市道崩金山線【2】

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(「市道崩金山線【1】」の続き)

さすがに出会った場所が場所である。まして私は自転車を押し歩きしている。最初の言葉は至極もっともな呼びかけだった。
「何処へ向かわれてですか?」
まあ、普通の人なら自転車どころか歩いて訪れようとも思わない山道なら、むべなるかなとも思える問いかけだった。
私の最終目標は何処かある場所へ行く容易な道を探しているのではなく、市道崩金山線という名の与えられた認定市道を正確に辿ることだった。具体的に何処へ行こうと思っていると話せば、親切心から市道ではない別の道を案内されるかも知れず、それではまずい。だから私は今ここにある道そのものについて率直に尋ねた。
「この道は、中山の方まで抜けられますか?」
「抜けられるよ。この先は昔からある道やけど最近は普請しよらんから荒れとる。まあ、途中でじでんしゃを担ぐ場所があるかも知れんなぁ。」
私は「昔からの道」という、その部分に反応し確信を持った。
間違いなくこれが市道崩金山線だ…
念のためにこの道って市道でしょうかと尋ねてはみたものの、さすがにそれは分からないという返事だった。無理もないだろう…車の通る大きな道ならまだしも、こんな山道が認定市道か否かなんてことは普通にご存じなこととも思えない。

「あの…地元の方ですか?」
「昔住んじょった。今はここには住んどらん。やけど田畑があるから時々こうやって様子を観に来て草を刈ったりしよる。」
山を越えて向こう側へ抜けることだけが目的ではないので、改めて自分のやろうとしていることを話した。
「実はこうやって自転車を引き連れて市内の道やその周辺にある古い歴史あるものをカメラに収めて回っています。この道も昔からありそうで興味を持ったもので…」
「まあ、そうですか…そりゃあ、ええことですぃのう。写真とか撮って取材すりゃあ、記録として残りますぃねぇ。」
その方は私の試みにいたく感激され、まず正解となる道についての情報を、次にこの道や近辺にまつわる昔のことをとつとつと話し始めた。私も雨の降りそうな雲行きなど何のその、もうここぞとばかりに知りたいことを根掘り葉掘り尋ねていた。
「この道ってずっと昔からの道なんですか?」
「昔ぁ私とかこの近辺の人らはみなこの道を通って中山観音へお参りに行きよったですぃね。」
「何だか随分荒れているようですが…もう今では通る人が居なくなったんでしょうか?」
「私も今はここにゃあ住んじょらんからよぅ分からんが…昔はよぅ通りよった。ここの他に中山の浄水場んとこにも道がありよったんじゃが通れんよーになった。」
「今は通行止めになっていますね。」
「なして通れんようにしたんか…わしもそうやけど(通行止めを)良く思うちょらん人はおるけどのぅ。それでわしらは代わりにこの道を通るようになったが。」
話は金山という小字に及んだ。
「金山って地名なんですが…何か由来があるのですか?」
「金の山や。昔は金が採れよったって聞いとる。」
「金脈ですか?」
「砂金を採る場所。わしも親父とか祖父に聞いた話やけぇ確実やないんじゃが、霜降山の金の鶏の話を知っちょってやろう?あれはここの砂金で造ったって聞いとる。」
霜降山(城山)のどこかに金の鶏が埋められているという伝説めいた話は、子供の頃どこからともなく聞かされて知っていた。
まだ文献にあたっていないので真偽の程は分からない…追跡調査が必要かも知れない
「何か遺構みたいなのはありますか?」
「この道のそばにタブの跡があるって親父が話してくれたことがある。」
タブ(炭生)と言えば、常盤原の石炭採掘坑を想起する。恐らく鉱物が産出する場所を広い意味でタブと表現なさっているのだと思った。
「今も遺っていますか?」
「(道を指して)この先を越えて行くと、一軒家があって道がカーブしちょる所がある。その内側が大きな窪地になっちょる。そこが掘った跡だと親父から聞いたことがある。 窪地は今もあるとは思うが、竹が生えてもう分からんよぅになっとるかも知れんのう。」
「霜降山の金の鶏伝説」はまだしも、このタブの場所を示す情報は具体的で信頼性が高いと思われた。遥か昔、金山に棲まう人々は黄金色に輝く砂粒が出てくることを知り、大穴を掘っては砂金を求めていたのだろうか…
「この先で迷うような場所とかありますか?」
「一本道やけぇ大丈夫。荒れちょるけど(自転車でも)押してなら通れる。一軒家を過ぎたらちゃんとした道になる。途中から中山の方へ降りる道もある。」
「ちなみに、コッチ(先ほど右に曲がった道)は何処へ行く道ですか?」
「これは中電が管理しよる道で鉄塔伝いに続いちょる。」
やはり中国電力の索道だった。どうも違うと思ったが、あれを辿っていたらとんでもないことになっていたsweat[1]

20分くらい立ち話していただろうか…私はあれこれと詮索するし、その方も地元にあるものを伝えたい気持ちから熱弁された。もしかすると私のことをローカル番組のレポーターって思われて語ったのかも知れない。
申し訳ない…sweat実はそんな大層なもんじゃあなくて単なる好奇心だらけの野ウサギだ。このレポートとか記事や写真が翌日の新聞や地方紙で目に留まる可能性はゼロですんで…^^;

後から思えば、どんな順序で話が展開したかも覚えていない…だけど頂いた情報はしっかり脳に焼き付けた。
その方は先ほど私が突入していった中電の索道を歩いて行かれた。個人が特定されてしまわないように私は充分に姿が小さくなってからこの写真を撮らせて頂いた。
どうもありがとうございました…しかしもうお目にかかることはないでしょう


