市道新天町線・横話【1】

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ここでは市道新天町線の派生記事を収録している。
なお、時系列記事を記述方針の定まらない初期に作成してしまい、現状は本編が派生記事的な記述になっている。しかし作成時の経緯を尊重し、本編を書き換えずこちらの派生記事に追加の項目を設置し記述している。
総括記事を作成することで対応しました
《 えびす通り 》
現地撮影日:2013/10/2
記事公開日:2013/10/9
新天町アーケード街の中ほどに常盤通りへ抜ける横町のような細い路地があり、えびす横町ないしはえびす通りと呼ばれている。[1]

下の地図は、常盤通りに面したえびす通りの入口をポイントしている。


上の拡大地図でも鍵状に常盤通りへ伸びる通路が確認できるだろう。

アーケード街側の入口の様子。
両側の店舗は休業中で、シャッターアートプロジェクトの一環としてペイントが施されている。


シャッター通りのように見えるが、撮影に訪れたのは平日の午前割と早い時間帯で、まだ空いていない店が多かったからだ。


突き当たりでこの横町は鍵状に右へ折れる。
左側の理容店は既に店を開けていてお客さんの姿があった。


ちょうどお店一軒分ほど右へ屈曲する形になる。
横町の名称はアーケード街から入ったとき正面に見えるこの寿司店に由来するらしい。実際、昔から営業している店だ。[2]


クランク部分を過ぎると常盤通りが見えてくる。


この路地は認定市道ではなく、地元管理の道となっている。実のところこの横町を通ったのは自分としては今回が初めてであった。ただ、昼中の仕事に出ていた去年や一昨年はアーケード街のこの入口近くで休憩していたし、通りの存在は知っていた。
残念ながら個人的関わりはないが、アーケード街同様に今と昔を記録する必要性を感じてこのたび写真を撮影し記事化したものである。

常盤通り側から入ったときの写真を追加しておこう。


アーケードが設置されているが新天町のものとは異なる旧タイプである。
道幅も現在の銀天街程度だ。


車止めポストが設置され侵入できないようになっている。
路面は昔ながらのコンクリート状だ。


良く言えば昔の風情を残すアーケード街だが、一見さんはちょっと歩きづらい雰囲気かも知れない。


えびす寿司前のクランク部分。


なお、現地の撮影中に急用ができたため後半部分の写真は別の日に追加撮影している。
【 記事公開後の変化 】
項目記述日:2017/8/31
約4年振りくらいに現地を訪れて追加の撮影を行っている。えびす街の構成店舗に変化はなかった。
えびす寿司のある位置は元は魚屋であったという指摘が読者からあった。[3]
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 新天町(宇部市)|地理」を参照。

2. 幼少期に親は私を連れてこのお店へ入ったことがあるという。残念ながら覚えていない。

3.「FBページ|2017/8/30の投稿(要ログイン)
《 あけみちゃん 》
現地撮影日:2013/10/2
記事公開日:2015/8/8
新天町アーケード街には一匹の人気者ネコがマスコット的な役割を果たしている。
写真はテーブルの上でくつろいでいる姿。


どなたが飼っていらっしゃるのかは聞いていなかったが、このネコには「あけみちゃん」という名前がついている。最近は姿をあまり見ないが、かつて子ども祭りに参加したときやまちなかアートフェスタで写真展示していたときに何度か姿を見かけた。この写真はアートフェスタについて取材を受けるときのものである。担当者と現地で落ち合うまでの時間があり、待ち合わせ場所にたまたまあけみちゃんの姿があったので勝手に撮らせてもらった。以下はあけみちゃんの代弁である。

「何撮ってんのよ?ちゃんとモデル料払ってよ」


「まだ撮んの?もしかしてネットデビューのお積もり?」


「ちょっとだけサービス♪」


「あたしもう眠い…」


静止画像で見ると如何にも愛想がないネコのように見えるが、もしかすると構ってチャンの要素があるのかもと思った。このことは動画だとよく分かる。

[再生時間: 29秒]


