市道藤曲門前線【7】

道路インデックスに戻る

(「市道藤曲門前線【6】」の続き)

畑仕事をなさっているその方の前を通り過ぎるまでもなく私の存在に気付かれたので、挨拶して尋ねてみた。
「すみません。確かこの辺りに昔の道があるようなことを聞いたんですが…この道で良いんでしょうか?」
現状は昔の道の面影もなさそうな畑の畝である。否定的な答が返ってくるのでは…とも思われた。
「中山へ降りる道ですね。この道ですよ。昔は私らも通っておりました。
私が「中山」というキーワードを持ち出すまでもなくその言葉が聞けたことで、やはりこの道で良かったのだ…と確信できた。しかし今は失われてしまっているのではという懸念があった。
「実は先日、ここを訪れまして…先の方まで行ったんですが畑のところから先は道がなくなっているようでして…」
「通る人がおらんようになったから荒れちょるかも知れんですね。でも尋ねて来る人はありますよ。」
私と同じようにこの古道の存在を知って調べてみようという人があるらしかった。今でこそ酷く藪化しているが昭和期の航空映像では道の形がハッキリ見えているのである。そして何よりも完全廃道ではなく市の管理する(いや…記載されているだけで管理はしていないだろうが…)認定市道なのである。

話をしている間にご主人も畑へやって来られて、同様にこれが昔からの道だと語られた。
「まだ道として遺っているでしょうか?」
「中山へ出るところは今でも通れますよ。この先は道ないかも知れんけど…行ってみちゃったらええ。」
私が引き返したあの畑もこの方々の持ち主かは分からないが、ちょっと畑の中を通ることになってもうるさい事を言われるような雰囲気ではなさそうだった。
やはり地元聞き取り情報に勝るものはない。お礼を言って今度こそは…とあの畑に向かった。

幅2m程度に草刈りされた道が伸びる。その先には前回撤収することとなった畑が見えていた。


例の木製階段の場所である。安泰に歩けるのも本当にここまでだ。
元々の道はここで階段に上がらず真っ直ぐ進む筈なのだが…試みるまでもない。


そこで前回と同様ここで階段を上がり、畑の畝に沿って突き当たりまで歩いた。
この区間は精々10mちょっと。そして畑の一番奥へ到達し、ここから先はもはや道や畑の痕跡さえも見えない状態となっていた。


畑の先に通れそうな道はない…当たり前だ。本来の古道は現在いる畑より一段低い場所を通っている筈だからだ。先に登った階段の高さほど降りなければならない。

では畑より一段低い場所はと言うと…
さあ、どうだろう。道があるか否かは潜入してみないことには何とも言えない。


ここを降りれば先の古道と同じ高さになる。
現況は野ウサギですら進攻したがらない酷い藪だが躊躇ってとかいられない。行くしかあるまい…
教えを請うたとき「行ってみちゃったらええ」と言われたのでそれほど酷い場所ではないと楽観視していた


畑地で刈り払いされた草木が斜面へ投げ込まれていて、土がまったく見えない位に堆積していた。足元の地面がどういう状況か分からず踏み込むのは気持ちのいいものではない。素肌を突き刺すイバラや服に攻撃を仕掛けてくるほいとが皆無だったのが救いだ。

一段低い場所へ降りたち振り返って撮影している。
もはや気分はすっかり藪に身を隠す野ウサギだ…^^;


さて、降りてきたこの場所だが…
階段の前まで歩いてきたような平坦な場所ではあった。道かも知れないし段々畑のうちの一枚とも言える状態だ。ただ、この平坦な地面は自然のものではないと思った。


ここから逆方向へ辿ればあの階段前のところまでトレースできるかもと考えかけた。
これも試すまでもなかった。酷い笹藪でまったく手が付けられない状態だ。


足元は…混沌としている。
雑木あり枯れ葉あり、ツタ系の絡まる植物も密集している。太陽光が遮られて酷く暗く、普通にカメラを構えるとフラッシュが動作した。


バッテリー節約のためここからはフラッシュを切っている。
道があると思われる方向へ進んだ。確かに荒れているが足元は意外に平坦だった。


アジトで眺めた昭和49年度の航空映像が頭に浮かんだ。そこには段々畑が数段連なっていた。[1]そして藪に隠され不明瞭ながら確かに高さの異なる平地が観察された。
動画撮影も実行したが肉眼で観測できたほと明瞭に写っていないので省略する

長く人が訪れたことがない場所でありながら、まったく人里離れた自然界というのでもなく周囲にはゴミが目立った。いつまで経っても朽ちることのないビニル袋系のゴミにガラス瓶が多い。
ファンタの瓶入りっていつまで売られていたのだろう…


