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(「市道藤曲門前線【7】」の続き)
些か屈辱的ながらいきなり「書きかけ項目タグ」を冒頭に貼っ付けた状態での公開とならざるを得ない。そして本項目が完全な形に仕上がる可能性は薄い。
それと言うのもこの記事を作成している現時点で
(記事を書き始めた後になって経路が見えてきたためにトレース不可能となる理由を書き換えている)
前編では強引に藪の中を歩き、微かな踏み跡を見つけた後で市道崩金山線へ出てきた。ただしそこは通常の交点ではなく1m程度の段差が生じていた。
当初、私は本路線の経路はここで市道崩金山線を横切り直進と考えていた。重用区間を持たないことは市道路河川管理課で経路をメモする段階で把握していたからだ。
東桃山自治会の住居地図でもそのような記述になっている。
東 桃 山と赤字で記載された”山”の字の上に描かれた細い黒線が市道藤曲門前線で、南北に交わる破線が市道崩金山線である。
この地図では交点は十字形ではなく若干捻れているように見える。しかし重用するようには記載されていない。だから当初は4年前に出会った元現地在住民が去っていった中電の索道とは一致しないと思っていたのである。
この交点位置を地図でも示しておく。
その後、本路線の続きは少なくとも途中までは中電の索道に一致していると考え直した。
その理由は次の通りだ。
(1) 他にまったく道と言えるものが存在しない。
(2) 本路線の経路はこの先にある「3連鉄塔」の北側を通らなければならない。
(3) 元々は地図に記載されるような交点だったのだが、段差を降りる近道の経路だけが生き残った。
交点から市道崩金山線に沿って登り坂を進むと、携帯の電波塔が見える。市道崩金山線はそこから直進しており、それとは別に右へ分岐する比較的整った道がある。初めて市道崩金山線をトレースしたとき誤って入り込んだ道であり、元金山在住民から情報を頂いた後に立ち去って行かれた索道だ。(2) 本路線の経路はこの先にある「3連鉄塔」の北側を通らなければならない。
(3) 元々は地図に記載されるような交点だったのだが、段差を降りる近道の経路だけが生き残った。
やはり4年前に在住民が歩き去っていったあの道が本路線の続きなのだ…
(右に見えているのは携帯電波塔のフェンスである)
これほど整った道がありながら、まったく別に本路線となる道が存在するとは考えづらいのである。
考え直して一旦は直進して調査したものの、やはり道ではないと判断されたトレース時の様子は以下の派生記事に書いた。
派生記事: 道ではないと判断された経路
藪を漕いで出た先は市道崩金山線とは1m近い段差になっていた。一応、その先を偵察はしてあった。しかし畑の一部のような場所であり、歩き回ったものの道の痕跡らしきものさえ窺えなかった。しかもこれを道と仮定すると、標高を保ったまま進めばどうしても3連鉄塔の南側を通ってしまうのである。手元のメモではそのようになっていない。この原因として考えられるのが(3) と思うのである。
藪を漕いで市道崩金山線に出てきたとき1m程度の段差があった。確かに既知の市道へ出てきたとは言ってもそれは道としておかしい。それまで藪の中は荒れているとは言っても極端な高低差はなかった。ここへ来て市道の接続点に段差が生じるわけがない。
その理由として、かつては本当に地図に記載されているようにスライスする交わり方だった。しかし市道崩金山線は直角に峠を目指しており、この区間ではきつい登り坂である。そこで本路線との接続は高さが同じ位置になるようにスライスして接続されていた。ところが目の前に分かった道があれば、人間近道をするものである。この過程で段差を構わず直進して1m程度の段差をつけて市道崩金山線へでてくる部分が遺り、本来あったスライスする形の接続経路が喪われてしまったと考えれば納得がいく。
再び自治会作成の地図に重ね描きした。
このような形で近道が形成され本来の道がショートカットされたと考えるなら、本路線の続きがあの索道に一致することの説明がつく。
以上の理由で、この索道部分が本路線の続きであると判断し記事を書き進める。
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現地の状況に戻る。
本来なら十字路のように横切るべきだが、そこに道らしき踏み跡は存在しないし、以前索道と知りつつ進んだ踏み跡が分かっているのでそこを目指した。
分岐点。前回市道崩金山線を起点側から再トレースしようとしたとき前方のこの荒れ具合を見て断念したのだった。
左側が市道崩金山線の向かう進路である。右側は…
右への分岐は初めて市道崩金山線を訪れたとき、元金山在住民に話を伺った後で立ち去って行かれた方向だった。
この道が市道かどうかは分からない。崩金山線も昔からの道ということだけ聞いただけだった。最初、在住民に出会う前はより踏み跡が明瞭な右の分岐へ入りかけたのだった。その行き先についてもこう語っておられた:「これは中電の索道でずっと鉄塔伝いに続いちょる。」
これは単純に中国電力がメンテナンス用に整備した道だろうか。それとも元からの市道を兼ねているのだろうか。
(「市道藤曲門前線【9】」へ続く)