう。
常盤川という呼称も認知されているかどうかは周辺住民の聞き取り調査が必要だろう

ガード下の位置図である。


記載があったのは左岸側だ。
ガード上から撮影すれば判明するかも知れないが、現地は恐らく線路沿いに歩かなければ到達できない場所なのでこれ以上に鮮明な画像を採取するのは困難だろう。
確認しておきたいがあまりにも危険過ぎる

この区間の追跡完了。
自転車の所へ戻った。


そして前回立ち寄ったここへやってきた。
最近カルバート化されたこの溝は奥浜水路と呼ばれている


ここから塚穴川の河口部まではもうすぐだが、ここで一旦アジトへ撤収すべき用事ができてしまった。
県道を横断するきりの良い場所まで記事を書けるように要りそうな場所はざっくり撮影してきたのだが、後から思えばJR宇部線のガード下から市道までの区間を撮影していなかった。
まあ…あの区間は目視だけで本来足りるのではあるが…

ここまでの経路をまとめてみた。
ピンク色の太い線が自転車で通過、赤の細い線が徒歩によるものだ。


結局この日はここから降りたのと県道を渡った先を少しばかり撮影して撤収した。


残った区間も僅かだからあまり引っ張らず早々に決着を付けたいと思う。
それはそうと…一体何処までが塚穴川なのだろうか…という疑問もあった。県道から先はもはや潮も入ってくる区間だし、完全に海へ注ぐ部分まで辿るとなれば先々で困難があることを知っていたからだった。

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ほぼ「完全に」ミッション遂行できたので続編を記事化します。

(「塚穴川【8】」へ続く)

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