進攻開始前にしばし立ち止まり、情報を頂いたその現場を撮影した。
こんな私にとっては異国の地同然の山道で想い出を紡ぐことになろうとは…


太鼓判を押されたも同然の話を伺えたのだから恐れることはない。何しろまだ戦いは始まったばかりだ。先行きは確かに市道とも思えない暗い山道だが、自信を持って突っ込んで行った。


辿る限りでは何処にでもあるような普通の山道で、起伏もそれほどなかった。地図では先ほど貴重な聞き取り調査ができた鉄塔のある場所付近が最高地点で、ここから先は下りになっていることは分かっていた。しかしずっと安泰な道でもないだろうという想像はついていた。

道が下り始めた頃、案の定荒れ始めた。山腹が大きく崩れて半分くらい道を塞いでいる場所があった。


それでなくても曇りがちな天気で鬱蒼とした木々に取り囲まれているせいで、この辺りから頻繁にフラッシュが自然作動した。
上の写真ではかなり明るく見えるが実際はもっと暗い。フラッシュを切った方がより実際の見え方に近い写真になるし、作動させ続けるとバッテリーの消耗が早まるのでここから先はフラッシュを強制オフで撮影している。そのため光量不足でややピントが甘めになっている。

「担がないと通れない場所があるかも知れない」の忠告通りだった。元から乗って進めるような道ではなかったが、人の通らなくなった山道は急速に荒れ始めるらしくやがて自転車の押し歩きですら困難になってきた。

後から思えばここが本路線中で最大の難所だった。
写真では分かりづらいがもの凄い下り坂である。しかも経年変化と雨で地面が洗掘され、足掛かりも不安定な石がゴロゴロしていた。


目の前に露出している岩だけで50cm近い段差ができていた。そのまま歩けばとんでもないことになることが予想されたので、まずは足を伸ばして石の表面を踏んでみた。
石は苔生している上に濡れていて、靴の裏を押し当てるだけでもの凄く滑った。岩を避けようとしても周囲は濡れ落ち葉だらけで足場にならなかった。この下り坂になった時点ではハンドルを持った押し歩きすら拒絶された。両手を空けないことには安全に足を掛けられる場所がない。
押し歩きでは駄目だ。
ここでハンドル持ったまま転べば、絶対足を挫く。
そこで身を乗り出し、自転車だけを先行して露岩の下へ降ろし、自分は手足をフルに使ってガレ場同然の道を降りた。自転車を避けて先に降り、その後で自転車を下から引きずり降ろす手順が必要だった。

自転車をそっと降ろし、自分が先に降りた後で振り返って撮影している。
この場所はほぼ45度の傾斜で、しかも足元が不安定かつとっても滑る…市道でありながら、自身と自転車の運行を別行動にさせた最難関の場所だった。


今だから安泰な記事になるけど、現地では本当に息のあがる重労働だった。何しろ荒れ道でも平気で乗って走れるタイヤが太い仕様のクロスバイクなので、抱えると滅法重い。先へ抜けられるという言葉を信じたものの、万が一この道が行き止まりで引き返しを余儀なくされるなら再度この場所を抱えて上がる以外なく、考えたくもない事態だった。

岩場と落ち葉だらけの厳しい下り坂が一息つくと、植生が変わった。雑木林から一転して竹が増えてきた。


道中、市道であることを示す証拠らしきものは何も見つからずかなり不安を感じた。
ここへ来て初めてそれらしき赤い杭を見つけたのだが、用地境界を示すもので道路課によるものではなかった。


もの凄い竹藪。
高さ7〜8メートルはあろうかという、結構太い竹がびっしり道の両側に生えていた。幻想的であり、ちょっとおどろおどろしくもあった。


天気が快晴だったら、あるいは意外に気持ちのいい山道になるかも知れない。
倒れ込んで道に横たわる竹もあった。それでも道の部分だけ竹の子すら生えていないのは、ある程度は定期的に刈り払いされている証拠だろうか。

藪にもいろんな種類があるが、竹藪・笹藪は誰もが認める最強(最凶)の部類に入る。見た目は風流で管理すれば建材などいろんな用途に使えるものの、荒れるに任せるとたちどころに道路や家屋などを破壊し急速に自然へ還してしまう厄介者である。

漸く山から抜け出せるのか、竹が左右へ逃げて開けてきた。
先行きが少し明るくなってきた。


あと少しでこの竹藪を抜けようかという段になってまたしても難関が…
ここでは太い竹数本が根ごとゴッソリ崩れ落ちて行く手を塞いでいた。


この場所も普通の押し歩きでは通せず、自転車を丸ごと抱えて運ぶ必要があった。

さて、一体何処へ出てくるんだろうか…

担ぎ区間をやり過ごすと、そこが竹藪と山道の終わりのようだった。
左脇には廃自転車、右手には家屋の軒先が見える。その先にはアスファルト舗装の道があった。


アスファルトの道なら乗って進めなくても押し歩きはずっと容易だ。何よりも生活圏へ舞い戻ってきたことが保証される。どれほど続くとも分からない竹藪の道を延々自転車押し歩き(と言うか担ぎ歩き)してきたのでかなりホッとした。

そうして出てきたところは…
生まれて一度も見たことも来たこともない風景と場所だった。


思わず口を突いて出てきた言葉だ。
ここって、一体どこ?
(「市道崩金山線【3】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 実際はその道も市道である。当時は市道というものはどれも人が通れるようキチンと管理されているものと思っていた。

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