市道大田白岸線【1】

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ここでは、市道大田白岸線の全区間調査について、日を変えて複数回訪れたときの時系列記事をまとめて収録している。この市道の成り立ちなど概要については総括記事を参照。なお、以下の初回踏査分は総括記事に書かれていたものの分離移動で、2回目踏査以降は新規に書き加えられている。
《 初回踏査 》
現地撮影日:2017/1/28
最終編集日:2018/11/8
東岐波地区の調査の終盤で本路線の起点に訪れた。
正面に見える倉庫に対して右側が本路線である。時刻はもう午後3時過ぎ。西日がきつい。


左側の分岐路は市道立山北原引野線で、更に先で二またに分かれ、右寄りの地区道に沿って植松川が伸びる。この分岐点近くに県管理としての植松川の上流端を示す標識が設置されている。

倉庫の横を過ぎると、すぐ右側に派生する小さな沢地がある。


この沢地の上部に玄場池がある。地図でしか見たことのない溜め池なので、時系列でもちょっと現地まで立ち寄って写真を撮ってきた。
総括記事: 玄場池
沿線の殆どは田畑で、間に民家が散在しているイメージである。アスファルト舗装されているが地元在住民および一番奥にある業者の往来しかないせいか、路面はやや荒い。自転車で走るとアスファルト中の露出した石が当たりかなり乗り心地は悪い。幅員は1.5車線相当で車の往来はまったくなかった。

起点から進路は一貫して西方向のため、午後訪れると殆ど何処でも逆光となってしまう。[1]


殆ど体感されないほどの勾配で沢を登っていく。
途中に右方向の枝道がいくつかあるもののどれも地区道ないしは私道である。
いくつかはかなり気になる枝道があったが時間の都合上寄り道しなかった


一番奥にある業者の資材置き場を前にして若干の登り坂になる。
立入禁止の看板が出ているが、これは敷地に対してであって本路線の進攻には関係がない。


資材置き場への出入りがあるだけで、この先は四輪の通行需要は殆どないらしかった。
スロープを登った先でアスファルト舗装路は終了していた。


同じ場所より振り返って撮影。


さて、まずここは自分が身を置いて良い場所なのだろうかという不安があった。民家がなくなってから先は沿線の至る所で立入禁止の看板が目に付いたからだ。今居る場所は認定市道の筈だし、少なくともその積もりで進攻してきた。しかしここから先はどの方へ市道が伸びているか見当がつかなかった。

ただしここへ来たのは初めてではない。一昨年の6月、東岐波地区を訪れて本路線の起点より一つ隣りの道を進攻したことがあった。その道も同様に四輪が進攻できない幅になり、水路沿いに自転車を押し歩きして植松新池に到達した。その後、来た道を引き返さずに堰堤を横切って先へ進んだところ、この場所へ出てきたのである。そのときはこの道が認定市道であることを知らず、また資材置き場のような場所へ出てきてしまったこともあってすぐに立ち去っていた。

手元のデータでは本路線はここが終点というのではなく、山の中へ入っていくことが分かっている。踏査は失敗だったが、今後の攻略予定があるのでセクションを変えて記述する。
【 山道区間 】
さて、現地ではこのどちらへ行くべきか迷っていた。
右側の踏み跡が明瞭で水路が付随しているが、中ほどにも道らしきものがある。


現地ではまず右側の踏み跡を辿った。
方向が合っているかは分からなかったが、それ以前にこの道は高度を上げないので違っているのではないかと思い始めた。本路線の終点は山口宇部道路の料金所上の尾根に向かう筈だからだ。

水路を辿った先には壮大な堰堤があり、予定外に植松池を訪れることとなった。何処かで分岐点を見落としていることになる。引き返すときかなり注意深く枝道を探した。そうして結局、舗装路がなくなる場所まで戻ってきた。

この道だろうか?
それらしい感触はあったものの、先へ進みづらい状況があった。
野生動物向けの箱わなが仕掛けられていた。


ここへ来るまでにわなに関する注意書きのタグを見つけていた。そこにはまたしても関係者以外立入禁止の文言が掲示されていたからだ。
一部画像を加工しています

分岐点らしきところからズーム撮影してみた。
あの箱わなの後ろにも山道が続いているのだろうか…


わなの後ろに踏み跡が見えているようでもある。しかし安全にその横をすり抜けられるだろうか。あるいは落ち葉の下にトラップが埋め込まれていて、踏み付けただけでパチン!とワイヤが弾いて箱の中へ生け捕りにされるとか…まあさすがにそれはあり得ないだろうが…