撮影している間、尻尾をゆっくりピョコピョコと振るわせている。子どもの頃、ネコが尻尾を左右に振るのは構って欲しいという意思表示だということを教えられたことがある。振り方にもよるが概ねその通りのようである。[1]

別の日にあと何枚か撮ったかも知れない。しかしこの派生記事を書いている最近は姿を見かけなくなった。

まちなかアートフェスタのパネル展示で子どもたちが賑わっているのを横目にテーブルの上で淡々とした表情を見せるあけみちゃん。


あたしゃー知らんがなーってな表情がなかなか面白い。
このときの状況は「2014年のお知らせ履歴」にも書いています

あけみちゃんに会えるかどうかは運次第であり、護国神社の遣いのネコに似たものがある。
【 近年の変化 】
2015年辺りから全くあけみちゃんを見かけなくなった。その後の消息については調査中である。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - ネコ|尾と感情との関係」による。
《 ラーメンつばめ★ 》
現地撮影日:2014/5/3
記事公開日:2015/8/7
現在の錦町郵便局の真向かい側の角に、かつて「つばめ」という屋号のラーメン店があった。
写真は店が存在していたと思われる場所。現在は駐車場になっている。
上の写真では本路線が左右に横切る方向で市道明治町東新川線に沿って撮影している


見ての通りラーメン店は既に存在しない。しかしラーメン好きな市民で覚えている人は少なくない。以下、思い出せる範囲で個人的関わりを元に記述しているので誤りがあるかも知れない。

お店は十字路の角に面した形で入口があって、天井が低く入口の戸は常に開いていた。個人ラーメン店特有の暖簾が下がっていたが、これが「つばめ」の平かなだったか「燕」の漢字表記だったか覚えていない。カウンターもくの字型に並んでいたと思う。テーブル席があったかどうか覚えていないが、当時の個人経営のラーメン店は何処も精々十数人程度が入れば満席になっていた。

親父はラーメン好きで、しょっちゅうではなかったが家族全員でこの店へ訪れていた。常盤町時代から行っていた筈で、我が家ではラーメンが食べたくなったら一久の東新川支店や宇部新川支店に行くかこの店だった。ただし絶対にこの店でなければという程の選好度はなく、待つのが嫌いな親父のことなので店内が混んでいたなら外で待つようなことはせず諦めて別の店に行っていた。
来店手段は当然車だった。駐車場はあったかも知れないが殆ど毎回市道明治町東新川線に路上駐車していた。当時は今ほど交通量が多くなかったし、この店に限らずよほど大きな店舗でもない限り路上駐車はまったく一般的だった。当時、市道明治町東新川線の両側は柳の木が植えられていた。

幼少期のことなのでラーメンの味については特別な印象がない。ただ、丼の上に載っている黒々とした焼き海苔が印象的だった。豚骨ベースのラーメンで今で言えばインパクトがないとなりそうだが、安定感というか安心できる味だった。今でこそラーメンに塩やしょう油、味噌があり得るものの山口県西部は九州の豚骨ラーメンの影響を強く受けているせいもあって個人のラーメン店は豚骨が常識だった。豚骨以外の味のラーメンはレストランや中華系の中規模店で食べることはできたが、個人のラーメン店で取り組んでいた店は皆無だった。[1]
恐らくはその安定感からか豚骨ラーメン好きの評価は極めて高く、市内のラーメン店食べ歩きを名乗っていながらこの店を知らない人はモグリと言われる程度の知名度があった。私自身ラーメン好きだったので高校生の頃自転車で食べに行ったことが一度くらいはあると思う。

それほど密やかな人気があったのに店仕舞いされた理由はよく分からない。学生時代に市内殆どのラーメン店を極めた知り合いがいて、この店の閉店について語ってくれたことがある。ただしその内容は確証を得られたものではなく憶測の域を出ないのでここでは記述しない。昭和50年代半ばまでは営業していたと思われるし、あるいは平成初期までやっていたかも知れない。
出典および編集追記:

1. 豚骨系以外の味としては薩摩ラーメン、ねぎラーメン、しょう油や塩バターなどの多彩な味を揃えた醤々が知られる。それらの店舗が出現したのはいずれも昭和50年代半ば以降のことである。

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