市道真締川南小羽山線・横話

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ここでは、市道真締川南小羽山線の派生的項目をまとめて収録している。
なお、当該路線の時系列レポートは派生的内容をそのまま記述しているので、これ以外の派生的項目は時系列レポートを参照されたい。
《 西沖田公園 》
現地調査日:2015/6/9
項目記述日:2017/4/27
西沖田公園は、本路線の沿線に造られた新興住宅地に付随する地元管理の公園である。
写真は本路線からの撮影。


宅内の道入口に掲げられた工事看板からも分かるように、公園が造られた時点ではまだ分譲地に空きがあった。現在ではすべての区画が埋まっている。

公園の標識柱。
園内も含めてまだ新しい。


公園の全景。
ベンチが3基とブランコという構成である。


なお、西沖田とはこの公園のある場所の小字である。沖田と言えば沖田の鶴という伝承が著名である。詳細は以下を参照。
派生記事: 沖田の鶴
《 地区道沿いにある竪坑のようなもの 》
現地調査日:2017/4/9
項目記述日:2017/4/27
本件は調査依頼物件である。依頼内容は次のようであった。
「南小羽山へ上がる道の途中、大きなカーブからコースアウトする細い道がある。その道を入ったところに斜面へ竪坑のようなものがある。もしかすると炭鉱関連だろうか?。正体を知りたい。」
本路線から派生する枝道は限られているし、件の「カーブをコースアウトする」道は一度だけだが通ったことがあった。すぐに現地へ行くことは出来なかったが、本路線は仕事柄車でよく通る。そこで大きなカーブを通るとき注意してその方を眺めたところ、それらしきものが少しだけ見えた。このことより現地へ行く前から所在だけは確認できていた。

本路線を起点から走ったとき、最初の直角折れ点を過ぎた先にある最初の大きな左カーブである。
ガードレールが切れているところが地区道の入口だ。


本路線から外れると、地区道は一旦下り坂になる。
高低差は3m程度か。


本件とは関係ないが、本路線のこの高さは小羽山造成の際に押し出した土を盛ると共に蛇瀬川の護岸を築いた結果であろう。換言すれば、昔の蛇瀬川はこの地区道を降りた辺りの高さだったと思われる。

先で地区道は再び緩やかな登り坂になる。
その先の左側斜面にコンクリートの円筒柱が見えていた。


このことだろう。
円筒柱は依頼者が地図でおおまかな位置を指し示したまさにその場所だった。


この場所を中心にポイントした地図を載せる。


反対側から撮影。
本路線の大きなカーブがここからも見える。逆に言えば運転中でも注意していればこの円筒柱が見えたわけだ。


運転中の車窓からでは円筒柱らしきものがある程度にしか分からなかった。現地へ来てみれば、詳細を分析する以前におよその見当がついた。即ち調べる前からこれは炭鉱の竪坑ではあり得ないという結論が頭にあった。

では、一体何なのか?
…と問われると俄には断定し難い。しかしなかなかに調べづらい現地の状況があった。敢えてファインダーからは外しているが、この地区道の真向かいにあるお宅の庭で家の方が洗車をなさっていたのだ。私の一挙手一投足が丸見えである。如何にもタイミングが悪い。
よほど奇妙で古く謎めいた物件なら「これは何でしょう?」程度のことを尋ねられるのだが、どう見てもあれだなーという結論があったし、地下の人でなければ昔からあるものについて尋ねても知る由もない。

完璧に民家の敷地へ入り込むのでもなければ、最近は堂々としたものである。
これは業務なのだ…という顔をして斜面によじ登った。現地へ来たからにはお座なりに観察するのではなく自分なりの手法で眺めてから結論を下さなければならない。

円筒柱の上部には円形の蓋がしてあった。
また、その背面には正方形の小さな桝が据えられていた。


この桝の存在からも炭鉱関連という仮説は否定できる。
桝からはパイプが伸びていてこの円筒柱の中に繋がっていたからだ。円筒柱の側面には削孔してパイプを繋ぎ、隙間をモルタルで埋めた痕跡がみられる。


一番考えられるのは、まったく素朴に雨水排水関連の構造物というものである。四角いコンクリート桝はいわゆる宅内桝で、一般家庭の雨水排水を一旦溜めるものとしてもっとも標準的だ。桝の底ではなく上の方にパイプを繋いでいるのは、泥が流れ込まないようにするためと思われる。

他方、雨水排水にしては接続されたパイプの径が小さい気もする。あるいはこの円筒柱の正体は井戸で、畑に灌水する程度の水を汲み上げているのかも知れない。ただ、そうなればポンプと動力線が要る。それらしきものは周囲には見当たらなかった。

本当の答えがどうであるかは…この蓋を持ち上げて中を覗けばある程度解明に貢献するだろう。


さすがにそこまではやらなかった。真向かいさんの目もだが、実際にこの構造物を利用している民家の目もある。雨水排水にしろ井戸にしろ危険な竪坑になっているのは明白だし、それ以前に上部のコンクリートは試すまでもなく男一人の力ではびくともしなかった。

したがって当面の回答としては「雨水排水の桝か井戸と思われるが、炭鉱関連の竪坑ではない」としておこう。特に炭鉱において坑道まで物資を取り卸したりとか換気用の竪坑なんて可能性はまずあり得ない。

それほど強く炭鉱の竪坑が否定されるのも、閉鎖された炭鉱関連の設備は、観光用などで安全な状態に保全した上で公開するなどの例外を除き厳重に封鎖することが義務づけられているからである。[1]上部は重いコンクリート蓋だが、これを退けた途端にズドーンと深い竪坑があって転落…なんて塩梅に放置されていることはまずあり得ない。例えば坑道の入口があったとすれば、施錠された扉ではなく二度と開けることが出来ないように分厚いコンクリートを充填して塞ぐのが普通である。

ただし本件の依頼者が炭鉱の竪坑を想起したのは、強ち非常識な話でもない。依頼者からの又聞き情報だが、広田自治会に属する地下の住民で、昭和中期頃に牛を使って畑を鋤かせていたとき突然畑が陥没し、牛が落ち込んで足の骨を折ったという話を聞いている。
ただし広田の辺りまで坑道が伸びていたかは調査を要する

一般にはこれは井戸と考えるのが妥当ではないだろうか。こんな斜面に存在するのは奇異に映るかも知れないが、それほど珍しいものでもない。むしろ山沿いの斜面では水の道があれば湧水が起こりやすいから、適宜竪坑を掘るだけで水を溜めることができる。同様の斜面に造られた井戸を北迫で見つけている。

他の可能性として雨水排水と井戸を挙げたが、これを補強しそうなものと言えば円筒柱を含めた前後を撮影した写真に現れている。地区道のアスファルト路面に長方形の舗装復旧跡がみられる。何の理由もなしにこんな場所を掘り返しはしない。排水管の繋ぎ込みなど何か関連する施工を行ったのではないかと推測される。アスファルト舗装の外観からもこの地区道の舗設は比較的近年と思われるが、この長方形部分の舗装復旧施工は一年以内かも知れない。

円筒柱の側面の様子。
この外観からは大雑把な判定しかできないが、古くても精々戦後のものだろう。


ここまでを撮影して退出した。
地区道に面してはいるが、恐らく私的物件でありとりたてて重要な構造物の可能性はないだろう。新たな情報があれば追記するが、恐らくこのまま進展はないだろう。

なお、本件はありきたりな結末に終わってしまったが、同依頼者からは本件の他に2件の調査依頼物件を受け取っている。この派生項目を作成する現時点ですべて現地調査済みであり、いずれ記事化を予定している。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 坑道

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