昔の道だ!と強硬に主張すればまあ納得もいくかなという程度の平らな地面。
しかし歩く人はとうに無くなり誰も普請しなくなって何年も経っているようだ。徒歩だからトレースできているのであって、とても自転車を連れて押し歩きできるような状況ではない。歩いて進攻するにも倒木を跨いだり枝を払いのける場面が何度もあった。


微妙に植生が変化したと感じられる場所があった。
生気を失った枯れ木からやや緑色の葉を多く付ける樹木に変わった。この辺りからは下草が目立ち、低木が減った分歩きやすくなった。


畑を降りて藪へ突っ込んでから初めて昔の道らしいと納得いく踏み跡に出会った。
雑木の侵入は著しいが一定幅だけはそれほど背の高い樹がない。地面の傾斜は流れ出た土や溜まる木の葉のためだろう。


もの凄い落ち葉の厚みだ。土の上を歩いているという感覚がない。踏めば靴が数センチも沈み込む深い自然のじゅうたんである。


木々が疎らになったのを機に現在位置を確認しようと下界を眺めたとき、雑木の隙間から民家の屋根が見えかけた。市道崩金山線を起点からたどったとき最後に見送った民家の屋根と気付いた。
カメラではズームでも一部がやっと視認できる状態なので撮っていない

それから程なくして前方へ明白な山道が見えてきた。



山道ながら見覚えのある道だ。
市道崩金山線に到達した。


この交点位置を地図で示しておく。もっとも地図では道の記載がないので正確性は保証されない。


本路線の方が1m近く高い。そのため市道崩金山線を複数回通ったときにもここに交点があるとはまったく気付かなかった。
コンクリートの電柱が大方の目印になりそうだ。
後編で述べるように1m程度の段差があったという事実は正しい経路を確定する上で重要な手がかりとなった


藪を漕いだ結果やっと未知の点と点が線に繋がった感じだ。
山中を彷徨うことになってしまう危険は心配していないにしろ、分かる場所へ出てくるとホッとする。しばし服やズボンに着いた枯れ草を払いのけた。

市道崩金山線から分岐点を振り返って撮影している。
この場所に立ってカメラを構えるから接続点が分かるのであって、地元在住民など何か予備知識を持つ人でなければまず見つけることはできない。


私が今しがた通ってきたから踏み跡がより明瞭になったというのはあろうが、それだけではない。明らかに周囲の草地とは異なった一条の獣道を形成している。
この淡い痕跡が市道藤曲門前線そのものであることは確実だ。本当にもう誰も通らない道になってしまっていたのだ。


さて、これで畑に上がる木製階段から藪の突入開始地点までの約10mばかりは諦めるとして、ここまで本路線を正確にトレースできた。
しかしここからは何処へ行けばいいのだろう…再び途方に暮れることとなった。それと言うのも本路線はこの場所で市道崩金山線を十字路の形で横切っているのではなかったからだ。せっかく分かる場所まで出てきていながら、その先にまったく道の痕跡が認められなかったのである。
またこの先の藪へ突入するか、それとも既に知られているもっとも道らしい”あの分岐点”から先をトレースすべきか…

---

現地ではさんざん迷った挙げ句に「多分この経路では…」と思われる道を進んでいる。ここまでの記事化は割とスンナリ進んだものの、この後の構成に随分と悩んだ。現地で辿った経路が本当に正しいのかそれとも誤って別の道をトレースしたのか最近まで判断がつかなかったからである。

現在では手元の経路メモをはじめ、昭和49年度の航空映像、東桃山住宅地図のデータを照合し考慮した結果、この先の最初に辿った経路が正しく、多分誤っていると認識しつつ歩いた区間は明白に経路から外れていたと考えている。誤っていると思いつつ経路を外れた理由は、先に進攻可能な道が他にまったく存在しなかったからだ。

次編では現在において「ここまでは正しい経路(の筈)だ」という部分までを収録し、経路を外れた区間は派生記事として別に収録している。未踏査区間の写真が辿れた折に写真を追加する予定なので、遺憾ながら次編が完全な形で提供されることは今後暫くないだろう。
また、そろそろ話が混み入り過ぎて分かりづらくなってきたので、困難の原因となっている区間を地図で視覚化した派生記事もいずれ予定している。

(「市道藤曲門前線【8】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 地理院地図(1974〜1978年)における現地付近の航空映像。畑の外観や畝がハッキリと確認できる。

ホームに戻る