国道190号・西岐波地下道

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記事作成日:2023/10/21
最終編集日:2023/10/22
情報この総括記事は内容が古くなった旧版をコピーして再構成されました。旧版は こちら を参照してください。旧版の編集追記は行わず将来的に削除します。

西岐波地下道は、国道190号西岐波区江頭にかつて存在していた地下道である。 写真は北側歩道部分からの撮影。


この構造物がある場所をポイントした地図を示す。


この総括記事を作成している現時点で、地下道は通れなくなっているどころか双方の下り階段部分シートや土砂で覆われ、周囲もフェンスで囲まれて物理的な立ち入りが不可能である。
《 概要 》
正体が判明するまでの経緯は 旧版の総括記事 を参照。
【 地下道建設以前 】
国道190号のこの場所の4車線化が完了したのは昭和46年(1971年)5月頃のことであった。[1] このときはかつて西岐波地下道が存在していた場所には野黒目川が横断していただけであり、4車線化のときも元からあった道路横断の水路を延長したに過ぎないと思われる。

4車線化は国道の交通量が増大したために拡幅工事が行われたのであり、中央分離帯を含めれば道路の横断に要する時間は従来の倍以上となる。車は渋滞なく快適に走行できるようになったものの、歩行者が道路を横断するのが負担になった。特に昭和53年4月に常盤小学校が誕生し西岐波地区の国道以南に住む学童にとっては、日々の登下校で学童が国道横断する危険が認識され始めた。
【 地下道時代 】
常盤小学校の登下校で国道横断の危険に晒されるのは、国道以南の浜中や長生地区から通う学童だった。現在の市道常盤公園江頭線の終点から野黒目川に沿って北上すれば常盤小学校の最短の登下校路である。この場所に陸橋を造るのは幅が長すぎるので、既存の野黒目川に蓋を掛けてその上を通路とする地下道を造る案に決まった。

大体の地下道経路は以下の通りだった。


地下道は昭和53年(1978年)10月に完成し、同月21日に開通式が実施された。この地下道ができることによって地元関係者も安全で便利になったと歓迎している。[2]
【 地下道の廃止 】
西岐波地下道はその後30年間ほど江頭での国道横断手段として利用されていた。しかし平成期に入って浜中・長生地区から通う学童が少なくなったこと、地表から見えない地下道の防犯面での問題から閉鎖して欲しい旨の要望があった。地下道を通っていた学童がいたずらされるとか、地下道をスプレーで汚損するなどの事件があったのかも知れない。これを受けて2008年(平成20年)9月から10月にかけて地元住民の要望で廃用処理されている。[3]

地下道の両端は階段部分を含めて完全に塞がれており通路部分がどうなっているかは分からない。北側は土砂に埋もれて植物園状態になっているのに対し、南側出入口跡は緑化シートのようなもので覆われている。


したがって地下道の通路部分まで完全に埋め潰したのではなく、再度必要になった場合は再生可能な方法で処理されているのではないかと思われる。時期が不明だが、現在はほぼ同じ場所に押しボタン式信号機が着いていて横断に支障はなくなった。
《 記事執筆後の変化 》
[2]の記事を見て建設年月が判明したので、総括記事をすべて書き換えた。

近年、地下道跡を訪れての撮影はしていない。直近の2022年撮影の写真ではパチンコ店駐車場に隣接する出入口の網が朽ちて垂れ落ちていた。


地下道の下を流れている野黒目川接続水路は市の指定水路である。[4]
《 類似する事例 》
市内の地下道あるいはボックスカルバートのような立体交差で、防犯上などの理由から物理的に塞がれた事例は他にはない。簡素な通路を備えた水路で後から通れないようにフェンス門扉で塞いだ例としては、山口宇部道路雀田水路のボックスカルバートの例がある。


沢の水が流れ込む構造ながら、その横にある点検通路はフェンス門扉が施錠されていて通れない。当初から水路メンテナンス用で一般向けの通路ではなかった可能性もある。ただし下流側には水路沿いの畦道があり、立体交差部分は塞がれていない。
本件の正体が判明する前に撮影し推察を重ねた記事。日を改めて3度訪れたものを第1〜3巻として掲載している。全3巻。
時系列記事: 地下道の造りかけのような構造物【1】
出典および編集追記:

1.「広報うべ」第469号(昭和46年5月13日)の表紙に江頭〜常盤公園間の4車線拡幅完成の記事と写真が掲載されている。

2.「株式会社宇部日報社|昭和53年(1978年)10月21日の1面記事

3.「2016/3/5のタイムライン|江頭地下道(仮称)

4.「宇部市防災マップ(常盤地区)|宇部市

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