早い時間ならまだしもこの日は寄り道が過ぎて既に時刻は午後4時だった。今の時期は日が傾くと気温が急激に下がる。天気が良くて薄めのウェアに替えていたし、この時間から仮に目的地へ到達できたとしても延々と引き返す以外ない山道へ入っていくのはリスクが高い。無理をせず来た道を引き返して本日のデータ採取はここまでとした。
《 第2回踏査 》
現地撮影日:2017/3/11
最終編集日:2018/11/12
この市道の全区間調査については暫く念頭にあった。すぐ南寄りには市道西蓮寺王子白岸線という同種の道があり、殆ど同じ場所で途切れる形で終点となっている。どちらもまだ今ほど車社会でなかった時代に認定市道とされ、その後山口宇部道路で分断されて完全に往来需要がなくなる形で藪へ消えた同じ運命を背負っている。

本路線の方は初回踏査で箱わなを見つけ、そこから先の調査を見送っていた。その後FBメンバー有志により箱わなの先が調査され、すぐにシダ藪に阻まれてしまったという報告を得た。このことより正攻法では無理と考え、終点側から辿ることを考えついた。

終点は市道西蓮寺王子白岸線と同様、かつて山口宇部道路の上に架かっていた白岸跨道橋(仮称)の前にある。西蓮寺王子白岸線は中途にまだ経路が分かっていない部分があるものの終点まで到達しており、そこには一軒の民家がある。初回踏査時には家の方が出て農作業をしておられて話を伺うことができた。地元に関する話を振られると一般的に多くの方がそうであるように、この方も大変に興味を示され30分くらい立ち話していた。白岸(しろぎし)という地名の由来や、字奥王子村について地元では一部で転訛した「おうこうじ」の読みがされていたなどなど…

さて、前回のことがあったので午後3時前までに西蓮寺王子白岸線の終点まで自転車を乗り付けた。周辺は一軒家の私有地かも知れないが、山口宇部道路に沿って藪を漕いで終点を探そうと思ったのである。ところが…一軒家の前に到達するまでもなく家の方が庭先まで出て居られるのを見た。
「こんにちは〜」
「ああ、またおいでなさいましたかの。」
何と、前回訪問したのをしっかりと覚えておられた。この道は行き止まりであり、そこへ自転車で乗り付けるなんて人は殆ど居ないというのもあるだろう。田畑を持っていると外ですべきことが多く、私みたいに一日じゅうでもアジトへ籠もりっきりなんてことがないのも接点を持ちやすい理由だ。私は単刀直入に尋ねた。
「前回のあの跨道橋のことなんですけど、ここまで来る道以外にこの奥に大田から出る別の道があったようですね?」
「あったよ。子どもの頃よう自転車で乗り回しよったから覚えちょる。馬車も通りよったからねえ。」
さすが地下の人だ。少々離れた場所でも昔からある道については詳しい。
「こないだ植松池の横から入って行ったんですが、途中で道がなくなってまして。」
「そうじゃろうのう。最近は誰も通らんことなったからなあ。橋ものうなって渡れんことなってしもうたし。」
前回初めて話を伺ったとき跨道橋は私の知らないうちに落とされていたと聞かされていた。たまたまあの場所に料金所が造られることになったのが主因だろうが、橋がなくなったことで2本の市道が”死道”と化したのは否めない。
「大田からの道はどの辺りでこの道と合流していたんでしょうか?」
「中電の電柱が並んで建っとるいねえ。あの先にある高い樹のところで大田からの道が繋がっちょった。」
「跨道橋があった場所は?」
「電柱の3本先あたりにあった。うちの前の道も有料が出来る前はまーっすぐ伸びちょったからねえ。」
3本目先の電柱は生い茂る藪の向こうにあった。


跨道橋時代はここで道は折れて山口宇部道路に沿って進んでいたらしい。山口宇部道路のフェンスがうっすらと見えていた。
「かなり荒れていますね。通れるんでしょうか?」
「フェンスの外側に道がついちょるよ。もう少ししたら中電の人が草刈りに来るようなことを言ってたが。年に一回電柱沿いの草刈りをしよる。」
電柱は山口宇部道路のフェンスから一定距離離れた擁壁の下側に建っていた。山口宇部有料道路時代に存在していた料金所や事務所の電源線かと思われたが、何も広い道路を横断する側から電源を取らないだろう。宇部JCT付近に携帯会社の電波塔があるので、その給電用として今も使っているのかも知れない。現状は到底道と言える状況ではないものの今でも管理道か赤線のままになっているらしい。

草刈り後なら進攻も楽だが、現地へ来たときが調べどきだ。ここは強引に藪を漕いだ。幸い殆どが枯れ草状態でタチの悪いツル系やイバラなどはなく、どうにか進攻できた。

跨道橋があったとされる3本目の電柱あたりまで到達した。
山口宇部道路側はこの位置に元の事務所が見える。


ここに跨道橋が架かっていたなら、コンクリート基礎などが遺っていそうなものである。それを期待してしばし周囲を探索した。しかし全く何も見つからなかった。そして後から思うにそれも無理からぬことであった。

跨道橋があった時期の航空映像を参照すると、この場所の山口宇部有料道路は対面交通である。暫定2車線で供用開始しもう2車線分の敷地は確保されてはいたのだが、料金所時代にはスムーズに車を通すためにブースを複数設置し、西側には料金所や事務所もある。それらの敷地を確保するため跨道橋を撤去するだけでなくかなり広範囲に山を削っていた。この過程で跨道橋が架かっていた高い取り付け道部分も削って喪われたらしい。そもそも道路の上を横切る跨道橋があったとされる場所が今ほど低い筈もないのである。このことより、跨道橋は周辺の地山も含めて丸ごと除去されてしまったと結論する以外ない。

跨道橋の痕跡探索を諦めて古道の痕跡探しに移った。
ちょうどこの反対側に盛土部分が切れて下っていく道のような平らな場所を見つけた。


これは大田方面からの道の痕跡だろうと思った。
一定幅で平坦な部分があり、その端は削られて斜面になっている構造が窺えたからだ。


道らしきものはカーブしながら下っていった。
すぐに倒木などで酷く荒れ始めた。


我慢してもう少し先を辿る。
道の中央には樹木も生えているもののかなり線形は明白である。これは探し求めていた古道の痕跡に間違いないだろう。


やがてシダが現れ始めて道路線形と山の斜面の区別がつきづらくなってきた。


シダと笹。この2つのどちらかに侵入されたら道の線形は急速に不明瞭となってしまう。害悪な虫を蓄える植物ではないものの藪漕ぎ意欲を萎えさせる脅威である。
この場所で引き返した。時間がかなり押していたし自転車を置いていた場所からどんどん離れてしまうからだ。

民家の前へ戻ったとき、家の方は庭の方へ回っておられたらしく姿が見えなくなっていた。
そこで自転車を少し押し歩きし、家の前から沢地の方へ下っていく坂道を降りてみることにした。先に見た古道は明らかに尾根伝いに下っていたので、沢地を横断すればあの酷いシダ藪を回避して古道の途中へ出て来られるかも知れないと思ったからだ。

下り坂の途中には井戸水を汲み上げるポンプと倉庫があった。
市道一番奥にあるこの家では水道を引いてもらえず今も井戸水をポンプで汲んで使っていると聞いた。


ポンプがある方には道はなかったし、その方向へ進んでもさっきの場所へ逆戻りになるだけだ。そこで更に沢へ近い倉庫の方まで行ってみた。
沢地はかつて田んぼであった跡地で、他の地区でもよくあるように現在は耕作されておらず一面に沼地状態だった。沢の反対側へ渡れば尾根伝いの古道を見つけられるかも知れなかったが、道がないどころか足元の何処が湿地状態になっているか分からず危険極まりなくさすがに進攻を断念した。

このときの最終到達地点はおよそこの辺りである。
地図を拡大して四角く表示されるのが最後に訪れた倉庫だ。


結局この日はここまでの成果のみを得て帰宅した。なお、一連の時系列は先行してFBタイムラインで報告している。[2]

第3次踏査はこの時系列記事をまとめ上げる2018年の秋口に行われている。ただしここでは箱わなから先を少し辿ってシダ藪に阻まれるところまでしか検証できなかった。
出典および編集追記:

1. 逆光時に特に目立つ光線の乱れは当初原因が分からずカメラの仕様と思われていた。後にこれはカメラをポケットへ入れたまま携行したときにレンズカバーの内側に埃が入ったり湿気でレンズが曇ったりしたのが原因と判明した。レンズが露出した状態で携行し指先が当たって脂が着くのも原因となる。撮影しないときはレンズカバーは自動的に閉じられること、順光では目立たなくなるため見逃されていた。これ以降、踏査時にはかならずレンズ清拭用の清潔な布を携行しレンズの汚れをチェックすることで発生しなくなっている。

2.「FBタイムライン|市道大田白岸線・終点付近(2017/3/12)

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